第31話 嫉妬
沖田が近づくと、羽衣石は手を挙げて応えた。弛緩してはいないが張り詰めてもいない。電話口での思い詰めた刺々しさはなかった。ちょうど良い落ち着き具合だ。彼女も覚悟が固まった現れと受け取った。
「千昌さんは?」
「あの子は来ない。ちょっとしたお願いをしておいたの」
「……置いてけぼりはするなって言ってたけど、大丈夫かな」
言いながらも、沖田は内心ほっとしていた。三人で行動するようになってから、関口には無理難題ばかり押し付けている。それが最善の方法であったとしても、実行する者とそうでない者の間には精神的重圧に天と地ほどの開きがある。
一番の当事者である沖田は、これまでほとんど渦中に飛び込んでおらず、会話のみの参加となってしまっている。羽衣石相手なら、年上ということもあってか無条件で寄り掛かれるが、関口にはこれ以上情けない姿を晒したくなかった。これから発生するであろう修羅場を考えれば、彼女を来させなかったのは正解だとも思える。
「また知らない羽衣石愛莉と繋がったって?」
羽衣石は、混線の話を振ってきた。すぐにでもこれからの話をすると思っていたので、少し意外だった。彼女なりに気にはしていたのだろうか。
「そうなんだよ。愛莉さんに電話をかけると、高確率であの子に繋がるんだ。こいつも俺と一緒に時を越えたから、変な影響を受けたのかな」
沖田は自分のスマートフォンを乱暴に振った。
「それで……その愛莉ちゃんはなんか言ってた?」
「警察に通報するって言ってた。でも、たぶん本当にはしないと思う」
「そう……」
「何回も繋がるもんだから、俺と運命の糸で繋がっているのかと思った」
沖田は笑いながら話したが、羽衣石の様子がおかしい。うつむいて地面を凝視している。力んでいるのか、耳が赤かった。
「愛莉さん?」
「ふ~ん。ずいぶん軽いね。会ったこともない相手を運命の人なんて」
「そういう意味じゃなくってさ……」
なにか不機嫌になっている。ひょっとして焼きもちを焼いているのか。この数日、羽衣石から艶っぽい雰囲気を何度か感じていた。自分に対して、異性として好意を寄せていると考えるのは自惚れだろうか。
そういえば、羽衣石はこの件が決着したらどうするのか。いきなり現れたのと同じで、突然いなくなってしまうのか。今まで考える暇もなかったが、急に落ち着いてからのことに思いを馳せた。
羽衣石がいなくなる。考えただけでも違和感を抱いた。端的にいってそれは嫌だった。たった数十日のつき合いだが、彼女とはそれこそ繋がっている感覚がある。羽衣石こそが自分の人生を大きく変えるかもしれない相手ではないか……。
頬が熱を帯び、鼓動が速くなる。極力、人づき合いを遠退けていた沖田は、初めて経験する胸が締め付けられる気持ちに戸惑った。
「………………」
「時間が迫っている。行きましょう」
なにを言うか決まらないまま発しようとした台詞は、迫る時間によって遮られた。時を超えて以来、自分の死を知る奇跡と引き換えに、あらゆる場面でタイミングを逸している。
気持ちを切り替えろ。愛莉さんとは、すべてが終わった後でも話ができる。
歩き出す羽衣石に追随する沖田。二人は揃って木下公園を目指した。
広大な公園にはいくつか玄関が設けられている。桜庭と待ち合わせしたのはメタセコイアの森にもっとも近い芭蕉口と呼ばれる場所だった。園内には芭蕉の池もあり、そこから一番近い玄関だ。
桜庭がすでに立っていた。引き締まった肉体に溌溂とした振る舞いで普段から若く映るが、学校の外で見る彼はまだ十代と言っても通用しそうなほど弱齢に見えた。
「やあ、待ってたよ」
屈託ない話し方に、沖田はこれから起こるであろう争いを話したらどんな反応をするだろうかと想像する。まさか、自分が取り次いだ人物が殺人犯だなんて思いも寄らないだろう。桜庭が巻き込まれる可能性は少ないと思う。それでも、細心の注意を払って挑まなければ、なにが起こるか予想が付かない。運命を変えようなんて大それた行いをしているのだ。どこに反作用が表れるか分からない。
「すみません。お待たせしました」
「そちらは?」
桜庭は羽衣石に視線を向けた。沖田一人で来ると思っていたようで、少し気を張るのが伝わった。
「この人は……」
「羽衣石です。今日は沖田くんの付き添いで来ました。この度はありがとうございます」
沖田の紹介を遮って、羽衣石は挨拶と礼を言った。
「沖田君とはどういった関係で?」
「話の前に、自己紹介するのが礼儀じゃありません?」
羽衣石の好戦的な物言いに、桜庭は眉をひそめた。なんとか表情に出るのを堪えたが、沖田も驚いている。
「……これは失礼しました。僕は桜庭旺太郎といいます。西原高校の教諭をしていまして、今回、沖田くんが鵜高と会うための手伝いをしました」
「…………」
「あの?」
羽衣石は深く息を吸ってから、一気に捲し立てた。
「西原高校のOGなんですって? その鵜高さんって女が昌宏にちょっかい出してるって聞いたもので、挨拶でもと思いまして」
「昌宏?」
「沖田ですよ。沖田昌宏」
「あー……」
桜庭はなにかを察した様子を見せた。さり気なく沖田を一瞥する。
「誤解があったようですね。鵜高は沖田くんにちょっかいなど……」
「弁解は結構です。話は鵜高さんから直接聞きますから」
「……質問の答えをまだ頂いていませんが」
「質問?」
「羽衣石さん……でしたか。あなたは沖田くんとどのような間柄なのですか?」
「昌宏の人生に大きく関わる者です。今はそれしか言えません」
「ふ、ん……」
桜庭の羽衣石を見る目は、胡散臭げだった。無理やり怪しげな宗教を勧誘する人間に対するのと同じ冷ややかな目だ。
「なんにせよ、トラブルは困りますよ。彼女には無理を言って来てもらうんです。感情的にならないで、落ち着いて話をしてください」
「あちらの対応次第ですね」
「沖田くん……」
「分かってます。俺の説明が下手で勘違いさせちゃったけど、問題は起こさせませんから」
沖田は羽衣石の意図が読めないまま、話を合わせた。嫉妬に燃えて荒れる様は明らかに演技だ。しかし、伝わるものがある。羽衣石とは短いつき合いだが確信がある。彼女の行動には沖田が思いも寄らないウラがあった。今回もそうに違いない。必ず意味があるはずだ。
「きみがそう言うなら……」
桜庭はもっと言いたいことがあったのかもしれないが、思いの外、沖田の目に力が込められていたのと、しっかり約束してくれたこともあり、退いてくれた。
もう一度視線を羽衣石に戻す。彼女は無言で静かな笑みを湛えるだけだ。
「では行きましょうか。彼女ももう来ているはずです」
桜庭を先頭に、三人は園内を進み始めた。
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