待ち焦がれて


 話しやすくて食事も楽しめる。そしてリラックスできるような空間を考えて神宮寺じんぐうじが選んだのはダイニングバーだった。


 大騒ぎする客は見当たらず、かといって静かな感じでもない。会話と食事を楽しんでいて雰囲気がいい。それなのに蓮華れんげは落ち着きなく見渡していて不安そうにしている。


柚莉ゆうりはこんなにお店にあまり行かないの?」


「ちょっと苦手で」


「そっか」


(柚莉は慣れていないんだ。オレがエスコートしてあげよう)


 店員が案内すると、歩きながら客層やトイレの場所などをチェックした。ボックス席に到着したら人があまり通らなくて目立たないほうの席を柚莉に席をすすめた。柚莉が座ると安心して席に着いた。


 初めて二人きりで食事できることにわくわくしている。知らない土地へ初めて訪れた旅行のときのように、何かが起こるんじゃないかと期待していて落ち着かない。


(柚莉にオレ以外の人を近づけさせたくない。このままオレのそばに……。

 いや、ダメだ! 柚莉の意思を尊重しないと。でも柚莉と一緒にいたい。あれ? 何を焦っているんだ? 今は食事を楽しむことに集中しよう)


「何が食べたい?」


「え……と。何がおいしいのかな?」


「食べれないものはある?」


「大丈夫だよ」


「じゃあ、適当に頼むね」


 慣れた様子で店員を呼ぶとメニューを指しながら料理を注文していく。自分の好物を選ぶのではなく、柚莉が喜ぶのを想像して料理を選んでいった。


「おいしい」


「よかった。でも本当に食べたことがないんだね」


「オレ、あまり外に出ないから」


(大学に入ってからは、サークル仲間と食事に行ったり合コンに呼ばれたりすることもあって付き合いが増えた。柚莉はそうじゃないんだ。特別な感じでいいな)


 多くの人と食事をしてきたけど、柚莉と一緒にいるこの瞬間がこれまでのなかでも一番楽しくて、わくわくする気持ちが大きい。


(ビールを飲みすぎたかな。とても気分がいい。

 もっと柚莉に近づきたい。もっと知りたい。まだいつもと同じだ。違う顔を見てみたい……)


「柚莉、ドリンク頼もうか?」


「ウーロン茶をお願い」


二十歳はたちになったよね? お酒も飲んでみたら?」


「うん……。でもお酒はあまり飲みたくないんだ」


「社会人になると付き合いやらで飲まないといけなくなるよ? 今から練習しておいたほうがよくない?」


「そうだね……。今日は……いいかな」


(残念だ。お酒を飲んだ柚莉がどうなるのか見たかったけど無理強いして嫌われたくない)


   ヤレヤレ―― セワガヤケル


「りゅう…すけ、やっぱり、練習しておこう…かな」


 注文しようとした矢先に遠慮がちに言ってきた。柚莉の気持ちが嬉しくて顔が緩んでしまう。「わかった。飲みやすいチューハイを選ぶよ」と言って気が変わる前に注文した。


 チューハイがテーブルに運ばれても躊躇ちゅうちょしてなかなか口をつけずにいる。無理にすすめるようなことをせず柚莉にゆだねたけど、早く飲んでもらいたくてちらちらと見てしまう。


 たわいない話をして食事がすすむうちに、柚莉の手元にあるチューハイが少しずつ減っていく。時間とともに頬がピンクに染まっていき、目がうるんできた。会話のスピードも少しゆっくりになっていて酔っているのがわかる。


(あれ? 注文ミスかな? 頼んだビール以外にチューハイが置かれているぞ。いいや、これも柚莉に)


 話をしているけど半分は上の空で、酔っていく柚莉の様子を見ている。プライベートなことを質問しても答えてくれることがある。大学では見ないガードの緩んだ姿に目が離せないでいる。


(一緒にいるだけで嬉しい。

 この気持ちは酔っているせいなのかな? 柚莉のことをもっと知りたくてたまらない。話すだけじゃなくて、もっと近づきたい。……触れてみたい)


 またテーブルにチューハイが運ばれてきた。柚莉は手に取ると、遠慮気味に飲んでいく。


(甘いにおいがする。これは柚莉から?)


 甘い香りに理性が少しずつとけていく。香りが強くなるたびに意識がぼんやりしてきて鼓動が速くなっていく。これ以上、柚莉がお酒を飲むのはよくないとわかっているけど止めずにいる。


(オレだけが知っている姿を見てみたい)


 語りかけてくる声はかわいらしく、見つめてくるうるんだ瞳は愛おしい。艶のある唇は妖しく見えて上気している美しい顔に胸は高鳴る。見たことがない姿に喜んでいると、ふと脳裏に青龍寺しょうりゅうじが思い浮かんだ。


(いなくなった日と同じ服を着て青龍寺さんと大学に来た。彼とずっと一緒にいたってことだよな。首には跡があった……。

 あの男と何をしたの? 彼にどんな顔を見せた? 今のキミの姿をあの男も知っているの? 誰も知らない顔を見たい。

 ねえ、柚莉、オレに見せてよ。もっと見せて――)




(さっきからウーロン茶がいいと言っているのに、立助りゅうすけはチューハイしか頼んでくれない。しかも「飲んで」とすすめてくる)


 香辛料のきいた辛めの料理が運ばれてくるので柚莉は水分をとる量が増えていた。ソフトドリンクが飲みたいのにお酒が運ばれてくる。


(立助の様子が変だ。もう食べきれないと言っても料理を注文するし、どれも辛くて飲み物が欲しくなってしまう。自分で飲み物を注文しようとすると、勝手にチューハイを注文してすすめてくる。少し強引でなんだか違う人みたいだ)


 1時間ほどで食事を済ませ、すぐに帰るつもりでいた。お酒を飲むつもりはなかったのにやたらとすすめてきた。仕方なく1杯付き合うと、そのあとはチューハイを注文していった。


 酔わないように気をつけて飲んでいたのに酔いが回るのが早い。それに喉の渇きもあって飲みたくないのに飲まざるを得ない状況になっていた。楽しそうな友人を前にして帰りたいと言えずにいたが、これ以上は付き合えないと判断して柚莉は切り出した。


「もう帰ろう」


 伝えると帰り支度をして席を立った。数歩で少しふらついて足を踏ん張った。それから一呼吸おいてまた歩き始めた。神宮寺は柚莉の様子を見ていたが、追うように帰り支度を始めた。


(柚莉は完全に酔っている。そんなキミを一人で帰すわけにはいかない)


 柚莉に追いつくと会計を済ませて店を出た。駅へ向かっているけど柚莉はふらついてしまっている。危ないので腕をつかんで支えながら謝った。


「ごめん、飲ませすぎたから送るよ」


「大丈夫。タクシーで帰るから」


「ちゃんと立てないじゃないか。そんな状態だと危ないよ」


(飲ませすぎた。柚莉はそこらの女性よりもかわいい。このまま一人で帰すのは危険だ。オレが守らないと)


 酔っていたがさっきまで体のコントロールはできていた。ところが急に視界がぶれ始めて体がふらつき、意識を集中することができない。一人で立つこともままならなくて神宮寺に支えられている。このままではダメだと思っていても襲ってくる眠気には勝てず、柚莉は意識を手放した。


 柚莉が完全に意識を失ってしまったのでやさしく抱き上げた。ぴったりとくっついている箇所に体温を感じてどきどきしている。胸の中で無防備に寝息をたてている柚莉がとても愛おしい。


(柚莉ともっと一緒にいたい。体温を感じていたい――)


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