第13話  純白

窮鼠猫を噛むという格言がある。


自助努力とか、努力不足を唱える人は、実際に人間を追い詰めるとどうなるか、覚悟しておくとよい。


特に、天変地異の前に、なすすべもなく痛めつけられた被災者を、厳しい言葉で鞭打つのは、やめた方がよい。


長生きしたければ、甘えだの、自業自得だの、軽々しく責めないことだ。


確かに中には、あまりに傲慢な被災者もいる。マスコミは刺激的な映像が欲しいので、一部を面白おかしく切り取って、報道する。


そして、無駄な国民感情を煽りたてる。戦争をしたいのだろうか?


よろしい、戦争だ。


これから、被災地となり得る自治体は覚悟した方がいい。住民に中途半端な援助をしたり、頭ごなしに責任論を押し付けると逆襲さ


れる。


生きた人間とつきあうということは、そういうことだ。


紛争地帯でも同じだ。切羽詰まった貧困層に機関銃を撃つより、弾薬を買う予算をそのままばら撒いた方が、

はるかに平和的に解決できるのではないだろうか。


「食料は各自で調達してください」と、神戸市の職員からお墨付きが出たので、被災者たちは、各自、無茶苦茶な行動に出た。


そういえば、神戸市の職員は、おにぎりの入った番重をどこから調達してきたのだろう?


俺は、てっきり、あの狸青年が、あちこちに泣きを入れて、手作りのおにぎりをかき集めると思っていた。


「パック入りのおにぎりなんか、自然にどこからか湧いてでるもんやない。どっかに隠してあったんちゃうか?」


「せやせや、おかしい」


誰かが、


空のおにぎりパックを拾ってきた。


「賞味期限とか、製造日を見てみい」


芦屋や西宮といった、被害が軽いか、全くなかった地区で製造されていた。


普通に考えれば、そんな安全な場所にさっさと逃げればいい。実際は、親子三代感電死事件とか、道路が寸断していて、

移動が困難とか諸般の事情がある。


それでも、根性を振り絞って逃げればよいかといえば、厳しい現実が待つ。


「西宮のコンビニで、被災者が万引きして逮捕された」というニュースをラジオで聞いた。


「鬼か! 神戸から西宮まで歩いて、腹ペコになった人間を何やと思ってるんや。売れ残って捨てる弁当とかやったらどないや」


被災者は怒った。おおよそ、状況は想像がつく。アルバイト店員が、マニュアル通りの対応をしたのだろう。


確かに、被災者に無料で商品を提供する法的義務はない。


そこは、人道的に対処するのが企業の社会責任ではないか。


「神戸の外には、そんな冷たい地獄が待っとるのか」


ここからよそへ逃げても、もっと苦しい世界が待っている。


被災者たちは、外堀を埋められた状態で覚悟を決めたようだ。食料は被災地の中で手に入れるしかない。


角材が貨幣の代わりになった。


避難集合場所には、各自が暴力的手段で入手したであろう食料が流通し始めた。


ある親族のグループでは、缶詰や保存食を分かち合っている。また、あるグループでは、何も食べずにじっと座っている。


そういう、極端な格差が生まれた。階層が違えば、交流する理由もメリットもない。


極端な富の偏在という形で避難場所の平和が戻った。俺は人間の腐りきった本性を再認識して、情けなくなった。


さて、角材も暴力も持たない俺は、どうやって食べ物にありつこうかと考えた。


配給のおこぼれにも預かりそこなったし、他人から物資を恐喝するだけの根性もないヘタレである。


ふと、昔見たTV番組を思い出した。


『野生の王国』というドキュメンタリー。


毎週、ゴールデンタイムにやっていた。


ある回で、アフリカの食物連鎖を紹介していた。


老いて孤独死したライオンや、病死した草食動物は、専門の掃除係の餌食になる。


死肉を主食にする動物がちゃんと存在する。ハイエナやハゲタカや、おこぼれに群がるネズミといった類いだ。


「俺は、ハイエナというか、死肉食いのネズミになるしかないな」


そう、思いながら、俺は野生の王国のあるシーンを回想した。


上半身だけになったシマウマが、あばら骨をあらわにして横たわっていた。


突き出た骨をハゲタカがついばんだり、ネズミが舐めていた。


「情けない逃げてばっかりの人間のクズには適役やな」


俺は死体に群がることにした。


街のあちこちでは、まだ住民による自主的な救出活動が続いていた。作業を手伝って対価を要求してやる。


鴨を物色しようと、あちこち渡り歩いた。


ある家の前を通りかかった時のことだ。そこは、更地みたいになっていて、二十人ぐらい集まって焚き火をしていた。


大勢が、地震で崩れた自宅の瓦礫を持ち寄って、燃やしていた。


思い入れが詰まった我が家を、まさかこんな形で焼いて


しまうとは、本人たちは予測しなかっただろう。


みんな、眉毛を「ハ」の字にして、落ち込んでいた。


それでも、寒い中で薪を補充するために、自宅の跡地に戻る人が絶えなかった。


悲惨な爪跡を何度も、再認識させられるのだ。まともな人間だったら気が狂う世界だ。


残骸を燃やすといっても、いずれは尽きてしまう。目ぼしい大きな材木が無くなったのか、みんな困っていた。


その中に、絞った雑巾のようにくたびれた男性がいた。


歳は六十代に見える。手の甲の肌つやとか指の皴から勘案して、実年齢はもっと若いかもしれない。


そうだとすれば、何が彼を疲弊させたのか。


ひときわ悲壮なオーラを発していたので、俺は、こいつは鴨になると踏んだ。実に卑しい性格である。


どさくさに紛れて、焚き火の輪に加わった。


俺は普段から埋没した風体なので、空気のように振る舞うのは得意だ。


「なぁ、久保井さん」


困り果てた男衆の代表格が、俺の鴨に、おずおずと切り出した。


久保井は、聞こえないふりをしていた。


代表格は、粘り強く呼びかけていたが、とうとう痺れを切らして強い口調で迫った。


焚き火の勢いも衰えて、燻ぶった煙が寒風に負けてしまいそうだ。


久保井は、両瞼を接着したように固く閉ざしていた。


「なぁ、久保井さんよ。悲しいんは、みんな一緒や。回りは、みんな死んでしもたけど、ワシらは生きていかなならんのや」


代表格が、困り果てた顔で頼んだ。説得した効果があったのか、久保井は、よろよろと何処かへ消えた。


二、三十分経った。自分の身長よりも長い板を担いで、久保井が帰って来た。


「ぁあっつはっはっはああああ!」


目が輝き、はつらつとしている。危険ドラッグを摂取したみたいだ。


「わははははは!桜の板でっせ。高級木材やで。うわーっはっは!」


久保井がビニール紐をほどいて、板を割り始めた。


やけくそを通り越して、狂気すら感じた。俺は、こんなに目がすわった人を見たことがない。


「あーはっは、よう燃えるで! うちの二階の廊下やからなぁ」


久保井の自嘲が胸に突き刺さったのだろうか。はっとしたり、顔をしかめる人がいた。


「久保井さん、もうええんや。無理せんでええ、もう、ええんや!」


さすがに、気の毒に感じたのか、代表格が止めに入った。


「あんたは焚き火に当たっとったらええ。材木は、ワシらで何とかするから」


久保井は、耳を貸さなかった。


「うひゃひゃひゃ!この板はもう、使わへんのや!」


そして、衝撃的な一言を放った。


「あはは。これは娘の部屋の天井なんや。もう使うことも無いんや!」


爆弾を落としたようなショックと沈黙が広がった。


俺には子どもがいなかったが、悲惨さは想像できた。


せめて、有効活用する事が、供養につながると考えたのだろう。


代表格が、久保井の善意に答えるべく、人手を招集した。


もちろん、俺は手を挙げた。あとできっちり対価を請求する。


子に先立たれた親の悲しみがわかるなら、俺の胃袋の窮状も理解すべきだ。


俺たちは、跡形もない久保井宅へ向かった。


一階が押しつぶされた物件が多い中


、珍しく二階から倒壊していた。娘を慮って、頑丈な構造で建築したのだろう。


玄関跡から奥に入ると、階段が生き残っていた。


「ここから、見えまっしゃろ?」


久保井が、階段の裏板を指さした。隙間が割れて、向こうの部屋が見える。


俺たちは、かわるがわる覗き見た。


「うーわ!こりゃ、あかん」


「うわぁ!きっつー」


「久保井さん、大変でしたなぁ」


何がきついのだろうか。厳しいコメントが続いた。


そして、俺の番が来た。


勉強机と椅子が見えた。最初は、制服のスカートと上着のような服がハンガーに掛けてあるのかと思った。


それにしては、変わった衣文(えもん)掛けである。襟元を貫くように、白い樹木の枝がにょきっと生えている。


よく観察してみると、何がきついのか、突然理解できた。


机の上に長い髪が見えた。女の子が突っ伏していた。しかし、椅子に正座して、背筋を伸ばしたまま、突っ伏す事などできない。骨折してしまう。


あの白い木の意味がやっとわかった。あれは樹木ではない。


脊椎だ。


首が折れて、上半身が前のめりになり、脊椎が飛び出したのだ。


「うわーっ!」


俺は、漏らしそうになった。


だが、それは、何という清らかな真っ白い背骨だろう。


凛として孤高で、人間の悲しみや喜び、人類の歴史、いや、宇宙の誕生、変遷、すべてから超越していた。


それは、ただ、そこにあった。そこにあって、全部を語っていた。


ある面では『お父さん、悲しまないで。わたしは、しあわせでした』と言っているようでもあり、


『わたしも大人になって結婚して家庭を持ちたかったの。子どもを生みたかったの。


でも、それが叶わずに終わった。だからと言って、不幸じゃないよ。お父さんのこと好きだから。みんなのこと好きだから。


わたしは、しあわせだったの。お父さん、わたしの分まで生きてね』と、


言っているようでもあった。


俺は、あれほど清楚な骨があるということを今まで知らなかった。


無垢な乙女の清浄が宿っていた。純白の心そのままの骨。




「じゃんじゃん持って行ってや。もう、勉強部屋は用済みなんや」


ハイになった久保井が部屋の板を剥がしていた。


作業は久保井の一人相撲ではかどった。俺たちは下で材木を受け取ればよかった。


材木はカネになる。心底腐りきった俺は、次の鴨を探していた。


話によると、久保井の長女は中学生で、部活の早朝練習に行く前に勉強していたそうだ。


彼女が生きていれば、今頃は企業の中堅を担うOLに成長していただろう。現政権が女性幹部の登用を推進している。


震災の爪跡は、二十年後の今も神戸にダメージを与えている。


例えば、神戸港の年間貨物扱い量は、震災前は世界一だったが、今は五十位に届かない。


復興する間にシェアを根こそぎ奪われた。


神戸は焦っている。


港をやられ、長田区のケミカル産業も灰になり、異人館も破壊された。


新しい産業を興そうとスーパーコンピューターを誘致したが、頭の悪い元グラビアアイドルに仕訳された。


被災地の経験を生かして高度医療に長けた国の研究機関を招いたが、また頭の悪い女に潰された。


そんなに神戸が憎いか?


そんなに神戸を苛めたいか?


神戸が何をした? 


いつか、神戸市民は爆発するだろう。


だから、復興を諦めない。今は、復讐心が燃料だ。

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