第26話 ノート

 関口の言葉が心に刺さっている。

 あんたは見てるだけ。

 動いているのは羽衣石と関口だけだ。これではただの傍観者ではないか。事故現場で怪我人が苦しんでいるにも関わらず、スマートフォンで撮影している痴れ者と同レベルだ。いや、自分の命が懸かっているのに動かない分だけ、自分の方が暗愚といえる。

 彼女が言ったことは的を射ている。正しいことをストレートに言われたから、尚のこと深く突き刺さる。

これまでの流れを顧みると、一向に真実に近づいている気がしない。ウタちゃんの正体はその片影さえ見えていないし、交友関係から迫ろうとする調査の方向が正しいのかさえ自信が持てなくなってくる。ハンジローの問題も依然として残っている。


「昔に戻れば現在を変えることも可能かもしれんが、先を見たところでどうすることもできまい」


 洞窟の前で出会った謎の老人の言葉が思い出される。あの老人が正しければ、運命を変えるなんて不可能ということだ。物を壊したとか仕事で失敗したとか、取り返しが効くものなら諦めも付くが、失った命は回復不能だ。

 すんなり受け入れられるものではなく、煩うあまり頭を掻き毟りたくなる。


「昔に戻れば現在を変えることも可能かもしれんが……」


 再び老人の言葉が脳内で繰り返される。こんなにも気になるのは、看過できない示唆が含まれているからか。


「昔に戻れば現在を変えることも……」

「昔に戻れば……」


 現在のダンス部は七人、いや、柳井がいなくなったから六人だと言っていた。それは現在の話であって、卒業生にもダンス部に所属していた者がいたはずだ。

 脳内を稲妻が走った。いくら探しても該当者がいないはずだ。OGの存在まで考えが至らなかった。ハンジローは初代ダンス部が誕生させ、一人一人人形を持つのはその頃からの伝統だ。卒業してからも持ち続けている可能性は当然あった。現役の生徒であるという思い込みが邪魔して、今まで思い至らなかった。

 そういえば二人が会っていたとき、柳井は制服だったがウタちゃんは私服だったではないか。ウタちゃんがすでに高校を卒業した者であれば、それもすんなり納得できる。


「くそ……。俺は間抜けか」


 調べなくてはならない。対象にすべきは現在ではない。過去のダンス部だ。ダンス部の歴史は浅い。はたして資料が残っているだろうか。

 謗れたばかりだが、関口の協力が必要だった。彼女に連絡をするべくスマートフォンを操作した。



 ダンス部が使っている部室は、考えていたような女の園ではなかった。きちんと整理整頓されていて清潔感があり、良い匂いが漂っている空間を想像していたのだが、乱雑に放置されたジャージやシャツに恥じらいはなく、開けたままの菓子の袋やペットボトルも散乱している。女子高生に邪な懸想を抱いている中年男性が見たら、甘い幻想が音を立てて崩れそうだ。


「OGかぁ……。そこまで考えなかった」


 沖田の推測を聞いた関口は、活動記録を探してくれていた。記録といっても発足してから六年しか経っていない新規クラブだ。成書の類いは期待していない。卒業した先代が綴っていたノートが目当てだ。


「あった。これだよ」


 関口が差し出した箱の中には、ノートが数冊収まっていた。ノートは文房具店で売られているありふれた大学ノートだった。表紙には『ダンス部活動記録ノート』と、なんの捻りもないタイトルが記されていた。太字に似合わない丸っこい文字が女子高生らしい。

 タイトルの下には2022、2023とアラビア数字が書かれている。筆跡もそれぞれ異なっており、中には角張った力強いものもある。どうやら一年ごとに一冊ずつ記録されているようで、ぱらぱらと捲ると末尾部が無記入のものが多い。


「こんなんで、なにかウタちゃんの手掛かりを探し出せるかな」

「分からない。でも、やるしかない」


 関口と手分けして、内容を読み進めていく。こういう場合、量が膨大でないのが救いだ。綴られていたのは、取るに足らない日常の出来事や練習メニュー、イベントの準備や結果など、あったことはなんでも盛り込んであるタイトル通りの活動記録だった。

 一冊ごとに筆跡が統一されている。きっと記入者を決めて代弁的に記しているのだろう。中身から推察すると、メンバー全員が発言しまとめたものを記載しているもののようだ。


「現在のメンバーでも、このノートへの記録は続けてるのか?」

「やってるよ。莉緒が書いてる」


 今年のノートには、柳井明日菜に関する忌まわしい事件も記載されるのだろうか。悪魔的な好奇心が鎌首を擡げたが、なにも言わなかった。質問するのはあまりにも悪趣味だ。


「ねえ、これ見て」


 沖田の内心など知る由もない関口が、読んでいたノートを差し出してきた。少し興奮気味な口調が、なにか発見したのだと期待させた。

 関口が指さす文章を目で追う。


 鵜高が練習中に突き指をした。すぐに冷やしてテーピングしたが、かなり痛むと言っている。サクラちゃんからは一週間の練習禁止の指示を出されて、指と同じくらい顔をむくれさせていた。


 部員の怪我に関する記述だった。ジョークを交えて記載されてるから、大事ではなかったと推察される。スポーツをする者からすれば、日常茶飯事の範疇なのだろう。


「これが?」


 沖田の察しの悪さを、関口は叱った。


「鈍いねっ。怪我した生徒の名前だよ」

「鵜高……。あっ」

「ね? まんまウタちゃんだよ」


 鵜高に関して集中的に調べた。部内でも中心的な人物だったらしく、ちらほらと登場している。名前は鵜高仁美うたかひとみといい、彼女が卒業した年に沖田たちが入学している。当然、関口とは面識がない。在学中には柳井と廊下ですれ違うほどの接触もなかったはずだが、それこそ近所の幼馴染みとかSNSでつき合いが始まった間柄というのが正鵠を得ているのではないだろうか。


「彼女の写真とか残ってないのかな」

「何枚かあるはずだよ」


 関口は引き出しを弄った。奥から取り出したのは一冊のアルバムだ。部活動が発展するよう残したものではない。中身は戯れに撮った雑多な写真を収めてあるだけだ。思い出作りの一環として残された写真集の色合いが濃い。それでも、沖田にしてみれば失くし物を発見したようなありがたさがあった。

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