第7話 七

 清二は、店を辞めたあとはどうするかなど決めてはいない。


 とにかく、店とおかみのお菊を、殺しに係るイザコザに巻き込みたくないという一心で此所を離れたかった。


 だが、正直なところは、自分がかつてやったことを知った時のお菊の反応を見るが怖かったのだ。その状況が起こる前に逃げ出したかった。


 何も知らない今は、自分を堅気の商人と信じて、店を切り盛りしていることに感謝をし、好意まで示してくれている。


 しかし、奉行所の調べが及んでくれば、やがて全てがお菊の知るところとなり、自分への想いが一変するに違いない。


 それは耐えられないことだった。


 清二は江戸の生まれである。

 寡黙で素直な反面、どこか流され易い弱さも持っていた。


 老舗の呉服屋「越後屋」に勤め、商才を認められ相応の評価も受けるようになっていたのだが、悪い仲間の誘いを断りきれずに、次第に酒と博打を覚えるようになる。


 そして、博打で負けた金の返済のために店の金に手を出してしまう。


 越後屋を辞めた清二は小田原に流れる。


 そこでも博打と酒の日々だった。


 小田原宿は、江戸は日本橋より東海道を西に二十里、五十三次のうち九番目の宿場である。

 江戸へ向かう旅人は、難所箱根を越えた安堵で早々と休む宿場でもある。


 沼津から箱根を越へ道を降って行き、小田原の街の明かりが見えてくると、旅人は一気に警戒心が緩む。しかし、そこから街中までは、まだ人気のない道が暫く続くのだ。


 悪い連中はそこを狙い目としていた。


 数人で取り囲み軽く脅しただけで、旅人は目の前に見える小田原に行き着きたい一心で、抵抗することなく小銭を渡すのだ。


 この連中にはそれで十分だった。一日二日遊べる小銭でいいのだ。


 清二も、こういう悪の仲間になっていた。


 あの日の夕刻、博打で遊ぶ小銭が欲しいと思っていた清二は、仲間の誘いに乗って出掛けていった。


 やがて、旅人と思われる人影が箱根路を下って来るのが遠目に見えてきた。狙うかどうか、確かめるために眼を凝らしてよく見ると、ふらふらと足元がおぼつかないではないか。


 やがてパタリと倒れてしまった。


 近づいて行って様子を見ると、真っ青な顔に脂汗をにじませ、ゼイゼイと激しい息づかいをしている。しかも、手足はピクピクと痙攣を起こしていた。


 息を引き取るまで、あっという間だった。


「死んじまったぜ。どうする」

「どうしようも無い。身包み剥がせ。品物は売り払えば結構な額になるだろう」

「こいつは、このままか」

「ほったらかしもかわいそうだな。埋めてやるか」

「よし、早いところ穴を掘って、放り込め」


 道端の草むらに穴を掘り、男を入れて皆で土をかけた。


 土で姿が隠れていく男が手に持っている風呂敷の「奄美屋」の文字が、清二の眼に焼き付いていた。


 成り行き上どうしようもなかった。あの商人の男は、誰が何をしても助からなかったのだ。そう何度も自分に言い聞かせ、清二は納得しようとした。


 しかし、あの男を待ちわびている店の者や家族の事を思うと、心の奥に閉まっていた商人としての律儀な義侠心が湧き上がり、それを抑えることは出来なかった。せめて、亡くなったことだけでも知らせるべきだ、そう決心した。


 清二は江戸に戻った。


 土地勘もあり店はすぐに分かった。暫く様子を探っていたが、そこで眼にしたのは、毎日のように現れ大声を出す取り立て屋に、必死に嘆願しながら取り乱すお菊の姿だった。


 清二には、この惨状が自分の小田原での行為と結びついて見えた。責任は自分にもある。何とかしなければいけない。


 お菊に頼み込み、半ば強引に雇ってもらう。


 天下の越後屋で商才を見込まれた男である。店を立て直すのにさほど期間はかからなかった。儲けも徐々に増えていき、そこから借金の返済も可能になった。


 だが、かなりの額の元金とその法外な利息を高利貸しに払い終わるには、相当の年月が必要だった。


 そこで清二はある決断をする。借り換えである。


 元金分を真っ当な店から借りて高利貸しの借金をチャラにし、その店に穏当な利息で返していけば年月も短く済む。取り立て屋などから大声を出される心配も無い。


 清二は、それを越後屋に頼み込んだ。


「江戸に戻っていたのか。それで、神田の小間物屋に・・」

「はい。色々と事情がありまして・・」

「そうか、いや、訳は良い。真っ当になってくれて何よりだ」


 追い返されることも覚悟したが、意外にも主人は寛大だった。主人の権兵衛は、清二を自分の部屋に入れ茶まで出した。


「そこの店の話も、少しは聞いている。私がお前の立場であったら、やはり同じ方法を考えただろう。賢い考えだ」

「はあ、こんな事を頼める義理では無いのですが」

「いや、むしろ、私を頼ってきてくれて嬉しいよ」

「旦那様・・」


 権兵衛は清二の商人としての才能に惚れ込んでいた。それ故に、主人として店の才能ある若者を守りきれなかった、という後悔の念を持っていた。


 その見込んでいた男が、悪の道から足を洗い、再び商いの世界で立ち上がろうとしている。それを応援することに、何のためらいも無かった。


 権兵衛が金を貸す事を快諾した。


 これで、奄美屋を窮地から救うことが出来て、越後屋との関係も修復し、清二にとって大きな安らぎが得られるはずだった。


 しかし、その平穏な日々も長くは続かなかった。


 ちょうどおかみのお菊が寄り合いに出かけて留守であり、そこを見計ったように、市蔵が突然訪ねて来た。


「何の用事ですか。借金は全て返したはずです」


 市蔵は店の中を歩き回りながら品物に手を触れていく。


「ああ、それで、俺の仕事が無くなってしまってね」

「それは私どもには関係の無い話です」

「こちらの店は、だいぶ商売も繁盛しているようだな」


 市蔵がおもむろに清二に顔を向けた。


「だから、少し金を都合つけて欲しくてね」

「お断りします」


 市蔵が驚いたように目を見開いた。


「おや、そうすると、困るのはあんただよ」

「どういうことですか」


 市蔵がニヤリとした。


「小田原で何があったかを、奉行所のお役人に話すことになりますぜ」


 清二がハッとして身構えると、市蔵がスッと顔を近づけた。


「勿論、ここのおかみさんにも」


 断るという選択は、やはり出来なかった。


 それでも、最初はたいした金額ではなかった。ほんの、賭場で遊ぶ程度の額を要求されたのだ。しかし、市蔵は徐々に金額を上げて来た。


 そして、その金を繁華街の料理屋に持ってこさせ、その店の勘定まで払わされるようになる。その額も頻度も増していく。


 清二は追い詰められて行った。


 悩んだ末にたどり着いた結論は、この状況から逃れるためには市蔵を殺すしかない、という事だった。


 決意を固めた。


 この日、市蔵からは円山町の「浜よし」を指定されていた。

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