第22話 父との再会
警察の不祥事がマスコミをにぎわす昨今であってみれば、国民の警察に対する信頼低下は如何ともしがたいが、その情報収集能力には時として驚かされることがある。一体どうして知ったのかと思うような情報まで捕捉されていて、不気味に感ずることがあるが、裏を返せば日本の警察がいまだ優秀の域にとどまることの証(あかし)であると共に、情報を管理されている国民にとっては余り愉快なことではない。
二十二日の水曜日、自宅を訪れた訪問客に対し、佐和子と真理が共通に抱いた認識で、不快以上に恐怖を覚えてしまった。昼食の後片づけを終えて二人が居間でくつろいでいると、グレー、というより正に鼠色といった形容がピッタリの、薄汚れた乗用車が忙しない停車音を響かせて、城崎町の自宅門前に止まった。
「こんにちは、お邪魔しますよ」
ブザーも押さず、開いた門から三人の屈強な男たちが玄関に入ってきて、応対に出た佐和子に、
「こちらに、石田千秋さんが居てますね」
四十年配のゴマ塩頭の男が、身分も告げずに用件を切り出した。威圧的な目線、有無をいわさぬ尋問口調から、佐和子はすぐ刑事だと判断したが、
「あのう、どちら様でしょうか。藤井千明はウチの娘ですが、石田千秋さんというのは、ちょっと」
あまり愉快な気分ではなかったので、一応とぼけてみせた。
「どうも失礼しました。豊岡署の山根といいます。こちらは県警生田署の大高さんに辻内さんです」
後ろの若い男が一歩進み出て、警察手帳を差し出しながら、自分と他の二人の身分を明かした。県警幹部から、遠野刑事局長の元妻であるとは聞いていないのであろうが、それなりの指示は受けている口調であった。
「‥‥‥はい」
県警の刑事と聞いて、佐和子は胸騒ぎがこみ上げてきた。管内に我が国最大の広域暴力団を有し、しかも三組織への分裂騒ぎの中で抗争が多発していて、兵庫県警には戦闘的イメージがマスコミを通し膨れ上がっているのだ。しかも夫の親友が兵庫県警に在職中、殉職していた影響もあって、佐和子は兵庫県警に親しみを持てなかったのだ。
「こちらに石田千秋さんが居てはるんは、すでに調査済みなんですがね」
三十過ぎの辻内が日焼け顔をしかめ、佐和子の肩越しに、家の奥に聞こえるよう声を上げて告げる。
「‥‥‥あのう、石田千秋は私ですけど」
真理が怖々と廊下から玄関へ顔を出した。兵庫県警と聞いて、嫌な予感が脳裏を過ったが、これ以上隠れていると佐和子に迷惑がかかってしまう。
「アンタが石田さんか。ちょっと聞きたいことがあるんで、生田署まで同行願えるとありがたいんやけどな」
ドスの利いた大高の言葉に、
「任意ですか、それとも逮捕状でも出ているんですか!」
佐和子は真理の肩を抱いて、詰問口調で問い返した。
「いや、任意です。来ていただく方が、そちらのためになると思うんですがねぇ」
辻内が二人の間に割って入り、真理の方に顎をしゃくった。
「取り敢えず、どういう事件の取り調べなのか、お聞かせ願えますか。そうでないと、この子のご両親に申し開きが立ちませんので。それに、お宅らの所属部署もまだ伺っておりませんし」
佐和子は真理以上に、漠然とではあるが、何とも名状しがたい不安感に襲われていた。いま真理を手放すと、もう城崎へ帰って来れないような気がしてならなかった。
「‥‥‥佐和子おばちゃん」
あくまで自分を守ろうとする佐和子に、真理は強い家族の絆が込み上げてきて、その瞳に大粒の涙が溢れた。
「一応、捜査四課でっけど」
正確には、組織犯罪対策課というべきだが、印象を和らげるため、大高は旧来の名称を使ったが、佐和子は刑事局長の元妻であるのだ。
「えっ! 捜査四課というと、暴力団がらみの犯罪を捜査する部署ではありませんか。一体、その捜査四課が、この子に何の用があるんですか!」
大高からマル暴と呼ばれる部署の名を聞くと、佐和子は気色ばんだ。殉職した夫の友人の所属部署が、捜査四課だったのだ。名状しがたい不安感が佐和子の内で大きく膨らみ、声を荒げてしまった。
「‥‥‥分かりました。―――貴田国子という友達がいるね、アンタには。彼女、大麻の密売と吸引で逮捕されたんやが、そのことで、アンタにちょっと聞きたいことがあるんや」
佐和子の真理を守る覚悟に気圧されたのか、辻内は大高に目で了解を取ってから、事件の概要を伝えた。
「エッ!? クー子が大麻を!」
真理は呆然とその場に立ち竦んだ。クスリだけは絶対にしないと誓い合っていたのに、親友に裏切られた気分で、ショックだった。が、同時に、自分にまったく関係のない事件で、ほっと胸をなで下ろしたのも事実だった。
「佐和子おばちゃん。ウチ、行ってくる。大麻なんか、売ったことも吸ったこともないさかい、大丈夫や」
不安顔の佐和子を残して、真理は刑事たちと一緒に面パト(覆面パトカー)に乗り込んで、神戸へ向かったのだった。
千明のところへ母から電話が入ったのは、それからすぐだった。5時限しか授業がないので、ホームルームが終わり、職員室で帰り仕度をしていると、電話がかかってきた。
「‥‥‥千明。生田署の刑事さんがわざわざ城崎までやって来るというのは、余程のことだと思うのよ。単なる参考人としての事情聴取じゃないような気がしてならないの。お母さんも出来るだけ早くそっちへ行くから、あなたは一足先に真理ちゃんに会いに行ってくれない。あの子、やっと立ち直りかけたとこだから‥‥‥」
こんなときの母の勘はよく当たるのだ。不安のにじむ受話器からの声で、千明の胸も緊張の糸が張り詰めてしまった。
「分かったわ。すぐ行くから」
取るものも取り敢えず急いで帰宅し、三四郎に事情を話して、一緒に生田署まで付いて行ってもらう。
「任意だったら、今日、一緒に帰れると思うんだが‥‥‥」
心配顔の千明を励まし、4時過ぎに三四郎は彼女と生田署へ着いたが、佐和子の考えていた通り、生易しい事態ではなかった。
「な、鈴さん。何とか頼むよ。あの子は、任意でっていう話で来ただけなんだから。な、いいだろ? 衣類を渡して、ほんのちょっと顔を見るだけなんだよ」
柔道で懇意の鈴木刑事を二階への通路へ呼び出し、三四郎は必死に頼み込む。
「かなわんな、三四郎さん。‥‥‥大高さん、なかなか頑固やからなぁ」
三四郎とはよほど親しいのか、鈴木は千明にチラッと視線を送ってから、苦笑いを浮かべて通路の奥へ消えて行った。
「ほな、ちょっとだけやで。服を渡して、顔見るだけにしといてや」
戻ってきた鈴木に案内され、千明は恐縮しながら通路右奥の取調室へ入る。
「‥‥‥真理ちゃん」
机の前のパイプ椅子に座り、真理は肩を震わせて泣いていた。
「千明さん、ウチ、大麻やな持ったこともあらへんのに。刑事さん、信用してくれへんねん。クー子がウチに貰たて、言うてんやって。ウチにやってみれ、言われて、大麻吸うたんやって。そんな嘘八百、クー子が並べてんやって。せやけど、クー子が吸うた時なんか、ウチ、城崎に居てたし、‥‥‥大麻やな、ウチ、ホンマに見たことも触ったこともないのに―――」
虚偽の自白で共犯にされ、信用されないのが余程悔しいのか、真理は一気にまくしたててから、千明に抱きついて泣きじゃくった。
「ね、刑事さん。この子の言ってることは本当なんです。クー子という子が嘘を吐いているんです。もう一度、よく調べてください。本当にお願いします」
相当羽目を外す生き方だったのは了知しているが、ただ、大麻や覚醒剤については無実であるとの自信が千明にはあった。
「アンタ、藤井千明さんていうんやろ。小学校の先生してるらしいけど、アンタがこの子に刺されたというタレコミ(密告)もあるんやで」
「エッ!?」
不意を突かれ、千明は絶句してしまった。恐らく皓三の差し金であろう。
「―――いったい、誰がそんなことを言ったんですか? 本当に、言った人の名前をお聞きしたいですわ」
皓三が名乗り出るはずがないと分かると、千明は安心して、随分と心の余裕が生まれる。
「いや、まあ、それはどうでもエエこっちゃけどな。どっちにしても、本人がやってない言うのを真(ま)に受けてたら、犯人は皆、そう言いよるさかいな」
大高は椅子に座って煙草をくゆらせていたが、千明に痛いところを突かれ、苦笑しながら短髪のゴマ塩頭をかいた。先ほどの彼からは想像もできない、人懐こい仕草だった。
「まあ、もうちょっと聴きたいことがあるんで、外で待っててくれまっか」
「‥‥‥そんな」
好意的な態度に安心したのも束の間だった。認識の甘さに気づかされると共に、これ以上の取り調べを受けると、何か別件がらみで真理が逮捕されそうな気がして、千明は怖い。大高と押し問答をしていると、
「高(たか)さん、ちょっと」
若い署員がせわしなく入ってきて、困惑顔で大高にひそひそと耳打ちをした。
「何や! 今日はエライ、面会の多い日やな。そんなに一々面会認めてたら、一体どういうことになるか、分かってるやろ!」
眉間にしわを寄せ、大高は顔と声から不快を吐き捨てた。
「‥‥‥いや、それが―――」
再度、耳元で囁かれると、
「何やて! 刑事局長の遠野さんやて! アホッ! それ、早よ言わんかい!」
血相変えて、大高は若い署員を怒鳴りつけてしまった。
「エッ! ‥‥‥」
千明も小さく驚きの声を上げた。まさか、こんなところで父の名前を聞こうとは思いも寄らなかった。
「もう、ホンマに勘弁してや。いきなり刑事局長の遠野さんて。・・・・・・あんたら一体、何者なんや?」
どこにでもある平凡な大麻事件だった。県警本部長の耳にさえまだ届くはずのない取り調べなのに、それを知って、このタイミングで雲の上の存在が東京から駆けつけたのだ。大高には、刑事局長を神戸へ走らす力は、目の前の二人が持っているとしか考えられなかった。
「お邪魔しますよ」
しばらくして、先ほどの署員と一緒に父が入ってきたが、千明は真理を抱いて背中を向けたまま震えていた。二十二年振りに聞く父の声だった。
「悪いんだが、三人だけにしてくれないか」
よく響く低音で穏やかな口調だが、反論を許さない威厳と威圧があった。
「‥‥‥お父さん、お願い! この子を助けて! 本当に無実なのよ。‥‥‥お願いだから、もう一度、よく調べるように言って―――」
三人が出て行くと、千明は真理を抱いたまま、泣きながら父を見上げた。
「―――分かった、分かったから、もう泣くのは止めなさい。もう一度、よく調べるよう、署長に頼んでみるから。‥‥‥さあ、そんなに泣かないで」
父は娘の背中を優しく撫でて、
「千明に、『お父さん』て呼んでもらえるんだったら、お父さんは、悪魔にだって魂を売っちゃうよ。さあ」
目をしばたきながら、軽口のつもりで、二十二年ぶりの懐かしい口癖をもらしたのだった。
「‥‥‥」
真理は二人を黙って見つめたまま、震えていた。見上げる瞳から、涙が溢れて仕方なかった。
「‥‥‥真理ちゃんだったね。―――さあ、一緒に帰ろうか」
千明が落ち着くと、遠野はYシャツの胸ポケットから白いハンカチを取り出して真理に手渡した。一緒に帰れることに一抹の不安も感じさせない、さり気なくやさしい笑顔と口調だった。
ドアを開けて廊下へ出ると、通路の入り口で、心配顔で三四郎が三人を待っていた。
「―――やあ! 君は‥‥‥」
「お久し振りです、遠野さん。講武館の倉岡の息子です」
「三四郎さん。父が東京から駆けつけてくれたの」
千明が二人に微笑みかけると、
「ゴメンやで、三四郎さん。ウチいっつも、みんなに迷惑ばっかりかけてしもて‥‥‥」
真理も千明の父に礼を言わねばと思うが、何と呼んでいいか分からず、三四郎の名前を口にして縮こまった。
「さあ、四人で食事をして帰ろうか。お母さんは9時頃、千明のアパートに着くと言ってたから」
父を神戸へ遣わしたのは、やはり母だったのだ。粋な計らいで、希代の名演出家でもこれ以上の舞台設定は不可能で、娘には最高のプレゼントだった。
「‥‥‥うん」
千明が潤んだ瞳で微笑みかけると、父は真理と三四郎の肩を抱いて照れを隠した。
「‥‥‥でも、東京へ帰らなくていいの? お仕事、忙しいんでしょう?」
「まあな。‥‥‥怒ってるだろうな、会議をすっぽかしちゃったから。でも、いいんだ。近々辞めることにしたから」
並んで歩きながら、父はさばさばと屈託がなかった。
「‥‥‥おじさん。ウチのために、仕事辞めることにしはったん?」
真理が立ち止まって、しゅんとした面持ちで千明の父の顔を見上げた。
「ハハハ、そうじゃないよ、真理ちゃん。おじさんはね、一つ決めていたことがあったんだ。千明の頼みは、たとえどんなものでも、必ず聞き届けようって。たまたま、それが真理ちゃんの弁護だったってことだよ」
「‥‥‥そんなら千明さん、ウチのために損したんやな」
「ハハハ。損じゃないよ。君のおかげで、おじさんとも仲良くなれたし、‥‥‥それに、三四郎君とだって巡り会えたんじゃないのかな」
真理の肩をぎゅっと抱いて、父は千明に意味有り気な笑顔を向けたのだった。
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