第三章 調理師編

第34話 食文化の街 トリューフェン

 ランドベリーの街からトリューフェンまでは徒歩で十日ほど、馬車でも八日はかかるくらいの距離だが、重力魔法と風魔法の応用で、時速三百キロメートルを超えるスピードで空を飛べる僕は、人目を気にしつつ三時間ほどで目的地に到着した。


あまり街の近くまで行くと騒ぎになる可能性があるので、適当に近くで降りてそこからは徒歩で向かう。すると、まだ街についていないというのに、食欲をそそるいい匂いが漂ってきた。


【腹は減らないが、匂いは感じる。何とも不思議な感覚だが、この匂いを嗅ぐだけで貴族が夢中になるのがわかる気がするな】


 意外にも、僕もレイと全く同じ感想を抱いていた。この脳内賢者と同じ感覚だと思うと、それはそれでちょっと恐ろしさを感じるけど……



「よう坊主。ここに名前とジョブを書いてくれ」


 街に入るための門で、衛兵さんに呼び止められた。


この街はどこの国にも所属していないからだろうか、他の街とは違い、衛兵達の装備はバラバラだし喋り方もフランクだ。僕は渡された用紙に名前とジョブを記入し、衛兵さんに返した。


「それにしても、お前さんはずいぶん若く見えるが、ひとりで来たのか?」


「はい! この街へは料理人になるために来ました!」


僕は、対応してくれた衛兵さんに正直に答える。


「おお、そいつは頑張ってくれ! 料理人の修行に、こんなにぴったりの街は他にないからな。上手く料理人になれたらいつでもいい。俺に何かご馳走してくれ!」


「おいおいフリック。まだそんなこと言ってんのか? いつも同じことを言ってるが、本当にお前にご馳走してくれたやつなんているのかよ?」


若い衛兵さんの頼み事に、別の人を審査していた中年の衛兵さんがすかさずツッコミを入れてきた。


「いいじゃないですかブルーノさん。こう言っておけば、いつか誰かがご馳走してくれるかもしれないじゃないですか!」


「そりゃそうかもしれんが、この街で料理人として成功するためには、相当の腕と運が必要だからな。あんまり期待しない方がいいぜ」


むむむ、聞き捨てならない会話が聞こえてきたぞ。料理人になるならここが一番だと思ってきたけど、そんなに大変なのかな?


「あのー、この街で料理人になるのは、そんなに大変なのですか?」


僕は若い衛兵さんに、その辺りのことを聞いてみた。


「ん? そりゃあ大変さ。何せこの街で店を出している料理人は、全て一流の料理人だからな。その人達に負けない腕前を身につけないと、店を出すのは無理だろう。

 それこそ、弟子になりたいってやつなんかも山ほどくるからな。弟子になるためにも、相当の腕前か運良く気に入られる必要があるぞ。ちなみに料理人になりたいってこの街に来たやつは、坊主で十五人目だ。今日だけでな」


なるほど。確かに言われてみれば、その通りかもしれない。この街に来ただけで料理人になった気がしていたのは、甘い考えと言わざるを得ない。これは、心してかからなくては。


「ありがとうごさいます。いいお話が聞けました。それでも僕は、最高の料理人なるために頑張ってみます!」


「おう! 頑張ってくれや! それで一人前になったら、ご馳走してくれや!」


街に入るための審査というよりは、雑談をして終わったような気もするが、とりあえず料理人への一歩は踏み出せそうだ。僕はこの衛兵さんのおかげでしっかりと覚悟を決めて、トリューフェンの街へと入ることができたのだった。


【飯もいいけど、かわいい子はいるんだろうな……】


 その僕の決意も、思春期賢者の一言で霧散してしまうのだが……




▽▽▽




「これは想像していたよりもすごいぞ……」


トリューフェンの街は、ビスターナやランドベリーとは比べ物にならないほど賑わっていた。正門から真っ直ぐに伸びる領主の館までの長い道。その道の両側には、びっしりとお店が並んでいる。もちろん全て食に関係した店だ。料理を提供する店だけではなく、食材を扱っている店も数多く見受けられた。


当然、この街に住んでいる人達がいるのだから、他の生活用品を扱っているような店もあるのだろうが、どうやらそういった店はこのメインロードから外れたところにあるようだ。それほどまでに、食が優先される街なのだろう。


僕はすぐに目的のアルバーニーさんのお店を探しがてら、街を見て回ったのだが……





「どこだここ?」


道に迷ってしまった。ちょっと裏の路地を見るつもりだったのに、いつの間にか人気のないところまで来てしまったようだ。


【あはは! 探知が使えるのに道に迷うとはやるなライト!】


 レイにバカにされた……。悔しい……。ここで探知を使ったら何だか負けた気がするから、あえて使わずに意地になってメインロードに戻ろうとしていると……


「ちょっと! なんなんのよ、あんた達! あたしに何か用でもあるのかい!?」


突然、女性の怒鳴り声が聞こえてきた。


【む!? ライト、これはチャンスだ! 久々の古代恋愛術その三! 女は恐怖を感じているときに出会った人を好きになりやすい! 恐怖の興奮を恋愛の興奮と勘違いするからだそうだ。ちなみにこの勘違いはイケメンじゃないと逆効果だがな。と言うことで、今すぐ助けに行くぞ!】


 どんな理屈なのかわからないし、そんな邪な考えで人助けはしたくないが、困っている人を見過ごすわけにはいかない。急いで声のした方に向かってみると――





「いやー、用っていうか、あんたお金持ちなんだろ? ちょいと俺達にも恵んでくれないかなーって思ってよ。なあ、みんな!」


「ぐへへ。そうそう、ちょいと金貨の一枚でも恵んでくれれば、俺達もおとなしく立ち去るってもんだ。まあ、断られたらショックのあまり何をするかわからんけどな!」


何ということでしょう。いくつか角を曲がったところで、ころんとした体型の中年女性を取り囲む、いかにもガラの悪い四人の男達を発見した。


【よし、ライト。回れ右だ。来た道を戻るぞ】


 その中年女性を見た瞬間、レイが身も蓋もないことを言い出した。


(さすがにそれはないだろう……)


【冗談だよ、冗談。その男達も大して強くなさそうだし。さっさと助けて、娘さんを紹介してもらおう】


(……そういう発想しかないのか?)


 どっちしても、そこの女性を助けることには変わりはないけど。


どうせ大して強くもないだろうと思ったが、一応ガラの悪い四人を鑑定したみた。うん、やっぱり大したことなかった。四人ともジョブは剣士だけど、レベルは15前後で攻撃力だってよくて80台。この人達をまともに相手すると、弱い者いじめにしかならないレベルだ。


「あのー、お取り込み中すいません。そちらのお姉さんに用があるのですが、ちょっとお話させてもらっていいですか?」


別に無理して戦いたいわけではないので、とりあえず最初は下手に出てみた。


「あら、やだ! お姉さんってあたしのことかい!? あんた、相当若そうに見えるのに女心ってもんがわかってるのね! こいつらとは、全然違うわさ!」


意外にも、僕の言葉に真っ先に反応したのは、囲まれているはずのおばさんだった。それにしても語尾に『わさ』って初めて聞いたぞ。


「おいおいおばさん、何でおめぇが真っ先に反応するんだよ。ってか、ここはガキが来るところじゃねえんだよ! とっとと失せろ!」


チンピラのひとりが、片手剣の柄に手をかけながら僕の方に二、三歩歩み寄り威嚇してくる。


暗黒の霧ダークミスト……」


 闇魔法クラスB、暗黒の霧ダークミスト。クラスによって効果が変わる状態異常の魔法。今回はクラスBの睡眠を使う。


「あれ? 何だか、急に……」


 チンピラ四人組の顔の前に、一瞬紫色の霧が浮かび上がる。途端に崩れ落ちるチンピラ達。


「魔法……あんた、魔道士だったのかい!?」


「いえ、料理人です」


「うそおっしゃい!!」


 なぜだ!? 僕はもう身もジョブも心も調理師なのに!? 速攻で否定されてしまった!


「魔法を使える料理人がいてたまるかもんですか!」


「そ、そんなこと言われましても……」


 中年おばさんの勢いに押され、思わず後ずさりしてしまう。


【ライト、逃げるんだ! 娘のことは諦めた! 今すぐ逃げるんだ!】


 レイはおばさんの勢いに白旗状態だ。


「ははーん、わかったよ。あんた訳あって素性を隠したいんだね! この街なら料理人と言っておけば大体通っちまうからだわさ!」


「……いえ、そういう訳では……」


「そういうことなら、あたしも詮索はしないわさ。おっと、お礼がまだだったね。チンピラどもから助けてくれてありがとう。あたしの名前はエイダ。エイダ・フィリップスだわさ」


「いえ、間に合って良かったです。僕の名前はライトです」


 お互いに自己紹介しながら、手を握り合う。


【お、おばさんの手……意外と温かい? うっ!? 俺は今何を!?】


 ただの人助けなのに何を一人で騒いでいるんだ、この脳内賢者は。


「それで、あんたは何でこんなところに?」


「それが……道に迷ってしまって、大通りまで戻るところです……」


「あはははは! そうかいそうかい、それじゃあいつまでもこんなところにいないで、とっとと大踊りに戻るわさ!」


 僕は仲良くおねんねしているチンピラ達を置いて、エイダさんと一緒に大通りへと戻っていった。






「本当にお礼はいいのかい?」


「ええ、お礼をもらうために助けたわけではないので」


「今時珍しいほど謙虚な子だわさ。大人達でさえあの通り欲深いってのに」


「あはは、そうでしたね!」


「それじゃあ、ここらで失礼するわさ。そうそう、あたしの旦那はここで料理人やってるんだよ。もし、うちの店に来ることがあったら、そん時はごちそうするわさ」


「ありがとうございます。その時はよろしくお願いします」


 僕はエイダさんにお礼を言って、今度は迷子にならないように慎重に街を見てまわった。ちなみに脳内賢者はこの後、しばらく大人しいままでした。






「ふう、今日はもういいかな」


 あの後、僕は何とかアルバーニーさんのお店を見つけたのだが、時間も遅くなっていたので明日改めて出直すことにした。礼儀知らずだと思われたら、一発アウトかもしれないからね。

 もちろんせっかく食の街に来たので、夜ご飯は色々珍しい料理を少しずつ食べてみた。そして、その味に満足した僕は冒険者用の宿で一部屋借りて早々に眠りにつくのだった。

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