時間が平等でない時間

世界の変容が尋常でなく速いのは、すでに世界共通の周知の事実だ。

今日に流行っていた服装、趣味趣向、有名人、もしくはニュース、事件、流行り病、それらがすべて一週間後、一か月後にはもう古いという感性を持たれる。ほんの少しの時間が経過しただけで、この世界の人間は一つの事柄を簡単に忘れ去り、置き去りにしていく。

そしてそれは流行に限った話でなく、むしろこの世界そのものであったりする。

時間の流れだ。

子供の成長が早いとか、年末年始や夏休みが終わるのが早いとか、そんな感覚的な時間ではなく、物理的に、科学的に、いや、非論理的に、非法則的に、時間の流れが場所によって変化するという摩訶不思議な事象。

赤道に近ければ近いほど、時間の流れが加速する。つまり老化が加速する。すべての動きが加速する。

極点に近ければ近いほど、時間の流れは減速する。つまり老化が減速する。すべての動きが減速する。

『今日も世界航空ゼロ便をご利用くださいまして誠にありがとうございます――』

機内アナウンスを聞き流しながら、私は窓際の席から外を眺めていた。

私の周囲には護衛しかいない。

ファーストクラス専門のCAが私に声を掛けてくるが、私は適当に彼女をあしらって窓の外を眺める。

今日は大切な商談だ。私を雇用する会社と、取引先との大事な会談――というただのマウント。自分たちの優れたところを見せつけるだけのしょうもない打合わせだ。

「あのバカ上司め。こんな時間の無駄なことをしでかして、倍にしてツケを払わせてやる」

本来の目的とは違い、もっと有益で生産的なことをしてくれてやる。

取引先を増やすのだ。

世界各地に研究所、生産工場を構えるわが社は、この赤道付近だけでも数十社以上を抱える大企業だ。

タイムニウム。

時間を意のままに操ることのできる宇宙物質。それを研究し、技術へと落とし込む最高峰の研究施設を持ち、時間経過を省くための商品を創り上げる生産工場を赤道付近に構えている。

時間がズレて流れる極点と赤道。頭脳労働者はより前者に近く、肉体労働者はより後者に近い。簡単に言えば、賢い奴ほど長く生きられるという話だ。

「あまり年を取りたくないのだがなあ」

タイムニウムを利用した商品を企画して、それを成果として残してきた私がこうして外へと駆り出される。

明らかに作為的なものを感じる。

おおかた、私の活躍に嫉妬する上司が策略したのだろう。少しでも年を取らせて引退させてやるという寸法だろうな。極点と赤道の時間差は二日。つまり極点が一日経過する頃には赤道直下は三日経過することになる。簡潔に言えば三倍だ。極点で百年過ごす人間と、赤道で百年過ごす人間はイコールじゃない。

「だからこそ、極点の人間は大儲けできる」

三倍の生産性を誇るのだから、利益も単純に三倍上がる。赤道で物を使えば三倍消費が早くなる。好循環待ったなしだ。

「こんな解りやすい話は他にないな」

だからこそ、極点への移住や就職が後を絶たない。誰だって早死にしたくはないからな。私も、ここへ辿り着くためにどれだけの人間を蹴落としてきたか、皆目見当もつかない。

「それを上司の嫌がらせで、こんなつまらない時間を過ごす羽目になるとは」

時間は有限だ、というにはいささか古い。

時間は賢実だ。

頭の良い者だけ、頭脳明晰な者だけが得られる特権だ。

元より極点で生まれて育った人間たちにはアドバンテージを取られているが、今回の遠征で成果を上げれば、あのくそ上司を引き釣り下ろすことができる。その時はあいつをここへ左遷させてやる。絶望に染まるその顔を見るのが楽しみだ。

滞在期間は一週間。行先は契約済みの数社だが、それをさっさと終わらせて他の十社を丸め込む予定だ。零細の小さな会社ではあるが、わが社からのグループ参入と支援があると説明すれば簡単に話を付けることができるだろう。調べによると申し分ない技術力を持つ会社達だ。これが決まればわが社もより大きく成長することができる。私も出世街道まっしぐらだ。

「ククク、今に見ていろ」

クククククククククっ、と笑っていると、CAのヒッと上げる小さな悲鳴を聞いた。そんなことはどうでもよい。私こそが一番なのだ。この先の未来を考えると笑いが止まらないのだよ。

と。

空港に到着した。流れはシンプルだった。待ち合わせしていた支社の社員に案内してもらい、車で移動して約束していた契約会社へのあいさつ回りをさらっと終わらせて、今日はホテルへと戻る。時間は有効に使うのが手っ取り早い。明日からは営業交渉だ。段取りを決め、アポイントのない面談は御法度ではあるが、こちらの社名を名乗り出ればすぐに話を聞いてくれるだろう。

そして翌日、支社の社員と共に車を走らせて、一社目に到着した。社長と話がしたいと伝えると難色を示したが、わが社の名前を出すと顔色を変えた。慌てて礼儀を尽くし、社長へと連絡を取る受付。

そして数分経って、奥からバタバタとやって来る中年の男性。

「こ、これはこれは遠路はるばるお越し下さり感謝の極みでございます。して、天下のタイムズスクエア社が、こんな辺鄙な会社にどのような用件をお持ちで――」

「余計な話はいらん。ここの会社の技術力を買っている。その力、わが社に貢献してはもらいたいのだ」

「…………」

目が点になる社長。ハッと我に返って、噴き出る汗をハンカチで拭った。

「こ、これはこれは……」

と、喜色の示す社長。これは貰った、と確信を得た。部屋に案内され、ケースから書類を提示する。条件と仕事内容、その他の要件と要項を記した書類だ。零細相手にしては悪くない条件を記している。

それを見てさらに目を開く社長。

悩む素振りすらなく、彼は快諾した。

「よし、終わったぞ」

車に乗り込み、私はネクタイを緩めた。

「案外チョロくて助かった」

零細にしては好条件――中小にしては厳しい条件だ。そんな程度の投資でこちらに有利な話を進められるのだから楽でいい。ノーリスクハイリターン。弱小はこれだから操りやすくて助かる。

「さて次だ」

今日はあと二社回る予定だ。ホテルをぐるっと囲むように攻略していくのだ。距離が少し離れているのが難点だが、一週間もかからず終わる。五日目の午前中には飛行機に乗って帰るだけだからな。

案の定、話はトントン拍子に進んだ。

名前を出せば簡単に面会が通り、そして条件を出すと容易く頭を縦に振る。無味乾燥とはまさにこのこと。これなら極点での商談の方が何倍も難しく、張り合いがある。腹の探り合い、手の内の読み合い、弱点の探り合い、こちらの方が難易度が高くてやりがいがある――。

「終わったぞ」

今日中の会社との契約を済ませ、私は車に戻った。

「お早いお戻りで」

「早くはない。むしろ遅いくらいだ」

「本社での勤務では、むしろのんびりしているかと思いましたよ」

「そんなことはない。ここでのやり取りに比べて余計に頭を使うのだ。時間がいくらあっても足りないくらいだよ」

「左様ですか」

赤道へ近くなるたびに、時間の体感速度が速く感じていたが、やはり人間は慣れるもので、今ではこの速度が普通とさえ思ってしまうのが恐ろしい。こちらの時間に完全に慣れきってしまえば、向こうでの生活が狂ってしまう恐れがある。

「明日に備えて私は寝る。早く戻れ」

「かしこまりました」

ホテルに戻りシャワーに入ると、ベッドに突っ伏した。時差ボケの影響もありかなり眠たい。いや、時差ボケというか時感ボケだ。実質的には時差ではないからな。

「ああ、自宅のベッドが恋しいよ」

と、眠りについた。

翌日も、翌々日も商談は簡単にケリがついた。

社名を出し、条件を出し、契約にこじつけるだけ。簡単な話だ。

まるで流れ作業。ゲーム攻略にしてはあまりに簡素で質素な内容で辟易する。けれどこの契約自体は多大なる意味がある。すでに一社目に関しては新たなプロジェクトを企画しているとのこと。マージンはこちらが大いに利のある契約であるが、それでも自分たちが叶えたかったことを実践できるというのは金銭以上に価値のあることだ。それも含めての交渉である。安い買い物だ。

「さて、最後の仕事はっと」

見るからにオンボロの工場だ。規模にして小工場。雇用人数も十人を下回っている。これほどの工場でよくもまあこれまで運営できたものだ。相当の手腕か、もしくは根無し草と見る。

「失礼」

工場の入り口、そのすぐ近くを通った者に声を掛ける。首を小さく傾げてやって来る作業員。二十代くらいの若い女性だった。

「私はこういう者です」

門の隙間から名刺を渡す。

それを受け取って、目を丸くする女性、そしてジトっと私を見た。疑いを持たれている。仕方あるまい。アポイントも無しにいきなりスーツ姿の男がやってくればそういった反応になるのは当然だ。

会社の概要と資料も一緒に手渡し、より信憑性に当たる証拠を手渡していく。

しかし、女性はより鋭い視線を纏わせて、私を睨んできた。

「気に障ることを致しました。申し訳ございませんウインストン社長。謝罪いたします」

懇切丁寧に、今回は下手に出ることを選ぶ。だが堂々とした姿勢で臨む。

「帰れ、邪魔」

「……いいえ、そういうわけにはまいりません」

「帰れと言ったんだ。面談の話すら取り付けて来ないクソ野郎に話をする価値なんてない」

「いきなりの訪問謝罪いたします。しかし――」

「解っているなら猶更だ。いね」

「私は御社の技術力に多大なる価値を見出しております。私共から是非手伝いさせていただきたく――」

「お前みたいなつまらない人間に、いや、お前たちに興味はない」

話に聞く耳を持たず、彼女は踵を返し、中へと戻っていく。

他の作業員たちが、「さすがだぜお嬢」「スカッとしましたぜ」「こんな詐欺みたいな話、どうせ搾取する気しかねえんだろ」と、名刺や資料を見て口々に吐き捨てている。なんなら武器や重火器すら持っていた。

「自分の命のために保身に回るようなしょうもない人生を送る奴らだ。放っておけ」

それを聞いて、彼らは黙った。

そして私を見ては興味を失くしたような視線で、そして自分たちの持ち場へと戻っていく。

「これは一筋縄ではいかないな」

ここの技術はエネルギー保存を得意とする。タイムニウムのエネルギー保存も可能。

どうやってもそのロスを抑えることが出来ず、製品やパーツの寿命が一年ほどしか持たないという欠点があったが、彼らの技術を使用すれば、おそらく三年、いや四年にまでその耐久性を上げることが出来る。

だからこそここは何としてでも契約にこじつけたい最後の場所なのだ。

項垂れるふりをしながら、帰路に就く。

そして考える。

ここの調べはとうに済んでいる。

過去に、出資話で騙されて、親が首をくくっていたという話。

話をする中で借金の肩代わりと無償支援の代わりに、技術の提供を打診しようと考えていたのだが、まず話にならないとは。

とりわけ想定していたことだ。仕方ない。

「折り菓子や金銭等の話は無意味。長期戦になりそうだ」

一週間と言わず、二、三週間は覚悟しておいた方がよさそうだ。帰国するのに時間がかかってしまうのは、私の命に係わる大損害だが致し方ない。

私だからこそできる技を使おう。

「私はクソ粘りでね。お嬢さん」

翌日からやることは一つ。

門の前でひたすら土下座。

恥も外聞も捨てて、周囲に見せつけるようにして土下座すること。誠意を見せること。

雨の日も風の日も、雷の日も関係ない。話に応じてくれるまで土下座することだ。

最初は私を見て、ゲラゲラ笑う聴衆、さらには野次まで飛んできた。石ころだってぶつけられた。けれど辞めない。諦めない。

携帯している武器も取っ払い、果てはスーツを脱いで下着一枚で土下座だ。護衛も誰もつけていない。こんなことをすれば、極点に恨みを持つ人間に殺されても仕方がない。その日を境に暴力へと激化した。

「…………あんた、馬鹿だよ」

身体中に痣を作り、身体の感覚すら無くなっていた。けれど止めない。今回ばかりは命を掛けなければ筋の通らない話だと私が一番理解しているから。

骨折しても、手足が折れ曲がっても、今の技術力ならこんなのすぐに治せる。けれど延々と続く痛みとショックは耐えがたいものだ。

土下座のままだ。

それでも――だ。

「…………とりあえず病院だな。お前ら、連れてってやれ。ツケは倍にして払ってもらうからな」

意識が飛びそうな中、私は土下座を止めず、その意識すら飛んだ時には、気づいた時には病院のベッドだった。

「ま、一命は取り留めたわけだ。バイルさん」

隣に座るウインストン嬢。

名を、サラ。

綺麗で美しい名前だった。

「で、お前は何がしたいんだ?」

ケースの中を見たのだろう。私が用意した資料や契約書が机に乱雑に置かれていた。冊子なんて量ではない。まるで本。

「お前は随分と甘ちゃんな人間だな」

そして包帯でグルグル巻きにされた私に見せる一枚の紙。

面会者と面会時間の書かれたそれ。

よく病院の受付にもらえたな。

「聞いたよ。他の会社の奴らから」

「…………余計なことを」

「お前の話を聞くのも一理あると踏んだ」

「それは嬉しい限りだ」

「よくもまあそこまでボロボロになって」

私の護衛が四人、入り口の中と外に二人ずつ。

「しかも危害を加えた奴らには手を出すなとか、ほんと甘々だな」

ニヤリと笑うサラ。

私の腕をツンツン突く。痛みが走り、護衛が動きそうになるが私は目で静止させた。元の位置に戻る護衛たち。

「私を試すんじゃない」

「それは失敬。信用できなかったものでね」

「技術が欲しい。そしてそれに対する報酬は出す。復讐が望みなら、わが社の傘下にその会社があるからな。偽造したんだろう。会見を開き謝罪もしよう。私の全てを賭けてでも」

「…………あんた、ほんと面白いな。普通の人間ならそんなことまでしないよ?」

「…………そうだな。私は普通ではないからな」

「元が極点の人間じゃないから?」

という質問。

「そうだ。父が死んだ。極点への家族移住に失敗したからだ。母が一人で私を育ててくれたが、私が極点への就職と移住の同時に命を絶った。父の所へ行きたかったのだろう」

「なんて自分勝手な話だ」

「けれどそれでよかった。共に時間を過ごせない日々を遠くから見るよりも、父と共にいてくれる方がむしろ安心する。私は少し無茶をさせ過ぎてしまった」

「お前が無茶したんだろう?」

「…………かもしれない。けど、私は満足している」

「そうかい。でも私も十分満足している」

「ん?」

「両親を追い込んだ会社を潰してほしい。他は要らない」

「欲のないお嬢さんだ」

「けれど、今後もお前はお前であって欲しい。それだけだ」

腕と足を組み、明後日を向いた。

「勿論、そのつもりだ」

契約は成された。

彼女の会社のおかげで、タイムニウムのエネルギー保存に成功。製品やパーツの寿命を上げるのと同時に、身体の老化加速を抑える薬も開発されるようになった。

報酬は要らないと彼女は言ったが、私はこっそり契約書に報酬を与える要項を書き込んでおいた。彼女がのちにそれに気づくと、随分とご立腹だったが。

彼女の両親を死に追いやった会社は解体させた。と同時に、様々な不利益を会社に与えていたことを知り、指示を出していた上役の人間、そしてそれに関係する者を務所にぶち込んだ。

今では私が会社のトップだ。汚い上司は赤道へと左遷させた。次期社長として、私は後世に残る働きをこれからも行っていくだろう。

彼女の会社も極点へと移設した。

「ぱあぱあ~」

「ねえパパ、ライルが立ったわよっ」

「おお、すごいなあライルッ。将来は極点の有名スポーツ選手になれるなッ」

と、親ばかになっていた。

極点と赤道との問題点は山積みだ。

けれど必ず、その垣根を、壁を変容させていくと決めている。

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