第35話 決着
桜庭は気息奄奄の沖田から離れて、スマートフォンを取り出した。相手は関口と表示されている。
「なんなんだ?」
羽衣石を見ると、まっすぐとこちらを凝視していた。通話を始めた途端、喚き声が耳になだれ込んできた。
『サクラちゃんっ。あんた、なにやってんだよっ。警察に通報したからなっ』
「こ、これはっ!?」
桜庭は、再び羽衣石に目を向けた。満身創痍なのに、目だけは猫科の猛獣みたいに爛々と光っている。闘志が衰えるどころか、激しく燃える炎となって桜庭に熱波を放ってくる。
ここに至って、桜庭は自分のミスを認めた。
数日前から沖田が隠密に動いているのを察知した。今日、いきなり現れたこの女を訝しんだが、所詮は沖田のおまけだと高を括っていた。ついでに始末してしまえば良い程度の存在だと。
そうじゃなかった。始末するべきだったのは沖田ではなく羽衣石だった。初めから、こいつこそが成り行きの鍵を握っていたのだ。
「運命は流れる……」
「なんだと?」
「小石を投げ込めば波紋が生じる。でも、流れを止めることはできない」
「………………?」
「やっぱり運命は収束した。あんたが、この時間にこの場所で昌宏を襲うことは決定していた」
「……おまえは、それを知っていたというのか?」
だが、どうして? という疑問は声に出せなかった。
「そうよ。もっとも、あんたが正体を表すまで迂闊に動けなかったけど」
羽衣石が一点を指差した。釣られて視線を移すと、カメラのレンズを向けたスマートフォンが、木の枝に固定されていた。その意味を、桜庭は瞬時に理解した。
「っ! ……撮影していたのか?」
「ずっとね。そして、映像はそのまま関口さんのスマホに転送されていた。彼女にはヤバくなったら通報するよう頼んでたのよ。観念しなさい」
「うっ、ううっ、う~……」
沖田は信じられない思いで、二人を窺っていた。やはり未来は覆せないのかと、なかば諦めかけていた。絶望の中での救済は奇跡としか言いようがなく、もたらしたのが羽衣石なら、感謝してもしきれない。まさに女神の救済だ。
「このカスどもがぁっ!」
桜庭は、叫ぶや否や逃走に転じた。パトライトが光っていない箇所を目掛けて走り出した。
「逃がすかっ」
沖田は呼吸が苦しいのを無視して、桜庭に飛び掛かった。ラグビー選手のように腰に抱きつき、桜庭の逃走はわずか三歩で阻止された。
「ぐわっ!?」
ダッシュした分だけ、勢いよく転倒した。激しく地面に激突しても、沖田は組んだ腕を解かなかった。
「てめえっ!」
桜庭は、転んだまま沖田に拳を叩きつけた。顔面や後頭部と狙いが定まっておらず、ただ闇雲に拳を振り下ろす。もう余裕などなくなっており、喚きながら喧嘩をする子供の様相だった。
沖田は必死に痛みに堪えた。絶対に離してなるものかと、あらん限りの力を腕に込めた。桜庭は、拳だけではなく脚もがむしゃらに暴れさせた。彼の踵がもろに太ももを強打した。
「うっ!」
さすがに苦痛の呻きが漏れた時、横から物凄い勢いで桜庭に飛びついた影があった。
「動くなぁっ!」
なにが起きたのか理解する間もなく、沖田は桜庭から引き剥がされた。沖田の痛めつけられた身体を慮らない、ひどく乱暴な力だった。
「確保ぉっ」
桜庭に手錠が掛けられた。駆けつけた警察官たちによる、電光石火の逮捕劇だった。桜庭は抵抗する暇すら与えられずに、身柄を拘束された。
た、助かったのか……。
頭に血が昇った反動と急転直下の顛末に、まだ事態の全容を把握していなかったが、沖田は危機が去ったのを全身で感じた。
見苦しく抵抗を続ける桜庭を、ニュースで流される映像のように見つめる。
大きく息をして酸素を取り込み立ち上がった。自分のダメージのチェックよりも、羽衣石の無事を確認しなければならない。
「愛莉さんっ」
羽衣石は優しげな笑みを湛えて、沖田を見つめていた。沖田以上の重症であるのに、痛みなど感じていないかのように緊張感が抜けきっていた。
「……さっき呼び捨てにしたでしょ。愛莉って」
「えっ?」
「昔に戻ったみたいだった……」
「なに? なんのこと?」
「これで、未来は修正される。あなたは助かった」
「信じられない。運命を変えられたなんて」
沖田は羽衣石に近寄ろうとしたが、膝に力が入らず転倒してしまった。
「きみっ、大丈夫かっ。担架はまだかっ」
すぐ横で警察官が気遣ってくれているのに、どこか遠くで起こっている出来事のように感じた。
「手を、手を伸ばしてくれないか。愛莉さんに触れたいんだ。あなたが確かにいるってことを実感したい」
羽衣石が微笑む。彼女の傍らにも、数人の警察官が取り巻いていた。
「いつもは素っ気ないのに、こんな時だけ甘えてくる。あなたは過去も未来も変わらない」
羽衣石が手を伸ばした。
手を握りたい。せめて指先に触れたい。沖田も必死に手を伸ばすが、視界がぼやけてどんどん暗くなっていく。周りで交わされる緊迫した連絡の応酬が遠退いていく。
指先になにかを感じ取る前に、沖田は気を失ってしまった。
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