第1話 前夜

 照明が十分にあるのはありがたいが、長時間狭い空間に閉じ籠もっていると、明るさが逆に網膜を刺激し疲れてくる。

 今は午前一時をちょっと過ぎた頃だ。ここはY県に所在するT駅のすぐ近くで営業しているインターネットカフェ『リベラリズモ』の一人用鍵付個室だ。

 有料でインターネットにアクセス可能なパソコンを利用するのが主な目的の施設なのだが、他にもコミックや雑誌を読めたりテレビの視聴ができたり、更にはパソコンを利用したゲームやカラオケに興じたりもできるアミューズメント施設として機能しており、インターネットカフェも利用目的は多様化している。

 そして、鍵付完全個室があることから、ホテル代わりに宿泊目当てで来店する者も一定数いる。この時間ともなるとすでに就寝している者も多く、適度な静けさを維持していた。

 ワイドモニターから滲み出る光が、目に厳しくなってきた。利用しているのは有名なマップサイトだ。映し出された場所は、今いる場所から35㎞ほど南東に位置していた。マウスを操作して画像を拡大すると、それまで出てこなかった店名や通りの名前などが表示された。

 目的地を再度確認し、より詳細な位置を調べてみる。山への入り口になっているらしく、周囲より濃い緑で表示されている。


「交通手段はなにがあるかな……」


 沖田昌宏おきたまさひろは、一度腰を浮かせてデスクチェアに座り直した。もう二時間ばかりモニターとにらめっこしているので、いい加減腰が凝り固まっていた。

 インターネットは現代の魔法だ。部屋にいながらにして、あらゆる情報を得ることができる。

 これ以上文明が発達したら、人間は思考する必要がなくなってバカになってしまうんじゃないのか? 人が考えるのを止めた時、それは人と呼んで良い生き物なのか? AIに支配されたデストピアな未来も絵空事ではなくなっているのではないだろうか……。

 漠然とした不安を感じながらも、マウスを転がす手を止めようとは考えなかった。そんな時代になっている頃には、とうに寿命で死んでいるだろう。AIと脳を融合させるなどと恐ろしい予言もあるらしいが、自分が死んだ後の世界がどうなろうが知ったことではないとの開き直りもあった。

 目的の場所まで行くにはタクシーを利用するしかなかったが、地元の交通情報を調べたらバスで途中までは行けると分かった。時刻表が提示されるサイトに飛んでみたら、一時間に一本と出ている。しかも、それは日中だけで最終便は四時台だ。それ以降は翌朝の九時まで運行していない。


「は~……」


 軽い驚きを抱いた。地元の人に知られたら気分を害するだろうが、東京で生まれ育った沖田からしてみれば、本当に日本国内なのかと疑いたくなるほどの不便さだ。駅前はさすがに人の往来があったが、少し離れた場所では歩いている人は皆無といって良いほどで、代わりに行き交う自動車が目に付いたのを思い出した。ここの人たちは移動するのに自家用車を利用するのが当たり前で、公共の交通機関はあまり利用しないのだろう。

 行き帰りに費やす時間を、ちゃんと計算しなくてはならない。もっと詳細に調べるために画面をスクロールさせた。

 とくに喉は渇いていなかったが、口に寂しさを覚えた。客なら誰でも利用できるフリーのドリンクを利用した。何杯飲んでも無料なのだからと、さっきからいろんな飲み物を試している。ダイエットコーラにオレンジジュース。ウーロン茶、コーヒーに紅茶。脈絡のない飲み方で腹が重たくなっているしトイレにも何度も足を運んでいるが、旅先でまで行儀良くすることもあるまいと、ちょっとだけ恥の掻き捨てを演じてみる。咎める者がいない奔放な時間は背徳的な開放感があり、くすぐったい心地好さがあった。今度は熱いコーヒーを選んだ。

 一夜の寝床となった個室に戻り、さっそくコーヒーを啜った。室内は空調が効いて程よく冷えているから、熱いコーヒーも美味い。


「……よし、八時にここを出るか」


 このインターネットカフェにはモーニングサービスがある。朝の六時から十時半までは食パンが食べ放題だ。ありがたいことに、食パン焼き機とバターも無料で利用できる。あまり旅費を捻出できない沖田にとっては、至れり尽くせりの施設だ。朝はゆっくりと腹ごしらえをしてから出発すれば良い。

 明日の行程を思い描きながら、沖田はパソコンをスリープしようとマウスを動かした。モニターの右下に表示されている時刻は、いつの間にか午前二時を過ぎていた。他の個室から、まだなにか作業をしている音が漏れ聞こえてくる。自分は旅費を浮かせるためにインターネットカフェを宿泊施設代わりに利用しているのだが、それ以外のやむを得ない理由で使っている人もたくさんいるのだろう。

 終わらない仕事を片付けるために事務所代わりにしている者。読破したかった漫画を一気読みしに来ている者。自宅のパソコンでは閲覧するのに躊躇われるサイトを覗き見る者。ただ単に家に帰りたくない者、あるいは帰る家がない者……。どんな人生を送っている者にも、時間は等しく通り過ぎていく。

 混濁した匂いが充満する室内で、沖田は目を閉じ眠ることに集中した。

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