第6話 六
奉行所詮議の間では神宮が状況を報告している。
神宮の話が終わると成瀬が口を開いた。
「どうやら、奄美屋の番頭が関係していると見られるな。だが、市蔵と何度か会っていたというだけでは、しょっ引くのも少し早すぎるな。こっちとしても、ある程度は問い詰めるネタを持っていないと」
頼方が短くうなずいた。
「そりゃあそうだな。皆で手分けして裏を取るか」
成瀬が頷きながら腕を組んで、考え込むように首を少し傾けた。
「まずは小田原だな。その番頭がそこで何をしていたのか、そして、どういう訳で江戸に戻って来たのかを知りたいな。これは、やはり、あるるか」
神宮が頷いた。
「それと、番頭が以前勤めていたという江戸の店だ。店が何処かを調べて、そこの主人に辞めた訳や、どのような男だったかを聞くべきだな。うん、これは誰が良いかな・・」
成瀬が場を見回すと、頼方が口を開いた。
「それは俺がやるよ。皆、手一杯のようだし」
成瀬が頷いた。
「わかりました。では奉行にお願いします。そして、市蔵の死体があそこに流れてきたのであれば、川上の円山町辺りで何かあったと考えられる。前日の夜に、円山町界隈の料理屋近辺で、二人を見た者がいないかを聞き出す必要がありますね。これは、私が・・」
頼方が成瀬の言葉を遮った。
「待った。俺はそっちが良い。番頭が勤めていた店の方は成瀬さん頼むよ」
成瀬が困惑した顔で頼方を見た。
「はあ、まあ、それは構いませんが、別に飲みに行く訳ではありませんよ。あくまでも、事件解決に繋がることがらの聞き込みですからね」
頼方がフンと鼻で笑った。
「んなこたぁ分かっているよ。まあ、任せておきなって」
頼方は早速円山町の繁華街に向かった。
此処には気の利いた小料理屋が多い。頼方も以前はよく通っていた。
頼方が此処に来たがった理由も、昔の馴染みの店に顔を出したかったからである。
無論、事件解決の緒を探ることを優先しなければいけない、とは思っているが、心は、かつて入れ揚げた女や思い出の店への郷愁に支配されていた。
「あらぁ、池田の旦那じゃない」
早くも「八栄浜」の女将に捉まる。
店は江戸前の魚が売りの料理屋である。女将はやや太めの体型で、気風が良い姉御肌だ。かすれ気味の低めの声が貫禄を後押ししている。酒も強い。
「んもう、ご無沙汰も良いとこじゃないの」
頼方の袖を掴んで店の中に引きずり込もうとする。
「ちょっと待ってくれ。実は、野暮用があってね。酒を飲むのはそれを片付けてからだ」
右足だけ店の敷居を跨いだが、辛うじて踏みとどまる。
「また、下手な嘘ついて。どうせ、赤城屋さんか白木屋さんに行こうとしていたのでしょ」
「違う、本当だ。殺しの調べだよ。殺された奴が、前日にこの周辺に居たらしい。その聞き込みをしに来たのだ」
「あらぁ、嘘のわりには、もっともらしく聞こえるわね」
疑うように横目で視線を送りながらも、袖は決して離そうとしない。
「嘘じゃないって。聞き込みをしないと、鬼のような筆頭与力に大目玉を食う」
「わかった、わかった。そんなことは、浅吉親分に頼めばすぐにわかるでしょ。さ、上がって。後で親分を呼ぶから」
女将が袖をグイッと引き、頼方の体を完全に店の中に入れた。
「そりゃあ、ありがたいが、頼みごとをする相手を呼び出すってぇのは、さすがに如何なものか・・」
頼方が女将に引きずられるように二階の座敷に上がって行く。
何処かで猫が鳴いている。
暫くすると、清楚な身形をした初老の男が現れた。小柄ながら目付きが鋭い。
浅吉である。
「お奉行様、お久しぶりでございます」
浅吉は円山町界隈の侠客を束ねる親分だ。頼方が道中奉行の頃からの付き合いである。
街道や宿駅を管轄する道中奉行としては、要所を抑えている顔役とは良好な関係を保つ必要があった。付き合いを重ねるうちに、お互いに信頼出来る間柄になっていた。
「呼び出して悪いな、まずは一杯どうだ」
頼方が銚子を差し出したが、浅吉が右手を出して遮った。
「まずは、お話を聞いてからにします」
頼方が頷いた。
「実は殺しがあって・・」
頼方が経緯を話すと、浅吉が頷いた。
「分かりました。早速調べさせます。なあに、四、五人で近辺の店を回れば直ぐに分かるでしょう」
表情一つ変えずに浅吉が部屋を出て行った。
やがて、料理や酒が次々と運ばれ、更には、数名の綺麗所が入ってきて頼方を囲み、華やかな宴が繰り広げられた。
すっかり陽が落ちて、夜のとばりがこの界隈も包み出した。
一刻ほど経って浅吉が戻ってきた。
「どうやら、それらしい二人連れが、此所から数軒先の店に来ていました」
その夜、市蔵と名乗る客が一人で「浜よし」という小料理屋に来て、自分を訪ねてくる客があるから来たら通せと、そう女将に告げていた。
待っている間、その男は酔いに任せ「これからは金には不自由しなくなる」だの「頭を使えば世の中どうとでもなる」だのと大声をあげていた。
やがて、堅気の商人と思われる男が尋ねてきた。この男の思い詰めた硬い表情が女将には記憶に残っていた。
勘定を商人と思われる男が払い、二人が出て行ったのは戌の刻を少しまわった頃である。
この直後、近くで屋台の蕎麦屋をしている男が二人連れを見ていた。年恰好から、この二人に間違い無いと思われた。二人は、神田川沿いの道を銀幕町の方に向かって行ったが、一人が頻りに何かを嘆願する言動をしていた。
「っとまあ、そういうことでございます」
浅吉を見据えながら頼方が頷いた。
「ありがとうよ。間違いない。殺された市蔵と、下手人の清二に違いない。親分、世話をかけたな」
頼方が懐から金の入ったふくさを取り出して朝吉の前に置いた。浅吉が手を伸ばして懐に入れた。
「これからも、遠慮なく何でも言ってくださいまし」
「ありがとうよ、また頼むよ」
頼方が銚子を差し出した。が、また浅吉が断る。
「このような華やかな席は、苦手でしてね」
浅吉が懐を右手で押さえた。
「これで、仲間を慰労してやりますので、御免なさって」
しばし静まっていた席がまた多いに盛り上がる。頼方が両脇の女を振り払って女将の側に行き座った。
「それで、赤城屋のお登勢は達者かい」
「ああ、あの娘は嫁に行ったわよ」
「何、相手は何処の誰だ」
「最近すこぶる景気の良いという丹後屋の若旦那よ。もう二人の子持ちだって」
「何だよ・・」
頼方がガクッと肩を落とすと、女将がジロリと睨む。
「ふん、やっぱり赤城屋さんがお目当てだったのね」
頼方が愛想笑いをする。
「いや、まあ、その・・」
夜が更けていく。
何処かで猫が鳴いている。
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