第25話 シグナル
しばらく待っても羽衣石は戻ってこなかった。互いに遠慮がない性格だ。拗れて更に険悪になっているのではないかと心配になってくる。
何人もの客が出入りし、店はそれなりに回転している。そろそろ店員の視線も痛くなってきた。そうでなくとも、先ほどの騒ぎでチラチラと見られているのだ。いつまでも店内に粘ることはできない。居心地の悪さに耐えかね、店を出ることにした。
とりあえず店から出たものの、メニューボードの前で立ち尽くした。店員が描いたであろうコーヒーカップとトーストのイラストが可愛らしい。ここから動くわけにもいかないし、大元の責任は自分にあるのだから、放置しておくのも無責任だ。
羽衣石に状況を確認するべく、電話をかけた。
コール音が三回鳴ったところで繋がった。
「あ、愛莉さん? 千昌さんは落ち着いた?」
『………………』
「もしもし? まさかよけいに怒らせたんじゃないよね?」
『……またあんた? いったい誰なのよ』
「え?」
沖田は、思いもしなかった返しに固まった。そして、前日にも同じことがあったと思い出した。あのまま曖昧にしていたが、再び繋がったことに偶然以上の糸を感じる。
「誰って言われても……沖田昌宏ってもんです。あの、そちらは羽衣石愛莉さんで間違いないんですか?」
『羽衣石愛莉ならたしかに私だけど、私はあなたのことなんか知らないし、なにを言ってるのかも全然分からない。もしかして、これってなんかの詐欺?』
「そんなんじゃないですけど、俺にもなにがなんだかで……」
相手は羽衣石と同姓同名だが、明らかに別人だ。声は羽衣石に似ているが、感じからして年齢は沖田と変わらない。それでも、把握できない状況と圧しの強い喋り方に、つい敬語で喋ってしまう。
『沖田? っていったわね。あなたの住所と学校名、もしかして社会人? とにかく教えなさい』
「なんで、そんなこと教えなくちゃならないのさ」
『なんでもサンデーもない。あなた怪し過ぎ』
「ごめん。理由は分からないけど、この番号にかけると混線しちゃうみたいなんだ。詐欺とかそんなんじゃないから。切るね」
『あっ、待ちなさ……』
相手が喋っている途中だが、待たずに切った。こういう場合は逃げるが勝ちだ。追い立てるような喋り方は、彼女のデフォルトなのだろうか。ひどく神経が疲れる女だ。
すぐにかけ直す気にはなれず、さてどうしようかと思案していると、車道の向こうにスマートフォンを睨みながら立ち止まっている女子高生が見えた。顔は良く見えないが、ひどく憤っているのは遠目からでも分かる。直感的に感じるものがあった。
あの子だ。信じられないことだが、今間違って繋がっていたのは、あの子のスマートフォンだ。こんな偶然があるだろうか。それとも、これは運命が作用していることなのか。
確かめなくてはならない。
ごく自然に、はっきりさせたい欲求に駆られた。
信号を渡らなくてはならないが、相手は走っているわけではない。十分に間に合う。それに、彼女は蝶の意匠を凝らしたポニーフックをしている。あれは目立つ。慌てなくても見失う心配はないと思えた。
羽衣石とすれ違いになるかもしれないが、すぐに戻れば大丈夫だ。彼女からは無視できないシグナルを感じる。
信号が青になり車の流れが止まった。沖田はすかさず駆け出した。呼び止めたとして、なにを話せば良いのかまったく考えていなかったが、とにかく彼女の正体を知らなければならないと思った。上手く説明できないが、自分の運命に、一連の出来事に深く関わっている気がしてならない。
スマートフォンを弄りながら自転車を漕いでいる男と、危うく接触しそうになった。思わず罵声を浴びせたくなるのを堪える。
車道を渡りきった。視線はずっと蝶のポニーフックを捉えている。いきなり不審な電話をかけてきた男に話し掛けられて、さぞかしびっくりすることだろう。かなり怪しんでいたから、警察に通報されてしまう可能性だってある。それとも、電話越しの気の強さ通り、その場で叫び出すとか?
様々なパターンを想像する。そのどれもが沖田にとってはありがたくないのに、それでも彼女が何者なのか知りたい。そうしなければならない義務感さえ胸に生じた。
もう少し。あと十数メートルのところまで彼女に迫った。第一声も決まらぬまま口を開いたその時、脇道から羽衣石が姿を現した。
「うおっ!?」
急に脚を止めた為につんのめった。頭から羽衣石の豊かな胸に突っ込んでしまった。
「きゃっ!?」
急ブレーキも功を奏さず、羽衣石は衝撃を吸収しきれずに倒れ込んでしまった。当然、沖田も上に乗っかる形で倒れ込んでしまう。
羽衣石は、驚いたものの相手が沖田だとすぐに気づいた。
「ど、どうしたのよ? そんなに慌てて」
「愛莉さん? いや、あの……」
沖田は説明するのももどかしく、蝶のポニーフックの君を目で追った。
「なに?」
沖田の眼差しに気づき、羽衣石も視線の先を見た。途端にこれまで見せたことのないくらいに慌てふためいた。
「立ちなさい。もう帰るわよ」
沖田の手首を掴んで、強引にその場を離れようとする。
「いや、あの子に……」
「こんな時に女の子の尻を追っかけてたわけ? 関根さんの心配もしないで」
「そんなんじゃないよ。あの子に確認したいことがあるんだ」
羽衣石と揉めている間に、女の子は脇道に消えてしまった。早く後を追わないと見失ってしまう。
「住所と電話番号?」
「違うったら。とにかく離してくれ」
なぜこんなにも必死になっているのか。自分でも分からない。沖田は無理やり羽衣石の手を引き剥がした。
「ちょっと!」
羽衣石の制止を振り切り、女の子が消えた脇道に身を乗り出した。車道から外れた生活道路だ。通行人は疎らにいたが、彼女の姿はどこにも見つからなかった。
「あー……」
大きな落胆に、体重が倍加したみたいに脚が重たくなる。
「なによ。どうかした?」
「それがさ、愛莉さんに電話したら、さっきの子に繋がったんだ。あの子、愛莉さんと同姓同名だよ。そんなことってある?」
「……電波が不安定になってるのかな。それで、その子どんな感じだった?」
「それがやたらおっかない子でさ。もし交際してって迫られても、あり得ないって感じ」
「すごい美人でも?」
「美人じゃないと思うよ。見えなかったけど、きつい性格って人相に出るし」
「そうかな……。それで、昌宏はなにか関係があると思ったんだ?」
「うん。絶対なにかあると思う。直感がそう言ってる」
「どんな関係だと思う?」
「それを確認しようと思ったんじゃないか。それなのに愛莉さんが……」
沖田が恨みがましく口を窄めると、羽衣石は目つきをきつくした。
「私が邪魔したっての?」
実際、邪魔したではないか。心の中ではそう言ったが、とても声に出す勇気はなかった。
「……それより、千昌さんはどうだった? 仲直りできた?」
「うん。問題ない。元々がさっぱりしてるから、ちょっと話しただけで水に流してくれた」
「良かった。このまま距離を取られちゃったら嫌だしね」
「嫌?」
「あ、ほら、数少ない協力者は確保しときたいってこと」
「それだけの考えに留めておきなさい。入れ込むとややこしいことになるから」
「入れ込むって?」
「なんでもない」
羽衣石にしては珍しく歯切れが悪い。しかも不機嫌そうに拗ねているようにも見える。本当に仲直りできたのかなと、沖田はすこし心配になった。それに、正体を掴み損ねた女の子だ。彼女の後ろ姿が、蝶のポニーフックが、いつまでも脳裏にちらついて離れなかった。
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