第18話 落石

 望もうが望むまいが、容赦なく動き出してしまうことがある。自分の人生であるのにだ。それは予告もなく坂を転がり落ちる岩と同じで、方向を変えたり弾んだりして、己の意思ではコントロールすることはできない。ただどこへ向かうのかしっかり見定め、まともにぶつかって大怪我を負うのを避けるしかない。

 この数日間で沖田が身に付けた人生観だ。

 昼休みになったので、沖田は学校を抜け出した。まだマスコミ関係者が生徒を捕まえようと待ち構えている。まるで屍肉を貪るハイエナだ。嫌悪感を胸にフェンスを飛び越えて出た。これではまるで、ウタちゃんを追っている沖田の方が逃亡者みたいだ。

 初秋の風に髪を撫でられ目指したのは、有名なハンバーガーチェーン店だった。今朝の段階で羽衣石と打ち合わせをして、落ち合う約束をしていたのだ。

羽衣石は先に来ていた。角の四人掛けの席を陣取っている。昼時だから、店内はそこそこ込み合っている。サラリーマンや子供を連れた主婦たちに白い目を向けられているが、意にも介さない堂々とした佇まいで、コーヒーを啜っている。

 沖田の姿を認めると、手招きして呼んだ。学校から早足で来たので喉が乾いていた。それに場所だけ借りるわけにはいかない。コーラのLサイズを買って席に着いた。注目されている西原高校の制服を着たままだが、縮こまっていてはよけいに目立ってしまう。早退して帰宅途中に立ち寄ったという設定を自分に言い聞かせて、羽衣石と同じように堂々と振る舞った。


「ご飯はいいの?」

「弁当持ってるから。学校に戻ってから食うよ」

「それで? なにか掴めた?」


 昼飯の心配は、ただのお愛想だったようだ。羽衣石はすぐに本題に入った。


「ダンス部に、杉本藍歌と宇田川莉緒ってのがいた」

「すぎもと、あいか……。あいか。私に似た名前。気に入らない。うだがわりおってのも、決定打に欠けるな……」


 羽衣石は軽い苛立ちを顕わにした。どう反応すれば良いのか分からず、沖田は黙ってコーラを啜った。


「その子たちがウタちゃん候補ってわけ?」

「いや、二人ともウタちゃんとは呼ばれていない。そもそもダンス部にウタちゃんって呼ばれてる子なんていない」

「………………」


 羽衣石は、腕と脚を組んで考え込む。視線の先にはテーブルに乗っている飲みかけのコーヒーがあるが、きっと映しているものは違うなにかだ。


「昌宏はどう思う?」

「まだなんとも……。実際に会ってみれば、分かるかもしれない」

「それはダメよ。昌宏が目撃者だと知られるわけにはいかない」

「そうは言っても、それ以外確かめようがないだろ」

「ある。確かめる方法ならあるよ。マスコット人形のことを忘れないで。二人のうち、どっちかが今は持っていないはず……」

「マスコット人形って、ハンジローのこと?」


 いきなり頭上から声がしたので、心臓に痛みが走るほど驚いた。羽衣石も目を見開いている。学校から十分に離れた場所で、しかも声を潜めて話していたので、油断してしまっていた。

 振り返ると、関口が仕切り板から頭を出していた。好奇心とは違うなにかを含んだ目で、沖田たちを凝視している。


「誰っ!?」


 たちまち羽衣石が敵意を剥き出しにした。聞かれた内容が極秘なこともあるが、単なるお喋りだったとしても、後ろで聞き耳を立てる者に怒りを覚えるのは当然といえた。

 いち早く気を取り直したのは、沖田の方だった。


「せ……千晶さん? なんでここに?」

「尾行したの。今朝は話を途中で打ち切られちゃったから」

「尾行って……」

「だから誰よっ?」


 羽衣石は意外なほど興奮している。沖田は両手で鎮まれのポーズを取りながら説明した。


「この子は大丈夫。さっき説明した話を教えてくれた子だよ」

「沖田も隅に置けないじゃん。年上の女と密会なんて」

「ばっ。そんなんじゃないって」


 関口は二人に断りもせず、回り込んで沖田の隣に座った。プラスチックの容器を持っている。中身はアイスキャラメルラテだった。


「ねえ、ハンジローがどうしたって?」


 関口の訊き方には遠慮がなかった。たじろいでしまうほど顔が近い。


「なんのつもりで来たのか知らないけど、もう帰りなさい。あなたには関係のないことなの」

「おばさんには訊いてない。うちは沖田くんに訊いてるの」

「お、ば、さ、ん?」


 明らかに関口の挑発だった。羽衣石にもそれが分からないはずはなかったが、年齢のことを触れられると無視できないのは女の本能か。


「昌宏。こいつ怪しい。もしかしてこいつが……」


 羽衣石が言わんとしていることを察し、沖田は思わず関口から離れた。沖田の反応を訝りながらも、関口は反論してきた。


「怪しいのはそっちでしょ。ダンス部員のことを嗅ぎ回ったりして」


 切り込みの鋭さに、一瞬、二人は口をきつく結んだ。


「明日菜のことと関係してるんでしょ? 教えて」


 関口の口調に必死さが加わった。抱いた懸念は四散し、本気で柳井明日菜を悼んでいるのが伝わった。

 彼女の真剣さを感じ取ったのは羽衣石も同様らしく、攻撃的な物腰は鳴りを潜め、彼女の真意を探ろうとする観察者の目になっていた。

 ここに至って沖田は確信した。

 関口と柳井は単なるチームメイト以上の繋がりがあったのだ。


「千昌さんと柳井さんとは、その……」


 関口は睨むように沖田を見ると、ポケットから人形を取り出した。


「あ」


 例のマスコット人形だ。関口はハンジローと呼んでいた。ダンス部員である関口が所持していても不思議ではなかったが、軽い驚きを覚えたのはハンジローが二つあることだった。


「明日菜の形見分けに貰ってきたの。彼女の家には何回も行ってて、ご両親とも顔見知りだから……」

「チームメイトというより、友達だったんだね……?」


 沖田の問いと呟きが綯交ぜになった言葉に、関口の目が充血した。


「明日菜とはおな中でさ、踊るのが好きってこともあって、しょっちゅうつるんでた……。将来は二人でユニット組んで、有名な大会に出ようって約束してたのに……こんなのってないよ」


 関口の絶望に胸が詰まる。呼吸が苦しくなり、言葉が出ない。だが、今はその方が良い。悲しみの底にいる者にとって、下手な慰めは安っぽい三文芝居にしかならない。

 教室での彼女は、少し落ち込んでいる程度にしか映らなかったが、感情を必死に抑え込んで虚勢を張っていただけなのだ。


「明日菜のことでなにか知ってるなら、教えて。明日菜を殺した奴がのうのうと暮らしてるなんて、納得できないよ」

「それは……」


 沖田は視線を羽衣石に移した。情けないことだが、どう対応するのが正解なのか判断が付かなかった。命を賭したルーレットを前に、ボールを投げる手が止まってしまった。

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