第15話 謎の女

 衝撃の事件から十日が経過した。ニュースなどの報道が連日流され、西原高校にもマスコミ関係者が現れた。被害者が女子高生であることも広く世間に知られる材料となった。なにしろ、実名と学校がニュースで流されてしまったのだから隠しようがなかった。

 学校側はマスコミに対して生徒への接触はしないよう要求したが、倫理観に欠けた連中には暖簾に腕押しだ。無遠慮にマイクとカメラを向ける者に対して、教師陣が割って入る光景があちこちで散見され、学校の周囲は異常な緊張感に包まれた。

 生徒側への指示も徹底しており、マスコミへに取材された場合はノーコメントで徹底しろとの箝口令が敷かれた。下校もなるべくグループを作り寄り道などしないよう強く言われている。

 熱波渦巻く異様な雰囲気の中、柳井に関する話題が次々と耳に入ってきたが、そのほとんどがSNSと同じ内容だった。つまり、無責任な憶測の域を出ず犯人に繋がるヒントは皆無だった。被害者が命を落とす痛ましい事件であるにも関わらず、あからさまに揶揄する響きを纏っている会話まで飛び交い、人の繋がりの薄っぺらさを見せつけられる。校内の尖った空気に劣らず、沖田の胸中も穏やかではなかった。

 嵐のように駆け抜ける日々の中、沖田の調査は遅々として進まなかった。沼に沈む泥のように、焦燥が確実に嵩を増していく。

 しかし、と沖田は思考を切り替える。ウタちゃんの方も目撃者の正体、すなわち沖田を掴んでいないと確信した。逃走する際、辛うじて顔は見られなかったようだ。もし見られていたのならば、十日間も悠長に構えているわけはないし、電流が走るような圧も感じられない。ウタちゃんの方も、沖田に迫ろうと躍起になっているに違いないのだ。

 むこうは西原高校の生徒であることしか分かっていない。それに対して、沖田の方は現場で拾ったマスコット人形がある。これがウタちゃんに近づく唯一にして最大の手掛かりだと思っているが、なにをどうすればウタちゃんに繋がるのか、皆目分からなかった。警察に提供すれば様々なことが分かるだろうが、それは最終手段と決めた。あれから熟考に熟考を重ねたが、警察は頼らない方向で進むのが正しい道と思えた。なぜなら、自分の動きを悟られた場合、ウタちゃんに首を差し出すようなものだからだ。死への運命を知っている沖田からすれば、警察に保護を求めたとしても安心はできなかった。死はいとも容易く警察の包囲網を掻い潜って沖田にたどり着くと思われた。怖れが鎖となって活動範囲を極端に狭めてしまっている。

 ウタちゃんの正体を掴まなくてはならないのに、迂闊な行動には出られない。二律背反に押し潰されそうな悶々とした眠れぬ日々を過ごした。

 重たいまぶたを無理矢理持ち上げて、今日もいつも通りに家を出た。どんなに気が重たくても、学校を休むつもりはなかった。柳井が西原高校の生徒であり、ウタちゃんとは歪ながらも親しげな間柄のように感じた。学校での柳井の生活を知ることこそが、犯人に近づくために必要な行程だと思っているからだ。

 彼女の素性を調べれば、ウタちゃんに繋がる情報が得られる可能性がある……というより、沖田にはそれくらいしかできなかった。

 柳井明日菜は三年C組の生徒で、ダンス部の副キャプテンを務めていた。マスコミは、未成年であろうと被害者の情報は遠慮なく報道する。加害者の情報は伏せるのに、被害者やその家族に対しては、報道の自由を盾に容赦なく人権を蹂躙する。その歪んだ報道体制は、怪物の触手を連想させる悍ましさがあり、憤りを感じた。

 もっと酷かったのはインターネットへの書き込みだ。有名なSNSで、柳井に関する噂は飛び火していた。人の口に戸は立てられないのは、今も昔も一緒だ。誰でも気軽に情報の発信源になれるし、携帯端末がある分、昔に比べて広がる範囲に際限がない。憶測や邪推が混ざり、誰にも止められない大波となって家族や周囲の人間を苦しめる混濁した事態に発展する。

 同情や憐憫もあるにはあったが、大抵は誹謗中傷、冷やかしなど、好奇心を満たすだけの無責任な内容が横行し、柳井明日菜という一人の人間の尊厳を玩具のように転がし傷つけた。殺された後も好奇の目に晒されたのでは、彼女も浮かばれまい。

 SNSを覗くのは沖田の趣味ではなかったが、自分には知る権利があると割り切った。報道陣が弄する詭弁を自分も使っていることに強い嫌悪感を抱きながらも、スマートフォンを弄った。様々なコミュニティサイトから情報を得ようとしたが、あまりの軽佻浮薄な拡散に溜息を吐いた。

 無駄だ……。どいつもこいつも好き勝手な憶測ばかり書き込んでやがる。なんの参考にもなりゃしない。それに、これだけの数のコミュニティサイト……ネットから有益な情報を得るなんて、砂漠の中から一粒のダイヤを見つけるようなもんだ。ただ単に覗き見るだけじゃ駄目だ。やり方を変えないと……。

 登校時の駅前ともなれば、それなりに人の数も多い。追い抜いたり追い越されたり、すれ違ったり並んで歩いたりと、人と人の距離がどうしても近い。

 だから前から歩いてきた女性に声を掛けられた時には、目を見開くほど驚いた。


「沖田昌宏くん?」

「え?」


 沖田はとっさに身構えた。不思議かつ息苦しい経験の連続が、精神を鋭く尖らせていた。

 呼び掛けてきた女性は沖田より年上で、二十代前半と思われた。髪はナチュラルレイヤーショートボブで明るいミルクティーブラウンで染めている。はっきりとした目元は強い意思を感じさせた。女性のファッションには詳しくないが、他の同年代の女性とは少し違うようで、一線を画した存在感を主張していた。年上相手だが、沖田の好みにぴったりとはまった。

 最初に思ったのは、ウタちゃんだ。しかし、彼女の髪の毛は腰の近くまで伸びたロングだったし、目の前の女の体つきはウタちゃんに比べて貧相ではない。むしろシャツの下からでも主張してくる胸の膨らみは、ウタちゃんにはなかったものだ。それになにより、人を殺した者が放つであろう禍々しい気配が皆無だった。

 ウタちゃんではない。だとすると、目の前の女は何者だろうか? 次に思い浮かんだのはマスコミ関係者だったが、それもおかしい。マスコミは連日押し寄せているが、それは学校周辺にであって、離れた地域から電車を利用して通う一個人にマイクを向けるなど考えられない。

 沖田の中では、警報が鳴り続けていた。事件の発生後に接触してきた正体が分からない相手だ。迷うことなく対応は決まった。この女とは関わらない方が良い。


「あの、急いでるんで」


 女の横をすり抜けようとした。


「あなた、時を越えたでしょ」


 囁くような言い方だった。それでも、沖田の動きを止めるには十分な効果を発揮した。周囲の雑踏がいきなり遠退き、空間が凍った。

 沖田は女を凝視した。


「あんた……誰だ?」

「立ち話できる内容じゃないのは、想像つくでしょ。コーヒーでも飲みながら話しましょうか」


 なぜか女は勝ち誇った様子だった。視線でコーヒーショップを促した。全国に展開しているチェーン店だ。沖田は不気味さを感じた。女は時越えの事実を知っている。それは楔となって沖田の選択を制限した。

 ……逃げるか? 

 女の得体の知れなさが臆病風を招いた。ウタちゃんではないのは確かだが、今は周りすべてが敵に思える。怖い。どうしょうもなく怖かった。腕力では絶対に勝てる相手に、滑稽なほど怯えてしまっている。


「…………」


 張り詰めた思考が、逃げても無駄だと訴えた。諦念とは違う。ここで逃げ出したとして、この女は再び自分の前に現れる。確信に近い予感があった。この場合、距離を取った方が危険だ。こんな町中で襲ってきたりはしない。女の正体を掴むのがもっとも安全な回避手段だ。沖田は腹を括った。

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