第22話 混乱

 沖田と関口は、互いに無言で見つめ合っていた。なにか言わなければならないのに、発するべき言葉がみつからない。頭の中の状況整理が付かないうちに、堪えきれずに喋りだしたのは関口の方だった。


「……つまり、どういうこと?」

「……分からない。俺にも分からない。あり得ないことが起きてるとしか……」


 二人が混乱するのは、無理からぬことだった。

 結論から述べると、ダンス部の全員がハンジローを所持していた。なくしている者などいなかったのだ。出来事そのものが矛盾しているので、沖田は自分の周りだけ時間の流れにエラーが生じたのではないかと疑ってしまった。


「やっぱり、うちらの中にウタちゃんなんていないんだよ」


 関口は言うが、力の籠らない喋り方だ。自分でも納得していないのが容易に窺えた。


「だとしたら、現場に落ちてたハンジローはどう説明する?」

「うちに訊かないでよ」

「……もう一度訊くけど、ダンス部員以外で、ハンジローを持っている人はいないのか?」

「それはないよ」


 関口はぴしゃりと言いきった。


「言ったじゃん。これはダンス部員の絆だって。所属してない人にあげたりしないよ。部員全員が一個ずつ持ってるんだ」


 一人につき一個。部員以外は持つことはない……。やはり落としたのはダンス部員だ。どれだけ推測を捏ねくり回そうと、そこにしか帰結しない。


「取り合えず、愛莉さんに連絡しよう」

「愛莉って、あのおばさん? あんた、あのおばさんがいなきゃ、なんにも判断できないの?」

「そんなこと言ってる場合じゃないっ」


 思わず声が大きくなる。予想外の展開に余裕をなくしていた。関口はまだなにか言いたそうだったが、構っていられない。背中に張り付いてしまった不吉な影を取り払うのに、冷たい視線も意に介する暇がなかった。

 コミュニケーションアプリを使わず、直に電話をした。

 九回もコール音を繰り返した。電子的な音が通過する度に心が焦がされる思いだ。沖田をいたぶるように焦らしてから、やっと出てくれた。


「愛莉さんっ? 俺、沖田。じつはややこしいことになってて……」

『………………』


 電話越しではあるが、羽衣石の反応が薄いのが伝わってきた。一気に捲し立てたせいで面食らっているのかと思ったが、なんとなく違和感を感じる。


「愛莉さん?」

『あんた誰よ?』


 聞こえたのは、羽衣石の声だった。それなのに、想定外の質問が返ってきたので、沖田は焦燥感を重ねた。


「あの、そちら羽衣石愛莉さんではありませんか?」

『だから誰よ。なんで私の番号知ってんの』


 なんて粗暴な女だ。ほとんど喧嘩腰な言い方に、思考力が低下してしまう。このままではパニックに陥ってしまいそうだ。


『ねえ、聞いてるの? 名前言いなさい』

「ごめんなさい。間違えました」


 沖田は慌てて電話を切った。発信履歴を確認したが、ちゃんと羽衣石にかけている。そもそも、電話帳から発信したのだから間違えるはずかないのだ。

 どうなってるんだ?

 関口の訝しげな視線を横に、もう一度かけてみる。今度は二回のコールで出た。


「……もしもし?」

『昌宏? なにか進展はあった?』

「愛莉さん? だよね」

『そうよ。ちゃんと連絡先登録させたでしょ。どうかした?』

「……どうしたってことはないんだけど……いやっ、大変なんだよ」

『なんなの? はっきりしなさい』


 この無遠慮な言い方は、間違いなく羽衣石だ。同じ番号にかけたのに、違う先に繋がるなんてことがあるだろうか。混線というやつか。それにしては、さっきの女の声は羽衣石とそっくりだった。


『昌宏?』

「あ、ああ、ごめん。ハンジローの件を確認したんだけど、予想外の結果になっちゃって……」


 沖田は事の顛末を、ぽつぽつ話し始めた。



 放課後になった。沖田たちは西原高校の最寄り駅前にある『木の実』という喫茶店で落ち合った。これまでに利用したチェーン店とは違い、個人経営で頑張っている喫茶店だった。

 しっとりと落ち着きのある店内は、床もカウンターもテーブルも木目調で統一されており、店主のこだわりを感じさせる。客層も流行に飛びつかないようなクールさを帯びた人たちで、席は十分に埋まっているのに喧噪とはしていなかった。こんな店も、十年後には店内は無人ですべてセルフサービスになってしまうのだろうか。

 店内はくつろいでいるのに、沖田は落ち着かなかった。人目を憚る事態が色濃くなった気がしているのが原因だ。今回は関口も参加している。羽衣石が連れてこいと言ったためだ。


「確認するけど、ダンス部の子たちは全員ハンジローを持っていたのね?」


 羽衣石の口調は、これまで以上に真剣だった。


「そうだよ。そう言っただろ」


 沖田は当たるような言い方をしてしまった。みっともないとの自覚はあるのだが、さっきから心が小刻みに震えて、余裕をなくしてしまっていた。


「なくしたらもう貰えないのかな?」


 これは関口に対する質問だった。羽衣石は飽くまで冷静で、沖田の子供じみた態度を責めようとはしない。


「なくさないよ」


 関口が語気を強めたので、聞いていただけの沖田が気後れしてしまう。


「でも、人間なんだから絶対はないでしょ? 不慮の……ついうっかりってケースだってあるだろうし」


 関口が柳井の友人だからだろう。羽衣石は迂闊な言葉は避けた。関口はしばらく考えてから口を開いた。


「……その場合は、サクラちゃんに頼んで新しいのを貰うしかないんじゃない。ダンス部の備品扱いだから、彼が管理してるんだ」

「サクラか……」


 本名は桜庭旺太郎さくらばおうたろうだが、西原高校の生徒は一様に『サクラ』あるいは『サクラちゃん』と呼んでいる。

 英語教師で、ダンス部が立ち上がった当時から顧問を務めている。学生の頃、海外留学している間にダンスに嵌まったらしい。優美さとは対照的な力強いストリートダンスに魅了され、かなり気合いを入れて練習したそうだ。

 教師になってからはダンスからしばらく離れていたようだが、顧問になったのを機に再び真剣にダンスに向き合い、練習の際には見事なダンスを披露している。そのため、生徒からの人気は教師陣の中でもずば抜けている。

 日頃から研磨を欠かさないためか、小柄ながらも引き締まった体をしている。その整った体型、いわゆる細マッチョな体つきも、女子生徒から人気を集めている要素だ。

 彼に訊けば、人形を貰いに来た生徒がいないか分かるだろうか。


「……もしかして、この数日でハンジローを貰いに行った子がいるのかもしれない。サクラに訊いてくれないか?」

「また? なんかうちばっかり働かせてずるい」

「しょうがないだろう。俺はダンス部じゃない。俺がいきなりハンジローのことを訊いたら、明らかに不審に思われるよ」

「私からもお願いする。あなただってウタちゃんの正体を知りたいはずよ」

「そりゃそうだけど……」


 関口の躊躇いは理解できた。予想外だったにせよ、ダンス部員に犯人はいない結果になったのだ。それなのに、改めて追求することに抵抗を感じているのだ。彼女からすれば、このままダンス部員は潔白のままでいられるのが望ましいに違いないのだから。


「千晶にしか頼めないんだ」


 沖田は無意識だったが、関口を呼び捨てにした。必死さが漏れて熱っぽい言い方になってしまった。それが良い方向に作用したのか、関口は一旦言葉を詰まらせてから、渋々といった態で了承してくれた。


「分かったよ。分かったから、そんな目で見るのやめてくんない?」


 どうやら眼差しにも熱が加わっていたようで、関口は困ったように顔を逸らした。


「じゃあハンジローの件は頼んだわ。千晶さん、あなたはもう帰りなさい。私たちだけで話し合わなきゃならないことがあるから」


 羽衣石は、話は終わりと言わんばかりに関口を追い出しに掛かった。薄々感じていたことだが、彼女は関口からの協力を求めているのに邪険に扱っているフシが見受けられる。

 当然、関口は面白いはずがない。沖田がフォローを入れる前に突っ掛かった。


「なに? ここまで人を巻き込んでおいて、ハブにするつもり?」

「そうじゃない。これから昌宏の未来について話さなきゃならないことがあるの」

「?」


 羽衣石の言い方が漠然とし過ぎていて、関口には今ひとつ理解できなかったようだ。当の沖田ですら、なにを話し合えば良いのか判然としない。


「……まあいいよ。サクラちゃんには明日にでも訊いてみる。そん時は……」


 関口は沖田を一瞥する。


「行くよ。一緒に訊くわけにはいかないけど、今日みたいに近くで待機する。すぐに結果を知りたいしね」

「分かった。じゃあ明日」


 関口は立ち去る前に、レシートに視線を送ったが、そのまま出て行った。意趣返しではないだろうが、支払いは羽衣石に任せても良いと思ったのだろう。

 彼女の気持ちを知ってか知らずか、羽衣石はすました表情を崩さず、コーヒーをブラックのまま口に含んだ。

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