第36話 真実

 沖田が目を覚ましたのは、病院のベッドだった。乱闘の後のあまりの静けさが不安を誘った。


「愛莉さん……」


 身を起こすと、体の至るところが悲鳴を上げた。殴られるがままを堪えたため、動くと打撲傷が鈍痛を捩じ込む。

 顔を歪めながら、沖田はベッドから降りた。痛みなど無視すれば良い。羽衣石はナイフで刺された。彼女の方がよほど重症だ。

 羽衣石は探すまでもなく、隣室にいた。ベッドの上でスマートフォンを弄っていた。動けない間の暇潰しとなれば、それくらいしかないだろう。


「スマートフォン、持っていかれなかったんだ?」


 彼女は沖田に気づき、目を細めた。


「任意で提出を求められたけど、断った。決定的な映像は関口さんのスマホに転送しているしね。どうしても必要なら、差押令状持ってくるでしょ。女の子のスマホは秘密の箱なんだから、おいそれとは他人に渡せないよ」

「まさか、BL系のゲームアプリなんて入れてないよね?」


 羽衣石は、沖田の冗談を笑顔で受け流した。


「やっと起きたのね。あなたが気を失っている間に警察から事情聴取を受けるし、あなたの家族が来てあれこれ訊かれるし、大変だったんだから」


 沖田は羽衣石に近づき、彼女の手を取った。


「ありがとう。愛莉さんも無事で良かった」

「あなたこそ……」


 羽衣石は沖田の手を握り返した。包み込むような儚げな優しさで、この手のどこに殺人鬼を阻止できた力が宿っているのか不思議なくらいだ。


「いつから桜庭を疑ってたんだ?」

「彼が待ち合わせに同行するって知ってから。あの場所でウタちゃんの襲撃があるのは分かっていた。それなのに、ニュースでは彼のことを取り上げてなかったから絶対におかしいって」

「愛莉さん……」

「なに?」

「愛莉さんは未来から来たんじゃないか?」


 以前からもしかしてと思っていたが、今の羽衣石の発言が決定打だった。彼女は事件のあらましを、未来を覗いた沖田以上に知っていた。触れるべきか迷っていたが、すべてが終わったからこそ素直に訊けた。


「………………」

「俺の死への運命を避けるために、時越えの森から現代にやってきた。そうなんだろ?」

「……あの場所を探り当てるのに、何年も掛かった。何度も足を運んだよ。昌宏が経験した不思議な話は聞いてたけど、詳しい場所までは言ってくれてなかったから」


 羽衣石が認めたことで、いくつか抱えていた疑問が一気に氷解した。

 スマートフォンによる撮影範囲はけっして広くない。ピンポイントで犯行現場を押さえられたのは、広い公園内のあの場所で行われると知っていたからだ。犯行場所と知っていたからこそ、関口と連携を取って素早く通報できる準備を整えられた。


「……それにしても、なぜ、なぜそこまで? 何年も掛けて、そんな怪我までして、なんで俺を助けてくれたんだ?」

「……嬉しかったから」

「?」

「昌宏、私を見つけてくれたでしょ。すごく嬉しかった」

「俺が? 愛莉さんを見つけるって?」

「気をつけなさい。昌宏、最初はキモくてドン引きしちゃったから」

「え? え?」

「あなたは運命を乗り越えた。そして、私も自分の運命を変えた。目的は果たされた……。今度はあなたを助けることができた」

「………………」

「もっと顔を良く見せて。生きている昌宏の顔を」

「こんな傷だらけの顔で良ければ、いくらでも見てくれ」

「本当なら、普段のあなたの顔を焼き付けたいけどね」


 羽衣石はじっと沖田を見つめた。穴が空くほど見つめられ、さすがに気恥ずかしくなる。羽衣石は瞬きをするのも惜しむように、瞳に涙を浮かべるくらい見つめ続けた。あまりにも真剣な眼差しに、沖田は少しだけたじろいだ。


「愛莉さん。いくらでもって言ったけど、ずっとこうしているつもり?」

「ふふっ。そうね。……なんだか眠くなってきた。少し休ませて」


 羽衣石はスマートフォンを傍らに置くと、横になった。


「ああ。ゆっくり休んで、傷を癒すと良いよ。起きたら、俺との馴れ初めなんか聞かせて……」


 沖田が言い終わらないうちに、羽衣石は静かな寝息をたて始めた。よほど疲労が溜まっていたに違いない。

 彼女の寝顔は無防備で、離れがたい魅力があった。沖田を見続けていたせいか、閉じたまなじりから一筋の涙が零れて頬を伝った。

 沖田は羽衣石の頬に掌を近づけた。


「………………」


 指先が触れる寸前、沖田は手を引っ込めた。自分らしくない行為に顔が熱く火照る。


「……ありがとう」


 改めて礼を言い、沖田は自分の病室に戻った。



 羽衣石に比べて軽傷だった沖田は、その日のうちに退院した。羽衣石に報告してから帰ろうとしたが、まだ眠っていたので明日改めて見舞いに訪れることにした。彼女への感謝はまだまだ伝え切れていない。

 帰宅してからが大変だった。沖田の行動は警察に筒抜けになっており、帰宅して一時間もしないうちに警察の訪問を受けた。訪ねてきたのは二人組で、スーツを着用していることから派出所勤務などではない、一般的に刑事と呼ばれる立場の者だと分かった。

 事件について知っていることをすべて話すよう迫られた。ウタちゃんの正体を探るべく奔走した理由以外は話したが、彼から狙われた理由については正直に報告しなければならなかった。

 思った通り、沖田の供述に二人の刑事は渋面を作った。柳井殺害の現場を目撃していながら通報しなかった理由を追求されたが、報復が怖かったの一点で通した。自分の死への運命を知っていたのだから、ある意味では嘘偽りのない所為だった。


「改めて訊くことが出てくる可能性もありますので、その際にはご協力のほどお願い致します」


 二人は口調こそ丁寧だったが、あからさまに消化不良気味な態度で引き上げた。沖田が隠し事をしているのを、刑事の勘が嗅ぎ取ったのだろう。しかし、立場としては沖田は被害者なわけだから乱暴に追求するわけにもいかず、牽制しての退場といったところなのだろう。なにを訊かれても矛盾なく答えられるように、シミュレーションしておく必要を感じた。

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