第9話 すり減る

 頭の整理がつかないまま、時間だけが経過していく。小泉が教えてくれた死んだ息子というのは、間違いなく自分のことだ。たしか、事故と言っていた。今、こっちに来ていることと、なにか関係あるのだろうか?

 事故ならニュースにならなかったのか。沖田はスマートフォンで検索をした。だが、ブラウザはどこにも繋がらなかった。ネットワークを介したサービスは、なに一つその恩恵を受けることができなくなっていた。通話さえできない。


「ここでは、俺はもういない。とっくに解約されているんだ……」


 いくら操作してもインターネットに繋がらなかったのも、電子マネーで支払いができなかった理由も、これで説明が付く。現代人の必需品である携帯端末が無力と分かり、体の一部がなくなったような喪失感を味わう。焦りに不安が重なり、幼い迷い子のようにその場にしゃがみこみたくなった。

 夜の闇が、沖田を覆い隠さんと被さってくる。精神が消滅しそうな焦燥に、魂さえも自分の形を維持できなくなりそうだ。

 なんとかしなければ……。なんとかして、自分の時代に戻らなくては……。

 この先の行動を決めなくてはならない。しかし、こんなザマでは闇雲に動いても非効率的だ。それくらいの判断力は残っていた。

 ここが未来であろうが、生きている限りは食わねばならないし眠らなければならない。まずは腹を満たしゆっくり休んで、気力と体力を回復させるのが最優先だ。

 やるべきことが決まったら、少しだけ落ち着きを取り戻した。本当ならインターネットカフェに行きたいところだが、現金の残りが心許ない。スマートフォンが使えない以上、支払いは現金に頼るしかない。

 財布の中身を確認する。見慣れない紙幣が数枚入っている。乗車券を購入した際に渡された釣り銭だ。新しい紙幣が発行されたのだ。価値は変わらないし、デザインも簡略化されたわけでもない。それでも、沖田にはちゃちな玩具の紙幣にしか映らなかった。

 仕方なく、沖田は終日営業している駅前のファーストフード店を目指した。深夜に利用したことはないが、二十四時間営業しているのは知っていた。全国で展開されている有名なファーストフード店だ。迷うことなくすぐに着いた。十年経っていようが道まで大きく変化はしていない。見慣れた看板に気持ちが鎮静する。ハンバーガーとコーヒーで朝まで粘るつもりだった。


「ん?」


 驚いたことに、ガラス張りのドアには営業時間が記されていた。朝の八時から深夜の一時までとある。


「二十四時間営業じゃなくなっている……?」


 二〇一九年辺りから、ファミリーレストランなどの飲食店やコンビニエンスストアの終日営業の減少傾向が始まった。深夜の客足が大幅に減少した背景や、労働者を確保するのが難しくなったことが主な理由だ。十年後の世界では無人化が進んでいるが、二十四時間営業からの撤退の風潮は止まらなかったのか。

 迷ったが結局入ることにした。朝まで粘れないのは痛いが、とにかく空腹感を紛らわし体を休めたかった。

 ここも店員の姿がなかった。注文も受け取りも、完全なセルフサービスだ。支払いは大丈夫かと心配したが、隅の方に現金対応の精算機が設置されていた。辛うじて店舗にしがみついている様は、どこか忍びなかった。時の流れに置き去りにされた自分と重ね合わせた。

 いや、未来に来ているのだから、置き去りにされたと表現するのはおかしいか……。

 自虐的なジョークに、頼りない笑みが口元に張り付く。

 空腹にハンバーガー一つではとても満たされなかったが、先のことを考えると浪費できなかった。ハンバーガーにかぶりつきコーヒーを啜りながらも、頭の中は回転を止めなかった。

 死ぬのが事実なら、その原因はなんだ? 伝説では、男は過去を改変したとあった。運命を変えることは可能なのか。それになにより、男はどうやって自分の時代に戻ったのか。いや、そもそも戻れたのだったか? その部分は明確にはなっていなかった気がする。

 ここでは、なにもかもが過ぎ去った昔話だ。なにも変えることはできない。どんな事故があって死んでしまったのか、調べることしか……。

 暗くなった町並みを見つめながら咀嚼していたハンバーガーが、急に紙細工のようになった。十分に噛まないまま、コーヒーで強引に流し込む。急いで飲み下したので、熱いコーヒーに喉が灼かれる。

 明日、図書館に行ってみよう。図書館なら金が掛からないし、調べ物をするのにこれ以上便利な場所はない。

 あらゆる情報がスマートフォンから収集できるようになってから図書館など足が遠のいていたが、頭の中にいくつかの候補が思い浮かんだ。少し歩くが、自宅周辺に二~三ヵ所あったはずだ。

 理由は分からないが、幼少の頃に図書館で読んだ絵本を思い出した。うろ覚えだが、猫が飛行機で旅をする内容で、ひたすら「ごろごろ にゃーん」と言い続けている不思議な絵本だった。回想から苦悶へと心情はグラデーションに変化していく。

 ……本当に自分が死んだ記録を見つけてしまったら、どうすれば良いんだ? 発見したとして、起きてしまったことはどうにもできない。より大きなショックを受けて、途方に暮れるだけで終わってしまうのではないか?

 賑やかな声が沖田の煩悶を遮った。背後では男女のグループが談笑している。ここはハンバーガーショップだ。インターネットカフェと違って、個室など設けられていない。普段なら気にも留めないが、今夜はやけに耳に障った。とても落ち着ける環境ではなかった。それでも、屋根のある場所で休めるだけありがたいと思わなければならない。

 ゴミを乗せたトレーを傍らに退け、沖田はテーブルにうつ伏せになった。一時間程度なら構わないだろう。ここには注意する店員もいない。動けるだけの活力が戻ったら、改めてインターネットカフェに行くつもりだった。金がもったいないが、外で一晩を過ごすわけにはいかない。こんなことなら、はじめからそっちを利用すれば良かったと後悔した。


「……父さんと母さんは、どこに引っ越したんだろう」


 自分の死を両親はどう受け止めたのか。二人の沈痛を思うと胸が張り裂けそうになる。きつく目を瞑り、気力と体力が回復するのをひたすら待った。

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