第32話 ぶつかり合う二人の心

 こうして庭園を目指す二人。楼夷亘羅るいこうら吒枳たきの肩にそっと触れ、誘導するように目的の場所へ向かう。そこで目にしたのは、上部を瓦で覆った取り囲む回廊。その壁面には木材で嵌め込んだ採光を得るための窓があった。これが幾つも存在し、何とも風情ある独特の雰囲気を醸しだす。そんな情緒的な景色を感じながら歩いていると、院生の一人が声をかけてきた――。


「――おい、待てよ二人共‼」


「「んっ……?」」


 背後から呼びかける后土こうどの声が聞こえ、一瞬だけ後ろを振り返る二人。ところが、楼夷亘羅るいこうらは直ぐに吒枳たきの腰へ手を当て、本来の進路方向へ身体を戻す。もしかして、呼び止める声が聞こえなかったのか。いや、そんなはずはないだろう。確かにこちらを凝視して、叫んでいるように見える。 

 

「おっ、おい! 聞こえてんだろ!」


 后土こうどは再び大きな声で呼びかけるも、楼夷亘羅るいこうらは何事もなかったかのように先へ進む。


「――くぅぅぅ、この野郎‼ お前のことだよ、楼夷亘羅るいこうら‼」 


(はぁ……知ってるよ。――ったくぅ、お前に構ってる暇なんてないんだけど……)


 名前を呼ばれた以上は、返答をしなくてはならない。従って、楼夷亘羅るいこうらは仕方なく振り向き、溜息交じりにあざとく呟いた。


「――さっきから、なに無視してんだ!」

「これはこれは、后土こうど様ではありませんか。まさか、私のような下賤の者を呼んでいようとは」


 二人の前に辿り着くや否や、荒々しい態度で言葉を放つ后土こうど。その姿に、楼夷亘羅るいこうらは白々しくも両手を胸元へ添え軽く頭を下げる。


「――ちっ、まぁいい。それよりも、院生達の前でよくも恥をくれたな!」

「はて、私がですか? そのような后土こうど様に書いてもらった覚えはありませんよ。ですから、きっと何かの間違いでしょう」


 いつものように、おどけて見せる楼夷亘羅るいこうら。遠くの空を見つめ、思い巡らせた素振りで言葉を返す。。


「――こっ、この野郎おおおお‼ 毎回毎回、俺のことを馬鹿にしやがって! いい度胸だ楼夷亘羅るいこうら。今日という今日は許さねえ、さっさと表へ出ろ!」

「おや、おかしな事をいう后土こうど様ですね。もう外へは出ていますが、これ以上どこに行けと仰るのですか?」


 これを受け、我慢の限界に達する后土こうどは、大きな声で怒鳴り上げる。ところが、楼夷亘羅るいこうらには、これっぽちも堪えていない様子。ゆえに、更なる追い打ちの言葉をかけ、不思議そうに首を傾げた。


「ぐぬぅぅぅぅぅ――‼」

「んっ、どうしましたか?」


 度重なる屈辱に唇を噛みしめる后土こうどは、双方の掌を強く握りながら怒りに身をゆだねる。この状況に何かを感じたのだろう。楼夷亘羅るいこうら吒枳たきを後方に下がらせ、自らも少し間合いをとる。


「――おらっぁぁぁ‼」


 突如として殴りかかる后土こうど。院生同士の喧嘩は戒律により固く禁じられているも、どうやら頭に血が上りそれどころではない。だが、幸いにも鋭利な刃物は持ち合わせていないようだ。といっても、たとえ黄帝おうていの息子とはいえ、凶器を振り回せばただでは済ないだろう。だからなのか、扱うのは強く握りしめた己の拳のみ。


 まだ拳であるなら子供の戯事として騒動を収めることが出来る。けれども、この状況にはひとえに言えることがある。つまり、激動に身を任せる自体が、そこまで計算していないということだ。よって、感情に流されるまま羽織を脱ぎ捨て、后土こうど形振なりふり構わず襲い掛かる。


「おっと――! 突然どうしましたか、后土こうど様」

「――おらっぁぁぁ‼ ――おらっぁぁぁ‼」


「なるほど、聞く耳を持たず。どうやら心の修練が足りていないようですね。いや……頭の方でしたかな?」 


 さらに挑発を続け、后土こうどの心を惑わす楼夷亘羅るいこうら。眼前に迫りくる拳を手の甲でさばき、軽やかに受け流す。その身は鮮やかに、まるで演舞を踊っているかのようであった。


「るっ、楼夷亘羅るいこうら

「大丈夫だよ吒枳たき。心配しなくても、俺から手出しはしない」


 不安な面持ちで呼びかけ、動静を気遣う吒枳たき。身体の状況も心配ではあるが、なによりも案じている事が1つあった。それは、もし五帝の息子を傷つるような事になったならば、何らかしらの処罰を受けるということ。しかしながら、それはあくまで此方から手を上げた場合のみ。


 けれど、不安は拭えない。何故なら、好戦的ではないにしても、血気盛んな楼夷亘羅るいこうら。周りの者達が傷つけられれば、我を失うことも多々。特に伊舎那いざなのことに関しては、手が付けれらないといえる。その丁度いい例が、昼休憩に起きた先ほどの出来事である…………。

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