アンスロ症候群《俺の幼馴染が猫になりまして》

世界史上で時折、世の中を騒然とさせるパンデミックが発生する。

黒死病、天然痘、コレラ、ペスト、黄熱病、ロシア風邪、スペイン風邪、アジア風邪、香港風邪、エイズ、SARS、豚インフルエンザ、エボラ出血熱、コロナウイルス――。

そして2024年――類を見ない新たなパンデミックが世界を恐怖のどん底へと叩きつけた。

「ふにゃあ~」

「おい、また猫になってるぞ」

「あっ、いけないっ」

ベッドの上で崩した姿勢を、私は慌てて戻す。

アンスロ症候群――通称ネコ化病。

猫の耳と尻尾の生える特殊な病気で、身体能力や感覚器官もまた猫に沿う形で向上するという奇病だ。

猫が持つウイルスで、本来なら人間に感染することはないものなのだが、インドで猫に噛まれた少年が発症。そのウイルスは形を変えて進化し、人間にも感染するという特性を獲得。

今では全世界に蔓延する病気へと様変わりした。

「俺、猫アレルギーなのにな」

「でもアレルギー出てないじゃん」

連日の報道で煽りに煽られ続けたこの病気。

ネコ化に伴う後遺症や弊害が危惧され、病院や自室での隔離が推奨される今日この頃。

私と奏多は、今日も一緒に私の部屋に居た。

「どこもかしこもネコ化の報道で持ちきりだね」

私も発症した時は不安でいっぱいだったが、遊びに来ていた奏多がとりわけ落ち着いた様子で、「アレルギー出ねえな」という間の抜けた台詞に毒気を抜かれたというか、むしろキョトンとしたのを覚えている。

病院側から入院を勧められたが、奏多が「原因も何も解らない状況で、かつ身体に悪影響が出ていない現状では入院する必要はない」と意見を一刀両断されて、私は自宅隔離を選んだ。

「別にどうでもよくね? 今普通に俺ら話しできてんだし、少し身体の構造が猫に寄ったってだけだろ?」

「達観してるね」

「訳わかんねえウイルスにしても、猫について知り尽くしてる俺からすれば、とりあえずこうしてコミュニケーションを取れている時点で問題は無いっていう判断だ」

「なんか奏多と一緒にいると、自分の価値観が逆におかしいのかなって感じちゃうのはなんでだろ」

「むしろ何でそこまで考えすぎるんだろうって俺は思うな。お前の耳と尻尾を触ったり、反射神経や運動能力、猫じゃらしとかレーザーポインターによる検証――結局は猫になっただけって解ったしな。報道でも完全に猫になったみたいな話はねえし、そんな心配することでもねえよ」

「でも、人の言葉を話せなくなったり、猫みたいな動きをしている人も居るって――」

「じゃあ猫語の翻訳機でも作ればいい。意思疎通が出来て人として対話が出来ればそいつは人間だ。論文とか見るとそういう機械を作って会話を試みる実験をした例があるみたいだし、いずれインフルエンザみたいな程度の認知に変わるさ」

「学者かな? ほんと奏多っていろんな意味で頭おかしいよね?」

「おかしくて結構。とりあえずお前と意思疎通が取れること、人としての理性が消えていないことは確かだ――そう怖がるなって」

「でも、もしも私が人じゃなくなって、パパやママ、それに奏多と一緒に生活できなくなるかもって思うと怖くて怖くて」

身体が震え、喉が鳴る。尻尾が丸まり、猫背にもなってしまう。

ポンと頭に手を置かれた。

「お前はほんと昔からビビリだよなあ」

「ビビリは心外」

「でも事実だ。お前の検証を基にネットに記事を上げたりしてるんだ。今も継続して意思疎通を取ってるのもその延長線だ。今はさほど何も起こってねえだろ?」

「でも、もしこの先、ウイルスが変異して、それこそネコになっちゃったら」

「その時は俺が飼ってやる。三食昼寝付きで、マッサージもしてやるよ」

「それは贅沢すぎるよ? 人間やめちゃうよね? てか普通の人間でも堕落しちゃうよね、それ」

「だから心配すんなって言ってるだろ? 姿形が猫そのものになった症例はまだ出てねえし、あくまで遺伝的に猫を真似ている状態だ。脳みそや内臓が猫のサイズになったり、身体が縮んだりとかの症例は報道されていない。SNSを片っ端から確認してるがその報告も何処にも出てねえ。デマは出回ってるが誤差だ。無知な奴は引っかかるだろうがな」

「でも、でも……」

「ああもう、五月蠅いなあ」

「あ……」

グイっと腕を引っ張られ、膝の上にコテンと引き倒された。見上げる形となり、はたまた見下ろされる形となり、私は身体が熱くなるのを感じた。

手がいつの間にか胸の前に移動しており、招き猫みたく手をこじんまりとさせていた。

「猫は結構いろんなところに気持ちよさを感じるそうだ」

「ちょ、ま……」

 顎下、鼻先、耳の後ろ(人間の耳も同じく)、尻尾――。

優しく丁寧に触られるどこもかしこも、くすぐったくて、気持ちよくて、心地よい感覚に陥る。あまりの快感に、私はいつの間にかゴロゴロと喉を鳴らしていた。

「耳が四つあるってのはどんな感覚だ?」

「全方位から音が反響して感じるかなあ~」

「尻尾はどんな感じだ?」

「尻尾って感じ。背骨と腰骨の間から骨が伸びて、自分の身体の一部ってよく解るなあ~」

「身体の動きはどうだ?」

「すごく軽いよ~? 向かいの家の屋根に届きそうな感じがするねえ~」

「何か食べたいものはあるか?」

「チュール」

「痛いか?」

「すごく気持ちいい……」

うっとりだった。全身から力が抜けて、骨抜きにされた気分だ。

「って、その質問前にもしたよね~?」

「ああ、お前はネコみたいになったんだなって改めて思ってな……」

「?」

目を開けようとして、けれど手で塞がれた。

「ま、何でもないならそれでいい、俺もネコ化出来たらそれはそれで楽だったんだが」

「そう言えば、猫アレルギー持ちの人はネコ化しないんだっけえ~」

「ああ、不幸中の幸いって感じでな」

「ひうっ」

尻尾をぎゅっといきなり掴まれた。

身体がピンと伸びる。

「ちょ、いきなり何すんのっ!」

爪をシャキンと伸ばして、奏多の顔を狙う。

咄嗟の感情的な動きだったため、我に返ったときは奏多の顔に爪が通り過ぎていた。

「奏多、ごめっ――!?」

「おお、爪も伸びるんだなあ」

頭を後ろに傾けて避けていた。

胸の前で両手を丸める私。不安と恐怖でいっぱいだった。

けれど奏多は、私の手を取るや否や、その伸びた爪をまじまじと見つめていた。

「なるほど、爪の形状も変化しているな。これは面白い」

スマホでパシャリと写真を撮る。

ドキドキと心臓の鳴る音。

「奏多、ご、ごめんなさい」

「何が?」

「その……いきなり爪を、その……」

「ああ、気にするな。わざとだから」

「わ、わざと?」

急激に、心が落ち着いていくのが解る。

そして沸々と湧き上がる怒り。

「奏多? やってよいことと悪いことがあるんだよ?」

「知ってる。でも許せ。これも検証の為なんだ」

と、尖った爪先を触る奏多。

まるで子供のようなその様相に、呆れて言葉も出なかった。

「もう知らないっ」

ふいとそっぽを向いた。

もう好きにさせておく。

私の気も知らないで、よくもまあそんなことができるわけだ。

「……人の気も知らないで」

「え?」

「ん? なんだ?」

不意に聞こえた声。

けれどぼそぼそと呟く声でよく聞こえなかった。

「何か言った?」

「ああ、ほんとよくできてるなあって」

と、爪を指差す奏多。

聞き間違いかと思って、またそっぽを向く。


「いい加減、どうにかしたいものなんだがなあ」

と、ぼそぼそ呟くが、香苗はこちらに振り向かない。

「勇気を持つのって大変だな」

と、まだまだ続くこの関係性に、焦りながらも――だが俺は安心していた。

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