第35話 徒手柔術VS合気柔術

 互いに一歩も譲らない両者。后土こうどは憎しみを拳に込め、楼夷亘羅るいこうらは悲しみを掌に包み込む。こうして、一歩も引かずに対峙する二人。心の想いは届かず、周囲には緊迫とした空気が漂っていた……。



「――ふっ、そんなくだらん想いで世が救えるなら、俺の心もうに変わっていたはずだ。とにかく、お前と話をしていてもらちが明かねえな。1発殴ったら許してやろうと思ったが、それはやめだ‼ 今後一切、俺に歯向かうことがないよう、あばらの骨を砕かせてもらうぜ!」

「何と悲しきことでしょう。どうやら心の闇は深く、すぐには解けそうにもありませんね」


 一方だけの想いでは、決して交わることのない心情。二人のすれ違う心奥しんおうの念は儚くも決裂する。そんな中――、后土こうどは少しずつ間合いを詰め、時を窺う素振りを見せる。やがて、開始の合図とも取れる目の前の情景。相対した両者の空間を、一片ひとひらの花びらが緩やかに吹き抜けた――。


「じゃぁ行くぜ――、楼夷亘羅るいこうら‼ 悪く思うなよ、その両手はお前が自分でやったこと。あとで後悔すんじゃねえぞ!」


 后土こうどは声高らかに言葉を放ち、楼夷亘羅るいこうらの胸元の衿を掴みにかかる。


「おらぁっ――‼ どうした――‼」


 素早く伸ばす手を難なくかわしているように見えるが、少しずつ追い込まれている姿は気のせいだろうか。悠々と受け流す楼夷亘羅るいこうらの間合いは、徐々に詰まりつつある。僅かな時の中で、后土こうどをこれほどまでに変えたものは一体。もしかすると、交わしたやり取りの中で、心の迷いが晴れたに違いない。明らかに先ほどの様子と打って変わって、無駄がなく俊敏さが増しているように思える。


「なるほど、少しはやるようですね」

「なんだと‼ ――ちっ、まぁいい。その状態で、いつまで上から目線でいられるか見ものだぜ。確かにお前の合気柔術なら、他の奴らは足下にも及ばない。だが、俺の徒手柔術をもってすれば、少なくとも捕まえることは可能なはず。つまり体術に優れているのは、お前だけじゃないということだ!」


 楼夷亘羅るいこうらの扱う体術は、気の流れを感じ取り受け流す合気柔術。つまり、小の力で大の者を制するということ。一方、后土こうどの得意とする体術は、素手に特化した絞め技や投げ技を用いた徒手柔術。


 先ほどの話からして、后土こうども体術に長けていることは理解できた。では当初に見せていた無様な姿は、一体なんだったのか。考えられることは2つ。1つは感情による心の乱れ、もう1つは動作が影響していたといえるだろう。


 本来、相手を殴る行為は、拳を後方へ構え溜めを得る必要がある。そこで一瞬ではあるが、身動きは止まり隙ができる。走りながらでも動作は可能といえるが、それだと力が半減し受け流されるのが関の山。これに対し、掴むことに溜など必要なく、手を伸ばすことで間合いも詰めやすい。よって、后土こうどの徒手柔術も小の力で大の者を制すのかも知れない。


「おらぁっ――‼ どうした、どうした――‼」

 

 素早く掴みにかかる后土こうどの拳を受け流す楼夷亘羅るいこうら。しかし、胸元を掴まれそうになり、振りほどこうと上体を反らした瞬間――。


「――うっ、しまった‼」


 后土こうどの敏捷な身のこなしに、楼夷亘羅るいこうらは態勢を崩し倒れかかる。――が、間一髪のところで踏ん張り、どうにか体を立て直し後方へ逃れることが出来た。


「――ちっ、惜しかったなぁー。あともう少しで掴むことができたんだが」

「くっ――、さすがに両手を縛ったままだと、態勢を保ちづらいな…………」


 不敵な笑みを浮かべる后土こうど。まるでその顔つきは、復讐心に駆られた鬼のよう。一方、挑発を行いゆとりを見せていた楼夷亘羅るいこうら。ところが、窺えた表情は焦りといった余裕のなさ。これにより、平常心を失いつつある顔から、一つの滴が頬を伝い零れ落ちる…………。

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