秘録


「ん……」


「起きた?」


 蓮華れんげが目を開けると上から神宮寺じんぐうじがのぞきこんでいた。ベッドにいるが見覚えのない場所だ。状況がのみ込めなくて焦る。


「えっ? えっ!?」


「お店を出たけど柚莉ゆうりが歩けなくて」


「ここ…は……?」


「ビジネスホテル。柚莉が寝てしまったから近くのホテルに入ったんだ」


 困惑しながら体を起こすと目が回って力が入らず体勢を崩した。とっさに支えると、反射的に柚莉の体がこわばった。


(警戒している。オレに触れられるのが嫌なの?)


 また青龍寺しょうりゅうじのことが思い浮かんだ。


 柚莉とは時間をかけて下の名前を呼び合うような仲を築いていった。ところが突然現れたあの男は親しげに話し、名前で呼び合っている。しかも青龍寺が腕を見せてと言うと、柚莉はためらいもなく手を差し出し、彼の好きにさせていた。


(青龍寺さんが触れても嫌がらなかったのに。なんで――)


 支えるために触れただけなのに過剰に反応する柚莉にいら立ちを感じて、つかんでいる手に力が入る。


 腕をつかむ力がどんどん強くなって柚莉は痛みを訴えた。


「い、痛い。立助りゅうすけ、痛いよ」


 上目遣いで見ている目には警戒心がありありとでている。あの男との態度の違いにイライラしてくる。感情を抑えながら質問した。


「あの人はよくて、オレはダメなの?」


「え……?」


 うまく聞き取れなくて聞き返してきたけどそれには答えず、下を向いたまま話を続けていく。


「ねえ、柚莉。この前、青龍寺さんとどこへ行ったの?」


 いきなり青龍寺のことを問われて柚莉は困惑した。すぐには思い出せず、少し考えてから彼が大学へ来た日のことを言っていると気づいて素直に答えた。


「ドライブだよ」


「それだけ?」


「うん」


「本当に……ドライブだけ?」


「うん」


 ぎりっと歯を食いしばると伏せていた顔を上げて柚莉の目をとらえた。もう感情を抑えることができないでいる。


 怒っていることに気づいた柚莉は初めて見る姿に驚いて後ろへ体が動いた。ところが腕をつかまれているので動きが止まる。ただならぬ雰囲気に声をだせずにいると、また聞いてきた。


「じゃあ、なんで翌日同じ服だったの? 家に帰らなかったんだよね?」


「えと……ホテルに泊まったんだ」


「ホテルに?」


「海――」


 あの日は、青龍寺とバイクでドライブをした。行った先の海で自分がジーンズをぬらしてしまった。日はすでに落ちてて寒かったのでバイクで帰るのはやめて、ビジネスホテルに泊まることになった――。説明しようとしたが遮られた。


「ホテルで何したの?」


 強引に引き寄せられ、冷静な口調でいるけど見据えている目には怒りが宿っている。初めて見る様子に気圧されてしまい、柚莉は言葉がでてこない。


「ねえ、言えないことでもしてた?」


 口調はさっきよりあらくなっていて、つかんでいる手には力が入っている。急に怒り始めた友人に困惑し、理由もわからないので柚莉は何も言えずにいる。


 固まっている柚莉の顔へ手を伸ばした。びくっと反応して離れようとしたが、腕をつかんでいるから逃げられない。そのまま首元へ手を伸ばしていき、指先で首筋に触れた。


 きれいな首元に指を当てて左右に細かく動かしていく。柚莉が止めようとしてきたので手をとらえた。


「……なんで」


 ふるえる声には怒りがこもっており、怖くなった柚莉は身をすくめた。その間にも容赦なく手を締め上げてくる。


 顔を上げると柚莉をにらみつけ、歯をぎりっと食いしばった。もう感情を抑えきれなくて言ってしまった。


「なんでオレが触れると嫌がるんだっ」


 言い終わると同時に柚莉をベッドに押し倒した。目の前にいる好きな柚莉 ヒト にキスしようと、どんどん顔を近づけていった。


「りゅ、立助! ふざけているのか!?」


 逃げようともがくけど腕をとられて動けない。それでもなんとか振りほどこうと抵抗すると、さらにきつく握られて動きが鈍くなる。


「酔ってるのか! やめろよっ」


 キスしようとしたが顔をそむけた。すると目の前に白いうなじが見えている。跡が残っていた場所が見えて無性に腹が立ってきた。同じ場所に口づけをすると、きつくキスマークをつけ始めた。


「いッ――、痛っ。嫌だ! やめろ!」


(嫌? オレが触れるのは嫌なのか? 青龍寺さんには触れさせたくせに!!

 あんな男に奪われたくない! 誰にも柚莉を渡さない!!)


 嫌がって逃げようともがく柚莉に怒りが頂点に達し、唇を離すと強く歯を立てた。


「やはりヒトは身近にいる人物よりも、よく知らない者にとられるほうが感情が強く動くのか」


「――え?」


 冷ややかな声に驚いて顔を上げるとぎょっとした。さっきまで黒かった柚莉の瞳が赤くなっている。たじろいでいると柚莉はにやりと口元をゆがませた。


「やっと欲をぶつけてくれたな。これで食うことができる」


 見た目は柚莉だが彼の声ではない。柚莉の姿をしたナニカが赤い目を細めたので、ぞわりとして身を離した。すぐさまベッドから降りて距離をとった。


 柚莉の姿をしたナニカは体を起こすと、くすくすと笑っている。ゆっくりと片膝を立てて腕を乗せると美しい顔をゆがめて言った。


「いい色だ。嫉妬は紅葉もみじで、慈しむ気持ちは撫子なでしこ。友情を重んじるのは露草つゆくさで、迷いのあった独占欲は杜若かきつばたとなったか。どの色も完全には混ざらず……。うまそうだ」


 目を離すと襲いかかってきそうで恐ろしい。まばたきもせず凝視していると景色が揺れてる気がした。それでも目をそらさずにいると景色がぶれて視界が狭くなっていく。


(地震? いや、揺れているのはオレの体!?)


 まぶたが落ちると、神宮寺は意識を失って床に倒れた。



 静かになった部屋でわずかにスプリングが鳴ってベッドから人影が降りた。


 倒れている神宮寺のそばへ歩み寄るのは日紫鬼にしきだ。神宮寺のそばに立つと手をかざした。すると体が浮き始め、そのまま床から離れていくと揺れながら移動し、ベッドの上に置かれた。


 日紫鬼は神宮寺の脇へ座り舌なめずりするとあごに手をかけた。口を軽く開かせたらキスをした。


 唇はすぐに離れず、日紫鬼の喉がゆっくりと動いている。


 しばらくして唇を離すと日紫鬼はゆっくりとベッドから離れた。いつもの柔和な表情はなく、赤い目を光らせ冷たく笑っている。


「迷うニンゲンの魂は格別だな。芽生えたばかりの感情は、本人もわかっていないから純粋でどれもうまい」


 満足げな顔をした日紫鬼が見る先には、片方のベッドでは神宮寺が、もう片方には柚莉が寝ている。


「さてと。柚莉は酔いつぶれて、ホテル ここ に来たことすら知らない。店にいたときから記憶がぼやけるようにしたから問題ない。あとは立助か。ずっと柚莉の近くにいたから、どこから修正をかけようか」


 神宮寺や蓮華には見えていなかったが日紫鬼は一日中、二人の近くにいて観察し、時に手を回していた。ホテルに入って神宮寺が目を離した隙に蓮華の姿に化けて入れ替わり、神宮寺の魂をすすった。


 以前から狙っていたが魂が良い色に仕上がるまでそばで見ていた。時間はかかったが待った甲斐はあったようで機嫌がいい。


 日紫鬼は思案していたが面倒くさくなり考えるのをやめた。


「店を出たあと、柚莉を家まで送ったと二人の記憶を書き換えるか」


 赤い目を妖しく光らせて口元をゆがめた。




――― 『玄冬秘録』 了 ―――

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玄冬秘録 神無月そぞろ @coinxcastle

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