第36話 いまなら言える、本当の気持ち。

 触れ合う双方の指先。そこから伝わる温もりは、掌だけではなく心の想いも優しく包み込む。こうした感覚は、初めて知り得た感情のようなもの。出逢ったばかりではあるも、伝えなくても受け入れてくれた気持ち。男の子は、とても嬉しく感じたに違いない。なぜなら、暗かった顔つきは次第に明るくなり、薄っすらと笑みを浮かべていたからだ……。



『良かった、そう言ってくれて』

『そっ、そんな……僕の方こそ誘ってくれてありがとう』


『いいよ、気にしなくても。僕だってさ、ひとり鬼が嫌だったからね』

『ひとり鬼?』


 これでようやく鬼ごっこも楽しくなると感じたのか、それとも永遠のひとり鬼から解放された思いだろうか。なっちゃんは身振り手振りで感情を表現し、心の底から喜びを感じ得る。この様子を傍で眺めていた男の子。初めて聞いた伝承遊びの言葉に、違和感を覚えながら聞き返す。


『あっ、いや。今のは何でもないよ。こっちの話だから気にしないで』

『そうなの?』


『うん。それよりもさ、せっかく仲良くなったんだから、自己紹介でもしない?』

『そ、そうだよね、お互い名前を知らないもんね』


 なっちゃんは、慌てつつも咄嗟に話題を変えて誤魔化す素振りをみせる。この対応を不思議に思う男の子ではあるが、名前を問われたことで納得するように頷く。こうして、一連の流れから二人の自己紹介タイムが始まった……。


『じゃあ、まずは僕の方から言うよ。名前は、涼風  夏樹すずかぜ なつき。春・夏・秋・冬、の夏に、樹木の樹と合わせて、夏樹。声をかける時は、呼び捨てでいいよ』

『なつき……君って言うんだ。とてもいい名前だね』


『そぉ? 別に普通だと思うけど』

『だったら、次は僕の番だね。名前は玉緒 良夜たまのお りょうや。月が美しく輝いた良い夜。そんな意味が込められているらしく、良夜って呼ばれているの』


 自分の名前に込められた想いを語り出した良夜。しかし、そこから窺えたのは、なぜか寂しげな表情をしていた。


『へえー、いい名前じゃん』

『ほんとに? この名前はね、亡くなった両親が僕につけてくれたんだ。だから、そう言ってもらえると凄く嬉しいよ』


『亡くなった……?』

『ごめんね、暗い話をしてしまって。そんな訳だから、僕のことも良夜って、そう呼んでくれたらいいよ』


 今は亡き両親から与えられた思い出深い名前。どんな想いがあって、この名を付けたのかは分からない。だが、大切な我が子であったことには変わりないだろう。ゆえにその気持ちは、なっちゃんにも十二分に伝わっていた。


『あ、ああ……分かった。じゃあ、良夜。今日から僕たちは友達だ!』

『うん。夏くん、これからよろしくね』


 なっちゃんは元気よく名前を呼びかけ、友愛なる意味を込めて握手を求めた。その差し出された掌を感慨深く握りしめる良夜。恥ずかしそうに頬を赤めながらも、声に出す喜びを噛み締める。


『夏……くん? って、もしかして僕のこと?』

『ごっ、ごめん。やっぱり、馴れ馴れしかったよね』


『いや、全然いいよ。むしろそっちの方が嬉しいかも』

『ほんと?』


 否定するどころか、満面の笑みで答えるなっちゃん。その言葉に良夜は嬉しそうな面持ちで、にっこりと問い返す。


『ところでさ、話は変わるんだけど、なんでこんな場所で僕たちを眺めていたの? どうせなら声をかけてくれれば良かったのに』

『えっと、それはね…………』


 良夜は少しだけ口を開くも、そのまま沈黙した状態で目を逸らす。


『んっ、もしかして言いたくないこと? だったら、無理に話さなくてもいいよ』

『ううん、そんなことじゃなくて。仲良く遊んでいた二人だったからね、なんだか声をかけづらくて。でも見てたのは今日や昨日だけじゃなくて、それよりもずっと前』


『ずっと前?』

『うん。最初はね、先生に連れて来られたのがきっかけだったの』


『先生? ってことは、遠足か学校の授業でここに?』

『うーん。少し違うんだけど、似たようなものかな』


『似たようなもの? ていうかさ、良夜って、僕と同じ学校じゃないよね?』

『そう……だね』


 なっちゃんの通う小学校は小さな場所。全校生徒を合わせても、誰だか分かるぐらいの人数である。だからなのか、良夜のことを一目見ただけで、町内以外の子供と判断することができた。


『じゃあ、どこの学校? この場所に来るぐらいだから、隣町ってことだよね』

『ううん。場所はね、隣町じゃなくて、この町内で同じように暮らしてる』


『僕と同じ町内で? えっ、どういうこと?』

『だからね、神社のすぐ近くに健禄園けんろくえんって建物があるのは知ってる?』


『健禄園? 確かあそこは、身寄りのない子供たちが住んでる場所だったはず』

『そう、ぼくは養護施設で育ててもらってるの。だから同世代の友達もいないし、両親もいない……』


 神社の傍に建てられた健禄園。そこは保護者のいない子供や虐待をうけた児童が収容される場所。つまり国から公的支援を受けた福祉施設。


 そのような場所で育ったなんて、馬鹿にされそうで誰にも言えなかったに違いない。しかし、手を差し伸べてくれた夏樹なら大丈夫だと感じたのだろう。いまなら本当のことが言える。良夜は、自分のことを理解して欲しくて、いつのまにか素直な想いを伝えていた…………。

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