第20話 縁

 関口と別れた後、沖田は羽衣石と肩を並べて歩いた。関口から協力の言質を取ったわけではないので、なんとなく宙ぶらりんな気持ちが漂っている。


「警察に……」

「ん?」


 沖田は、ずっと考えていたことを羽衣石にぶつけた。


「やっぱり、警察に行った方が良いんじゃないか? 俺たち素人が調査するったって、限界があるよ」

「駄目よ。表だって動けば、ウタちゃんに狙われる確率が跳ね上がる。奴らは確証を得ない限り、行動に移さない。解決する前に昌宏が殺されちゃうよ」

「確証なら、ハンジローがあるじゃないか」

「それを差し出して、どう説明するつもり? 拾ったけど自分が殺される未来を知ってるから、そのまま逃げ出したって?」


 沖田は言葉に詰まった。警察に届け出れば、事件を目撃していながらあの場を離れた理由を説明しなくてはならない。怖くなって逃げてしまったと言うか? 理由としては無理はないと思うが、ではなぜ通報しなかったのか問われる。マスコミに嗅ぎつけられ世間に知られたら、誹りは免れない。ネットでの誹謗中傷は際限がない。精神的に追い詰められてしまうのは想像に難くない。それになにより、沖田のことがウタちゃんにバレてしまう……。

 羽衣石の言う通りだ。


「それなら……」

「なに?」


 言い掛けて、沖田は口を噤んだ。今、沖田は目撃者は羽衣石だったことにして通報したらどうだと言おうとしたのだ。それは沖田の代わりに羽衣石が狙われることになるかもしれない危険な提案だ。やってはならない卑劣な手段だ。


「いや……それより、なんでハンジローの画像を持ってるんだ。おかしいじゃないか」

「秘密」

「おい?」

「言ったでしょ。私はあなたを助けるために来たの。細かい事は気にしないで。今のうちに連絡先教えとく」


 羽衣石は強引に会話の流れを変えて、スマートフォンを突き出した。助けると言っておきながら、煙に巻く言動が多い。それでも、彼女の助言通りに行動したおかげで一歩前進できたのは否定できない。感謝と反感の板挟みに、沖田の心は乱れる。

 さっきも思ったことだが、羽衣石のスマートフォンは先日発売されたばかりとは思えない。汚れているとか傷んでいるわけではないが、使用感というか、もう何年も経過しているように感じる。


「そのスマホ……」

「なに?」

「……なんでもない」


 結局、沖田は感じたことを言わなかった。使用感があるとは、すなわち古臭いとも捉えられるからだ。彼女を相手に下手な発言は控えた方が良い。


「なによ。昌宏も早くスマホ出しなさい」

「あ、うん」


 なぜ彼女は気安く呼び捨てるのだろうか。けっして不快ではないが疑問は感じる。さっきから微妙な違和感が続いて、落ち着かなくなる。


「さっきの女の子だけど……」

「千昌さん?」

「関口千昌っていったね。なんでファーストネームで呼んでるの」

「なんでって」

「今朝までろくに話したことない相手なんでしょ。ちょっと図々しくない?」

「いや、彼女が名字で呼ばれるのを嫌がってさ」


 沖田は説明しながら、なんでこんな言い訳じみたことをしなければならないのだろうと不条理さを感じる。


「いきなり名前で呼ばせるなんて、いやらしい。とんだビッチね」


 羽衣石の言葉に、沖田は噎せそうになる。彼女だって同じことを自分に要求したではないか。羽衣石にとって、ビッチの定義とはなんなのか訊いてみたい。


「彼女には深入りしないこと。分かった?」

「そんなこと言われたって、協力を得るためには……」

「深入りしなくても協力は得られる。あの子が柳井の友達だったのは、私たちには幸運だった。煽らなくても動くもの。きっと」

「そんな言い方……」


 沖田は抵抗を覚えた。自分たちにとっては都合が良くても、関口は友人を殺されて失意の中にいるのだ。

 しかし、羽衣石は沖田の感傷をばっさりと切り捨てた。乾いた対応と言って良い。


「運命に打ち克つためよ。非情になれとまでは言わないけど、ある程度の割り切りができないと、あっという間に飲み込まれるよ」


 羽衣石は言いながらスマートフォンを突きつけた。沖田はメッセージアプリを起動し、羽衣石と交信できるように設定した。今朝出会ったばかりの女性と連絡先を交換するなんて、なんだか奇妙な気分だった。

 スマートフォンをしまうと、羽衣石はさっきとは打って変わって湿っぽい仕草で切り出した。


「昌宏は帰宅部だったっけ」

「そうだよ」


 答えてから、なんで知っているんだと疑問が湧いた。羽衣石と話していると次々と疑問が生じてくる。


「なんで、なんにもやらなかったの? やりたいこととかなかったんだ?」


 再びの違和感。これまでの羽衣石の印象は、金で雇われたボディガードだ。護衛対象に危機が迫った時には命懸けで警護するが、それは仕事と割り切っている行動で、自分が守っている人物の性格や人柄、プライベートには関心など持たない。プロであるが故の冷めた対応。それなのに、今みたいに心の隙間を衝くような質問を投げ掛けてくる。一貫性のないちぐはぐさを彼女から感じた。


「……そんなことはないけど、集団で行動するのが苦手なんだ。誰かに気を遣ったり遣われたりするのが煩わしくてさ」

「それじゃ、社会に出てから苦労しそう。能力も大事だけど、なんだかんだでコミュニケーションが一番大事だから」

「人の縁より金の円さ」

「そんなこと言って……」

「そこまでコミュ障じゃないけど、一人でできるなら、それに越したことはないよ」


 子供の頃からそうだった。沖田は孤独に耐えられる人間だった。友達なら何人もいる。一緒に花見に出掛けたり映画を観に行ったり、大抵の学生がするであろう青春を満喫している。しかし、常に心のどこかで一人になりたがっている自分がいた。学生時代最後になるであろう旅行を一人旅にしたのも、他人と行動を共にする煩わしさが嫌だったからだ。

 おそらく、一生を一人で過ごせと無人島に放り投げられても、衣食住とネット環境さえ保証されていれば苦痛にも感じないと思う。外に出て学校に通っているが、気持ち的には引きこもりに近いような気がする。

 これといった理由はない。親に虐待されたとか、仲間からひどい虐めを受けたなんて過去は一切ない。この性癖は生来のものだ。虎が群れないのやオランウータンが孤独に森を闊歩するのと同じだ。

 人間である自分がどこまで一人で生きられるか。将来、ちゃんとした人生を送れるのか不安に感じる時もある。今、自分が殺されるのを阻止しようとしているのと同じように、孤独な運命も変えることはできるのだろうか。


「私とも息苦しい?」

「え?」


 いきなりの質問に、沖田は戸惑った。羽衣石の訊き方に、艶っぽいものを感じたので、よけいに焦ってしまった。それに、質されて初めて気がついたが、羽衣石とは今朝であったばかりなのに向き合っていても距離が近く感じる。まるで家族か友人と接しているみたいだ。

 正体不明の怪しい女なのに、すんなりと受け入れても良いと囁きかけてくる自分がいる。いったい何者なんだ?


「そんなことはない……けど、素性を教えてくれない限り、全幅の信頼を寄せるのは危ないと思ってる」

「堅苦しい言い方するのね」

「………………」

「怪しむのは無理ないけど、これだけは信じて。私が昌宏を守るために来たのは本当だし、二人で協力しないとあなたは死ぬことになる」


 羽衣石の予告は、鎖のように重たかった。沖田自身が時越えの先で経験した記憶が、笑い飛ばすことをできなくしている。それに、羽衣石の目には真剣さが宿っており、本当に自分の身を案じてくれているのが伝わってくる。


「……分かってる」

「こっちから連絡を入れる。くれぐれも気をつけて」

「大丈夫だよ。俺が襲われるのは十一月だろ」


 沖田の軽口に、羽衣石はきっと睨んだ。息を呑んでしまうほど、その視線は鋭かった。


「……未来は決定されている。その考えは間違っていない。でも、そうなら昌宏はどう転んでも殺される運命にある。私たちは運命という大いなる力を改変しようとしている。どんな変化を起きても不思議じゃない」

「……それって、襲われる時期もずれる可能性があるってことか?」

「ずれるかもしれないし、ずれないかもしれない」

「なんだよ。それ」

「常に油断するなって言ってんの」

「四六時中気を張れなんて無理だよ」

「私たちの敵はウタちゃんであると同時に運命でもある。決定づけられた運命を強引に捻じ曲げるには、強い意志と決意が必要なの。それを忘れないで」


 羽衣石の声は、潜めているものの剣幕がある言い方だった。沖田は夢でもゲームでもないリアルな死が、刻々と迫っているのを再認識した。

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