第19話 真理の決意
「ただいま」
千明が三宮から帰って一時間もしない内に、真理がアパートのドアを開けた。
「お帰り、真理ちゃん」
千明はさり気無く迎え入れる。コーヒーを飲み終えて三四郎は自室へ戻ったところだったが、真理の声を聞くと階段を下りてきた。
「やあ、お帰り」
三四郎もさり気無かった。
「ゴメンやで千明さん。夕べは連絡もせんとホテルへ泊まったりして。―――ちょっと考え事したかったさかい」
気まずそうに真理がもじもじと上目遣いに言い訳する。
「いいわよ、気にしなくて。私は真理ちゃんを信じてるから、きっと帰ってくると思ってたわ。だから、ちっとも心配なんかしていなかったんだから」
真理の肩に両手をのせて、千明が真顔で話しかけるのを聞くと、三四郎は、
「それじゃ、僕は失礼するよ」
苦笑しながら自室へ戻った。
「‥‥‥な、千明さん。今まで失礼なこと言うて、ゴメンやで。千明さんが先生て分かってたら、あんなこと言わへんかったんや。―――今まで、あんまりエエ先生に当らへんかったさかい。先生の印象、悪かったんや。せやけど、もうそんなことあらへん。ウチ、先生が大好きになってしもたわ。柴先生も好きやし、千明さん、―――いや、藤井先生も大好きや」
「真理ちゃん。約束だから、私のことを藤井先生なんて呼んじゃ嫌よ。これまで通り、千明さんて呼んでくれなきゃ、口もきかないから」
テーブルにアイスコーヒーを運んできて、千明は真理を睨み付けたが、すぐ吹き出してしまった。
「うん。―――な、千明さん。ウチ、佐和子おばちゃんとこに、出来るだけ長いこと置いて貰て、一生懸命、勉強するわ。もう、前みたいな生活、絶対、送らへんから」
「本当! 良かったわ。私もそれを聞いて、本当に嬉しいわ」
初めて聞いたような顔をして、千明は真理の手を握って目を細めた。
「―――柴先生に聞いたんやけど。千明さん、ウチが高卒認定受けて大学へ入ることを望んでくれてんやって。‥‥‥ウチ、頑張ってみるわ。千明さんが出た大学、受けてみたいねん。柴先生、バイクの後ろにウチを乗せて、いっつも大学へ連れて行ってくれるねん。ほんで、正門前で大きな声で、『真理ちゃん、ここへ入れよ! ここはいいぞ!』って、気合いを入れて励ましてくれはんねん。最初、学生さんが見てクスクス笑ってたけど、今ではウチの顔見ると、『頑張ってね』って、女子学生のお姉さんも励ましてくれるねん。ウチ、絶対、高卒認定受けてみるから。ホンマやで、千明さん。絶対、約束するさかい」
よほど決意を聴いてもらいたかったのか、真理は千明の手を握り返して、何度も力を入れた。
「そうね。真理ちゃんが大学へ入るには、高卒認定を利用するのがベストだと思うわ。中学浪人するのは嫌でしょうし、それに来年、高校を受けるんだったら、どうしても中学の内申が付いて回ることになって、入試では相当不利に作用してしまうから‥‥‥」
高校生活を味わわせてやりたいという思いは当然あるが、ハンディーや悪影響を考えると、やはり高卒認定試験の利用に落ち着いてしまう。
「うん、高校へ行ってみたい気もあるけど、エエねん。高校へ行ったら、柴先生の診療所、手伝われへんやろ。ウチ、あの診療所、気に入ってんねん。おばあちゃん、おじいちゃんの役に立ってるんかと思うと、ホンマ、嬉しいねん。楽しいで、千明さん。人の役に立ってるんと実感できるのは、―――あ、そうか。千明さんは小学校の先生してて、子供たちの役に立ってるさかい、分かってるわな。‥‥‥釈迦に説法っていうんやな、こういうのって」
真理は照れながら、エヘヘと頭をかいた。
「ううん、ありがとう」
千明は小さく首を振って微笑んだ。真理の更生の手助けが出来て、どれほど自分も心が潤い、力づけられたことか。
「‥‥‥それからな、千明さん。看護婦さん、今は看護師いうらしいんやけど、ウチ、その資格を取ろと思てんねん。柴先生、若い看護師さんとか、十分なスタッフを雇うほど儲かってないさかい、ウチが看護師さんの資格取って手伝ってあげたいねん」
真理ははにかみながら、千明に最後の決意を述べたのだった。
「‥‥‥そう。真理ちゃんなら、いい看護師さんになれるわ。公夫君、本当にいいパートナーが出来たわね」
「もう! パートナーやなんて、そんな大層なもんやないのに。大体、柴先生いうたら、『真理ちゃん、貧乏は決して恥じゃないんだぞ! 貧乏を恥ずかしいと思う心が恥なんだぞ!』なんて言うて、いっつもウチを睨み付けて怒るんやから」
真理は柴をダシにして、赤くなった頬を両手で隠したのだった。
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