第14話 世界線

 結局、沖田は警察には通報しないままその場を去った。汗まみれのまま家路を駆け抜けた。

 夜のニュースで、女子高生が何者かに襲われ死亡した事件が報道された。発見者は、毎日のように仕事帰りに参拝をしている、中年のサラリーマンとのことだ。

 沖田は自分の保身のために警察に知らせなかった。そのため、発見が数時間は遅れた。その数時間が捜査に影響を及ばさないとも限らない。やはりすぐに通報すべきだったのかと、自分の判断に悶え苦しんだ。


「ちょっと、あんたが通う学校じゃない」


 被害に遭ったのが西原高校の学生と知り、母が驚きの声を上げた。


「ああ、そうみたいだね」

「そうみたいって……大変じゃない。あんた、この子と知り合いじゃないの?」


 今や最速の情報源はテレビではなくインターネットだ。ネットニュースサイトで、被害者は柳井明日菜やないあすなであることはすでに知っていた。これまで聞いたこともない名前だった。


「知らない」

「だって、年齢だってあんたと同じじゃない」

「クラスが違うんだよ。違うクラスなら、部活が同じでもない限り交流なんてないよ」

「それにしたって……」


 母はまだなにか言いたそうだったが、今の沖田には煩わしかった。つい先日、再会を喜んだばかりだが、それとこれとは別問題だ。沖田はさっさと階段を上がり自室に籠もってテレビでニュースの続きを観た。最近、テレビはニュースばかり観ていて、以前のようにお笑いやアニメなどは観なくなった。

 規制線が張られた神社の映像が流されていた。暗い闇に浮き立つ鳥居や社殿は、どこか禍々しく映し出されている。ライブではない。通報されてから駆けつけた報道陣が撮影したものだ。

 沖田は、数時間前にはあそこの裏で一人でいたのだ。そして、あの惨劇を目撃した。警察の鑑識が行われているのだろうが、神社は老若男女が利用する解放された空間だ。現場では死体を調べる以上のものは出てこない気がした。

 ずっと疑問だった殺される理由が分かった。殺人現場を目撃し、しかも犯人に気取られてしまった。あのワンピースの女が、自分の命を狙う襲撃者だ。扼殺されたというから、犯人は男だと決めてかかっていた。

 未来で読んだ新聞の記事が頭に反芻される。自分が殺されたという内容に衝撃を受けて、隅から隅までは読まなかった。もっと落ち着いて熟読すれば、今日起こった事件との関連を示唆する文章もあったかもしれない。自分がここまで迂闊な人間だったなんて、今まで考えたこともなかった。

 今日だってそうだ。沖田は未来での行動を後悔すると同時に、夕方の対処の浅さも後悔していた。もっと落ち着いて観察すれば、犯人が分かった。帽子のつばで隠れた顔を見ることができたのだ。一度きりのチャンスをむざむざ逃してしまった。

 極度の興奮を経験した後の独特の疲れが、ずっしりと体を重たくした。


「………………」


 机の一点を凝視する。視線の先にあるのは、思いがけずに持ち帰ってしまったフェルトの猫だ。もしかしたら警察の捜査の妨げになるとんでもない行為だったのではないかと後悔があるが、今さら戻しに行く気は起きなかった。

 これはどっちが落とした物だ? 被害者の柳井明日菜か、犯人が落としたのは間違いない。たしか『ウタちゃん』と呼ばれていた。

 この猫と犯人がウタちゃんと呼ばれていることが、自分に与えられた材料だ。たったの二つ。これだけで敵の正体に迫らなければならない。そんなことが可能なのだろうか? 命が懸かっているにも関わらず、心が萎えそうになる。

 今からでもこれを持って警察に行くか?

 未来では犯人は未逮捕のまま終わっていた。もしかして、自分がこれを現場から持ち去ってしまったせいか? これを警察に渡してありのままを話せば、ウタちゃんは捕まり、自分が襲われる未来がなくなるのではないだろうか? しかし、自分の死を知っていたからこそ神社に一人佇んでいたわけで……。

 なにが現実でどこまでが虚構か分からなくなる。今、自分がいるのは黒と白が混ざり合ったグレーゾーンの世界線だ。

 沖田はフェルトの猫を手に取った。とびきりの笑顔で、躍動感あるポーズを取っている。その押しつけがましい元気さが、沖田の神経を逆撫でする。

 熱くなりかける気持ちを抑えて、思考に専念する。拾った時にも思ったことだが、自分はこれと同じ物をどこかで見ている。それがいつどこでだったのかが思い出せない。家の中だったか。町中だったか。校内だったか。それとも訪れた未来であったかも……。ダメだ。気ばかり焦って記憶の襞から掘り出せない。

 こんな調子でウタちゃんの正体にたどり着けるだろうか。いや、やらなければならない。抵抗しなければ、自分はあの女に殺されてしまうのだ。


「殺されてたまるか……」


 沖田はこれからが本当の戦いなのだと思い知る。闘争心と憂慮が同時に内側から湧き上がり、目眩にも似た興奮を禁じ得なかった。

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