第16話 光

 沖田たちは角のテーブルを確保した。通勤通学のピークを過ぎたばかりなので客は少なく、秘密の会話をするには丁度良かった。

 座ったものの女は喋り出す様子はなく、じっと沖田を見つめていた。居心地が悪くなるがこちらから話したら、どんなボロが出るか分からなかった。女が何者なのか。なにを知っているのか。なにが目的で接触してきたのか。用心深く探りを入れなくてはならない。生き残るためだ。

 どう切り出そうかと窺っていると、女の方から喋り始めた。


「やっぱり、まだあどけなさが残ってるね」

「?」

「こんな感じだったかなって、思い出しちゃった」

「俺のことを知ってるのか?」

「知ってるよ。よぉく知ってる」


 女は謎めいた笑みを浮かべた。沖田は記憶を探ったが、どうしても思い出せなかった。これほど印象的な人に会ったら、忘れるはずがないのだが。


「自己紹介がまだだったね。私は羽衣石愛莉ういしあいり。愛莉って呼んで」

「はあ……」


 自分に害なす可能性がある相手なのに、思わず弛んだ返事をしてしまった。自分より年下の男に下の名前で呼ばせようとするところに、なんとなくしな垂れた歪さを感じた。


「単刀直入に言うわ。あなた、十一月に殺されるよ」


 みぞおちに杭を打ち込まれた。時越えの秘密を暴露された時は驚いたが、今の予言はそれ以上に驚いた。そして、はっきりと悟った。この女は知っている。自分の未来を知っているのだ。


「……マジで誰なんだ?」

「私が誰かなんて、些細なこと。重要なのは、昌宏がこれから迎える危機をいかにして乗りきるかよ」

「………………」


 羽衣石の真意が読み取れない。生きながらえるために真相を突き止める決意はしたものの、第三者から言われると、果たしてそれは可能なのかと逆に覚束なくなる。


「私は味方よ」


 沖田は、一瞬だけ息を止めた。羽衣石が放った一言は力強く、揺るがない覚悟があった。味方。孤立無援の沖田にとっては、喉から手が出るくらいありがたいものだ。

 不覚にも涙を溢しそうになった。自覚はなかったが、精神的に追い詰められて相当脆くなっていた証拠だ。

 こね繰り回す疑念をかなぐり捨てて、全幅の信頼を寄せたいと心が傾いたが、はたして信じて良いのものだろうか?


「……犯人を知っているのか?」

「残念ながら、それは分からない」


 沖田は落胆しかかるが、羽衣石は続けた。


「でも、かなり範囲を狭められる。昌宏を殺す犯人は西原高校にいる。十一月までの間に犯人を特定しなければならない」


 羽衣石が喋るにつれて鼓動が激しくなる。柳井が砕けた口調で犯人と話していたことから、自分もそうではないかと当たりを付けていた。

 羽衣石はなにに基づいて推理を展開させたのか。しかも、その言い方には証拠を得ているかのような確かさがある。


「なぜ、学校の関係者だと?」

「学校関係者というより、西原高校のダンス部に所属している者よ。昌宏、現場でマスコット人形を拾ったでしょ」


 沖田の心臓に再び針が刺さった。痛みは脳髄まで駆け上がり、背中が粟立つのを自覚した。


「……見てたのか? あんた、あそこにいたのか?」


 羽衣石は沖田の質問を無視して、話を続けた。


「あの人形は、西原高校ダンス部のマスコットよ。部員は全員持ってる」


 羽衣石の発言は、驚かされるものばかりだった。たしかにそうだ。どこかで見たことがあると、ずっと引っ掛かっていた。ダンス部に限らず、部活にはまったく興味がない。だから何度も目にしていながら、意識からすり抜けていたのだ。


「けどっ、けど、ダンス部員とは限らないだろ? 限定商品ってわけじゃあるまいし、誰でも持てるもんじゃないのか?」

「ううん。西原高校ダンス部はなによりも結束を重んじてる。部のマスコットを周囲に配るマネはしていない。たとえ応援してくれている人にもね。持っているのは部員だけよ。そして、それはウタちゃんが落としたもの」

「っ!」


 ウタちゃんという愛称まで出てきた。もう疑いようがない。なにがどうなっているのか分からないが、羽衣石は一連の出来事を知っているのだ。しかも自分よりも多くのことを……。


「なんで、そんなこと言いきれる? 羽衣石……さんはどこまで知っているんだ」

「愛莉よ。私のことは愛莉と呼びなさい。今話した以上のことは知らない。犯人さえ分かれば、手っ取り早かったんだけど……」


 羽衣石は悔しげに眉根を寄せた。情報を出し惜しみしている気配はないが、中途半端に知っているところが、よけいに掴みどころのない人物像を作り出している。

 なにもかもが得体が知れなかったが、羽衣石の話には信憑性があると直感が告げてきた。一人ではやれることに限界があるし、空回りする可能性だって高かった。五里霧中の中で、味方と称する者が現れたのは天の配剤と信じるしかない。……今は。


「……じゃあ、ダンス部員で、人形を持っていない者が……」

「ウタちゃんってことになる。昌宏は、ウタちゃんの正体を掴まなくては殺される運命にある」


 死への運命を回避できる……。

 羽衣石は真っ直ぐに沖田を見つめている。正体が不透明であることを忘れさせるくらい透き通った真剣な眼差しだ。光。羽衣石愛莉は、暗闇の中に突如射し込まれた一筋の光なのか。沖田の中で、閉ざされていた重たい扉が開いた。


「……協力してくれるのか?」

「私はそのために来たの」


 羽衣石は、白い歯を見せて初めて微笑んだ。正体不明ゆえの躊躇いは拭いきれないが、なにもかも委ねてしまいたくなるような蠱惑的な微笑みだった。

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