明日みる夢

雪方麻耶

プロローグ

 枝葉が日光を遮っていたが、それでも熱せられた空気は容赦なく纏わりついてきた。少しでも直射日光を避けようと、自分の体を影に重ねて進む。暑さもきつかったが、さらに精神を圧迫するのが蝉の大合唱だ。「森は我々の領域だ。人間なぞ立ち去れ」と言わんばかりに大音量の攻撃を仕掛けてくる。

 女は焦っていた。これで何度目の挑戦だったか。数えることに意味などないと敢えて無視してからも、かなりの回数を経た。

 女はどこに赴けば良いのか分からなかった。目的地はある。だが場所が分からない。この界隈であるのは間違いないのだが、詳細までは彼は語ってくれなかった。途切れ途切れに語ってくれたのは古びたバス停と謎の老人……。耳を劈く蝉時雨の話も聞いていた。来る度に嫌になるほどの音の土砂降りを味わっているので、いい加減辟易する。

 少し頼りないところがあり、そこもまた可愛いと思っていたが、こうも苦労を重ねるともっとしつこいくらいに聞き出しておくべきだったと苛立たしくなる。

 時間も資金も有限だ。探すべきポイントが間違っているのか、それとも微妙なタイミングが要求されるのか。なんにせよ手掛かりが少なすぎた。

 これから先、いつまで探索を重ねなければならないのか考えると、気力が萎えそうになる。弱気が首をもたげる度に頭を振る。彼の声、彼の笑顔、彼の髪、彼の指先を思い出し、重たくなった脚を前進させる。

 何時間も森の中を彷徨い歩いた。同じ道を行ったり来たりを繰り返したり、獣道と呼べそうなほど細く荒れたところにも入り込んだ。それこそ熊や猪に遭遇してもおかしくない。ここは彼らのための自然の狩場だ。鋭い爪や牙で襲われる場面を想像し、気持ちを縮こませながら歩を進める。喉の渇きが限界に近づき、滴る汗が重たい体をさらに重たくした。そして、生きとし生けるものを攻撃するかのような強烈な太陽も、徐々に西へと沈みかけてきた。

 今回もダメだったか……。

 我慢していた寂しさが一気に全身を巡る。それでも諦めるつもりは毛頭なかった。この無念さを次回の糧にしなければならない。


「何度だって来てやる。絶対に諦めるもんか」


 日が完全に沈みきる前に、滞在しているホテルに帰らなければならない。踵を返すと、いつの間にいたのか一人の老人が佇んでいた。

 老人は明らかに異質だった。市街地からかなり離れているというのに荷物の一つも所持していない。ここら辺は山の入り口とも呼べる場所で、周囲には民家などないはずだった。

 老人はこの熱さの中、汗の一粒も伝っておらず、風雪に耐えた枯れ木のような厳かさを醸し出している。まるで老人の周囲だけ、時間が止まっているかのようだった。

 女の心臓が大きく脈打った。老人の風貌は、漂う雰囲気は、彼から聞かされた説明と合致している。

 唾を飲み込もうとしたが、カラカラに乾いた喉は上手く開いてくれない。ひっついてしまった食道をこじ開けるのに痛みさえ感じた。

 とうとう見つけた……。とうとう……。

 必死に抑えようとするも、感情の高鳴りが止まらない。

 彼が言っていたことは本当だった。当然だ。彼は私には真実しか言わなかった。

 あれだけ圧し掛かっていた疲労感を置き去りにして、女は棒になった脚を必死に動かし老人に駆け寄った。

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