第28話 予兆

 重たい沈黙の中、扉の前に人の気配が漂った。すでに鍵が開けられているので訝しんでいる様子だ。部外者である沖田がいるのはまずい。焦ったが隠れる場所などなく、固まったまま関口と目を合わせていると扉が開かれた。影の主は桜庭だった。


「すまない。この時間は誰もいないと思ったんだけど……」


 弁解しながら入ったきた桜庭は、沖田の姿を認めると立ち止まった。


「きみは、ここでなにをしているんだ?」


 関口が招き入れたのはすぐに分かったらしい。そうでなければ、もっと声を荒げていたに違いない。


「サクラちゃん、聞いて。ちょっと調べものしてて、彼の協力が必要だったの」


 関口がとっさに庇ってくれた。嘘は吐いていないが、事情を知らない者からすれば、すんなり飲み込めない状況だ。


「きみは沖田くんだね?」

「……はい」

「きみがいるということは、例のハンジロー絡みと考えて良いかな?」


 沖田は驚いた。ハンジローを拾ったのが自分であることを知られているとは思っていなかった。もしやウタちゃんの犯行を目撃したことも知っているのかと構えたが、話は事件にまでは及ばなかった。


「落とした子を探しているらしいが、ここまでするのは感心しないな」

「……そうですね。すみません」


 ウタちゃんの話はできないし、相手が教師では引き下がるしかない。せめてよけいなことを口走らないように、気を引き締めた。


「関口も……」


 沖田は関口に視線を移したが、その過程で開かれたままのアルバムが目に入ったようだ。


「これは……」


 桜庭はアルバムを手に取り、まじまじと凝視した。関口が隙を衝いて顔を近づけ、鵜高の写真を指差した。


「サクラちゃん。この人、ウタちゃんって呼ばれてなかった?」

「ウタちゃん? ……どうだったかな。いや、それより……」

「この人と連絡を取りたいんだけど、連絡先知らない?」

「鵜高は一昨年に卒業したから、まだ連絡網が残っていると思うが……。鵜高がハンジローの持ち主なのか?」

「そう、だと思う。お願い。サクラちゃん」


 桜庭が沖田を一瞥した。視線が疑惑に満ちている。人形を落とした少女を探すのに、ここまでやるのは常軌を逸しているんじゃないか? そう思っている目だ。痛みを伴う視線は、何度向けられても慣れるものではない。


「沖田くんは、鵜高に会ってどうしたいんだ?」

「……話をしたい、かな」


 殺されないよう彼女を捕縛したいんだよっ。

 心の中で思い切り叫ぶ。あと一歩でウタちゃんに触れる手応えを前にして、桜庭に立ち塞がれた。彼に怒りの矛先が向かないよう、必死に自制しなくてはならなかった。

 沖田の硬くなった表情をどう受け止めたのかは不明だが、桜庭はしばらく熟考してから口を開いた。その話し方は飽くまで慎重だ。


「すまないが、連絡先を教えることはできない。個人情報をむやみに教えられない」

「サクラちゃん」


 関口が身を乗り出すのを、桜庭は手を伸ばして押し留める。


「だから、僕から鵜高に連絡してみよう。彼女が会っても良いと応えた場合だけ、きみたちに知らせる。それで良いかな?」


 桜庭の意外な理解度の深さに反応したのは、関口の方が先だった。


「ありがとうっ。だからサクラちゃんって好き」


 彼女が抱きつくのを、桜庭は苦笑して離そうとする。小柄な桜庭と関口が重なると、女の子同士がふざけ合っているみたいだ。


「沖田くんも良いね?」

「ありがとう、ございます」


 関口を引き剥がすのに笑顔で苦戦している桜庭を見て、沖田は彼が生徒から慕われている理由が分かった気がした。

 これで、沖田たちと鵜高仁美の間に不穏な事件が発生したら、桜庭に知られてしまう事態になった。できる限り事情を知る者は少なくしたかったが、桜庭が介入するのも運命の一部なら避けようがなかった。そう納得するしかない。

 羽衣石に一連の経緯を伝えなければならない。彼女は桜庭の干渉をどう受け止めるだろうか。少しだけ不安になった。



 桜庭が鵜高と連絡すると約束してから四日が経過した。もう月が変わって十一月に入っている。毎日のように桜庭をせっつきたいところだが、あまりに必死な態度を見せて勘ぐられても困る。沖田たちにとっては胸を焦がされるような忍耐の日々が続いた。

 関口がトイレから教室に戻る途中、後ろから声を掛けられた。


「関口」


 桜庭だった。彼の男性のわりには高くしなやかな声は、振り返らずとも分かる。関口の心臓がドクンと脈打った。これから桜庭の口から重要な発言があると予感して構えた。


「この前、鵜高に連絡してみるって言ったろ?」


 関口はくすぐったいような痺れを覚えた。


「沖田くんの話をしたら、会って礼がしたいと言ってるんだが」

「本当?」

「もちろん、彼が鵜高に好意を寄せているのは伏せてある。きみから彼に伝えてくれないか?」

「私から?」

「うん。ほら、こういう話は同世代の方がスムーズにいくんじゃないかと思ってね」


 厄介事を丸投げしたいわけではないだろうが、生徒の恋愛事情に関わるのは避けるべきと判断したに違いない。桜庭の頼みは至極当然だった。

 落とし物を拾った相手に礼がしたい。話としてはごく自然だが、なにか危険な香りがする。

 関口は思案を巡らせたが、答えは最初から決まっていた。ウタちゃんの正体を突き止めるために今まで奮闘してきた。対決は避けられない。ここまで来て逃げる選択肢などあり得ないのは承知の上だ。


「分かった。うちから伝えとく」

「じゃあ、頼んだよ」


 桜庭が去ると同時に、関口は教室に向かって駆け出した。



 関口が興奮しながら沖田に詰め寄るってきた。


「沖田、大変」

「千晶さん。どうした?」


 彼女の慌て振りに、沖田も思わず動揺する。


「ウタちゃんと連絡が付いたって。会っても良いって言ってる」


 いきなりもたらされた一触即発の予兆に、突風に煽られたような衝撃が襲う。未来を知ってから沖田を懊悩とさせてきた敵の影を、ついに捉えることができた。


「たった今、サクラちゃんから声を掛けられてさ……」


 関口が興奮冷めやまぬ口調で語った内容は、沖田をさらに狼狽えさせた。

 鵜高仁美。彼女も自分に会いたがっている。沖田が殺害されるのが十一月七日。今日を入れても四日しかない。このタイミングで接触にこぎ着けるとは、これまでの奔走すら歯車に組み込まれていたのだと逆説的な考えに至ってしまう。

 運命が収束されていくのを実感する。川に落ちた人がどんなに抗おうが激流に逆らえずに溺死するのと同じで、どれだけ準備したところで未来に運ばれる命は決まっているというのか。


「……愛莉さんに連絡しよう」


 覚悟と往生際の悪さが混在する中、浮かんだのはやはり羽衣石の顔だった。彼女は初めて会ったときに言った。私はあなたを助けるために来たと。ここに至っても正体不明ではあるが、彼女こそ運命の鍵を握る人物であると確信を持っていた。

 なにか言いたげな関口を横目に、沖田はスマートフォンを取り出した。

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