第30話 もう、決して君の傍から離れたりはしない

 決められた時間や見慣れた場所、限られた時の中で夏樹と春花はたくさんのことを語り合う。とはいえ、会話をするといっても取るに足らないありふれたもの。そんなやり取りではあるも、二人にとっては安らぎのひととき。短い期間ではあったが、何でも話せる遠慮のない間柄となる。


 しかしながら、お互いに1つだけ伝えていないことがあった。それは幼少期の頃に過ごした日々の出来事。こうした思い出は、必ずしも良いとは限らない。誰にでも1つや2つは、話したくないことだってあるはずだ。よって、夏樹から過去のことを問いかけられるも、春花は言葉を濁し話題を変えようとする。


 これにより、夏樹は生まれ育った境遇などの生い立ちについて、何度も聞き返すことはなかったという。このような事から、どういった事情で雰囲気が変わってしまったのか、夏樹からしてみれば初めて聞かされる内容だったに違いない。こうして悲しげな表情で俯く春花は、過去の想いをゆっくりと語りだす……。 


「正直言って幼い頃はね、交通事故のことは自分でもよく分からなったの。事の重大さを知ったのは、夏樹くん達が居なくなって数年経った頃かな。それからはずっと、私さえいなければと凄く後悔したわ…………」

「――ちょっと待って、それは違うよ。あれは春花だけじゃなくて、父さんは僕たち二人を助けようとしたんだ」


 自分のせいで惨事になったのだと話す春花は、目に涙を浮かべながら声を震わせた。といえども、事故が起きたのは双方が交差点へ進入したことが原因。夏樹は自らにも責任があると伝える。


「いいえ、夏樹くんのお父さんを死なせたのは私。決して消えようのない事実。だからね、どれだけ償っても償いきれないの」

「そんなことなんてない。あの時の出来事は、誰も悪くないんだ」


「悪くない? どうして、そうだと言い切れるの」

「だって…………最後に父さんはね、僕にこう言っていたから」


『この事がきっかけで、あの子は心に深く傷を負ったかもしれない。それを夏樹が傍で支えてやるんだ。父さんの身は消えて無くなるかもしれんが、お前たち二人をいつまでも見守ってやる。決して誰の責任でもない。決してな…………』


  この世を去る瞬間、父親は夏樹の掌を強く握りしめ想いを託す。そこから伝わる温もりは触れ合う肌だけではなく、言葉からも優しく響き心に深く浸透した。


「夏樹くんのお父さんが、そう……言っていたの」

「うん。だからね、春花は悪くなんてない。責任を感じる必要はないんだよ」


 向かい合う二人。夏樹は春花の掌を握りしめ、そっと囁きかける。この父親から託された想い。心に響く温もりとして、同じように伝えて見せた。


「わたしが、私が夏樹くんの家族を無茶苦茶にしたというのに。なんでそうも二人は優しくなれるの…………」


 艶やかな瞳に浮かぶ透き通るような涙。二人の温かい恩情に触れ、ついには春花の目から溢れんばかりの滴が零れ落ちる。


 その朝露に似た儚い雫は、1つ…………。また、1つと…………。過去を清算するかのように、頬を伝いゆっくりと流れでた。


 こうした心の傷跡を癒すため、夏樹は春花の身体を引き寄せ優しく包み込む。


「僕がいけないんだ、春花の傍から居なくなったから。だからね、もう大丈夫だよ。これからは、僕が君を支えていくから」


 心に響き渡る言葉に、長年ずっと張り詰めていた春花の思いは解放される。一人で背負い込んできた過去の思い出。その寂しさや悲しさ。辛くやるせない気持ちを洗い流し、夏樹の胸で嗚咽する。


「うぅ……。うぅ…………」


 熱い想いが込み上げる夏樹は、春花を愛おしく見つめ強く抱きしめた…………。

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