第14話  心にスコップを

 少しでもカロリーを節約しようと俺が道端に座っていると、ニーチェの格言が浮かんだ。


『静かに横たわって、のんびりして、待っていること、辛抱すること。だが、それこそ、考えるということではないか!』


 残念ながら、被災地では刻々と命が奪われている。おおぜいが瓦礫を素手で除き、助かる当てもない家族を呼び続けている。


 否応なしに考える事が山ほどある。生き残りたい人間は貪欲に勝ち進んでいくべきだ。


「材木要りませんか? そんな湿った木より燃えますよ。ほら、この通り」


 俺は威勢よく燃える家屋から目ぼしい木片を拾い集め、物々交換の旅に出た。


 成果は、かんばしくなかった。タオル、石鹸、セーター、電池、ポリバケツ。まったく食えない物のばかりだった。


 わらしべ長者のお伽話を思い出して、俺は、あてどなくさまよった。


 食べ物と替えてくれといっても断られ続ける。活断層の上で最も価値ある商品はスコップだ。


 瓦礫の下の安否を確かめるまで離れたくても離れられない人がいる。


 どこかのラジオから被災者心理を逆撫でする放送が聞こえてきた。救援活動が滞っている理由を的外れな評論家が解説していた。


「なぜ、被災者は街の外に出たがらないのでしょうね? ちょっと離れた芦屋や西宮、大阪まで行けば電気や水道もありますし、

お店も平常通りですよ」


 これだけならまだ我慢できる。


 あほなアナウンサーが、許せない一言を放った。


「神戸の人には、こだわりがあるんでしょうね」


「やはり、おしゃれ神戸というブランドイメージが大切なんでしょうか。でも、ちょっとプライドを捨てて、街の外に……」


 やかましいわ! 何がこだわりじゃ! 


 寝食を共にした家族が一つ屋根の下で、ぺしゃんこになっている。どうして放置できようか!


 こいつらは、ちょろっと知ったかぶりを話して放送時間を埋めるだけで何十万というギャラがもらえる。


 ぬくぬくとした自宅に帰って、コーヒーでもすすりながら報道特番と新聞を適当に斜め読みして、

視聴者受けしそうなコメントをひねり出すのだろう。


 なんたる落差だ!


 人間は水とパンと塩があれば何とか生きていけるのに、それすらも神は与えてくれず、命だけは巻き上げていく。お前こそ悪魔だ。


 俺は、空(くう)を殴っているようだった。


 本当は、評論家などどうでもよかった。ただ、食糧にありつけない自分が情けなく、哀しく、心の中で地団太を踏んでいた。


 地団太を踏んで踏みまくって足が折れたらいいと真剣に思った。


 もうどうでも良かったのだ。心身共に疲れた。


 体育座りで座っているのがやっとの俺。


 このまま横になりたい。そんな時─────


 流暢な英語が聞こえてきた。がっしりとした白人がマイクを片手にリポートしている。CNNの腕章が見えた。


 俺は子どもの頃に洋画の字幕を観て英語を覚えた。だいたいの英語は理解できる。


 俺は彼らを尊敬している。どんな困難な場所からでも真実を伝える努力を惜しまないからだ。


 いよいよ、湾岸戦争当時のバグダッドじみてきた。


「市当局は避難所の外にいる被災者に充分な配給を怠っています。避難者数の把握が困難だからと弁明しています」


 中学生でもわかる英語で、はっきりと言った。「日本のマスコミは協定により、残酷シーンをカットしていますが、CNNは全てをお見せします」


 どうして、どうして、俺たち日本人はいつも真実を逆輸入しなければいけないんだ?


 原爆。唯一の被爆国である日本。


 広島長崎の原爆は、日本国民に、放射能を放つ大きな爆弾というふうに書き記された。


 俺も成人するまでは、そうだと信じていた。


 ある外国人作家の文章を読んで驚愕した。


≪原爆投下は、ひとつの文明の終わりを意味している≫


 それほどの意味を持っていたとは……。


 日本人として、日本の知識人から、その事実を知りたかった。


 日本の知識人に騙されてはいけない。日本の知識人は、肝心なことは書かない。


 一九五二年にインド人法学者のパール博士が原爆慰霊碑を訪問して、こんな発言をしている。


『この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。


 それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。


 落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というなら頷ける。


 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。


 その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いた物であることも明瞭だ。


 さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。

アメリカこそ開戦の責任者である』


(パール博士の弔文より引用)


 こんな当たり前の事を、外国人に教えてもらわねばいけないのか?


 これが、日本の現実。


 日本の知識人、彼らは『生活のためだから仕方ない』と言うかもしれない。


 個人的利害を超えた存在が知識人というものだろ。


 個人的利害に汲々とするななら、そこらへんの営業マンや販売員、事務員などと同じではないか。


 個人的利害から離れられないと言うなら、始めから知識人など辞めてしまえ。






 ふと、通りかかった交番の前で、泣く子をなだめる母親がいた。


「うわーーん! お巡りさんは正義の味方ちゃうんかー! お母さんの嘘つきー!」


 ドロドロに汚れた子犬の縫いぐるみを抱いた、四歳くらいの女の子が怒っていた。


「どうしはったんですか?」と警官が聞いた。


 心配する警官もご苦労なことである。壁中ヒビ割れて、今にも崩れそうな交番所の前で交通整理をやっている。


「主人が壁の下敷きになって動けないんです。救急車に来てもらったんですけど、あきらめて帰りはりました」


「困りましたね。灘警察のほうでも、自宅で被災した者が大勢で人手がまったくないんですよ」


 その間にも、娘は警官のズボンを引っ張ったり、蹴ったりしている。


「お父さんが、燃えてしまうやんかー!」


 母親が焦って事情を説明する。


「主人は上半身は無事なんです。ただ、隣の家が燃えてまして」


「ええっ!? 奥さん、大変ですな。しかし……」


 警官は血相を変えたが、すぐに悲しい顔つきに戻った。


「壁を撤去する機械は警察のほうにもある事はあるんですが、全部、出払っているんですよ」


 母親は、覚悟していたかのように、ぽつんと言った。「主人は、あきらめるしかないんですね」


 子どものほうは大人の難しい会話が理解できないらしく、「警察のアホアホ」と罵り続けた。


 母親は、しゃがんで娘と同じ目線で諭した。


「警察の力でもどうにもできひんねんて。お父さんは、あきらめなさい」


「お母さんの嘘つきー。警察は何でも守ってくれる。男の暴力から守ってくれるって言うたやんかー」


「おっちゃんのアホー。警察のアホー。うそつきー。誰かお父さんを助けてー」


 娘は、いい歳をして何もできない大人を小さな拳でポカポカと叩いた。


「女の子がアホ、言うたらいけません」


 母親が注意すると少女は泣き止んだ。そして、姿勢を正すと丁寧にお辞儀をした。


「お願いです。わたしのお父さんを助けてください」


 警察官は小さな頭を下げられても、どうしようもなかった。


 一部始終を見ていた俺は、大人の一員として情けない気分になった。


 昭和の頃に見たドラマを思い出した。川に身投げしかけた女を男が必死で説得するシーンだ。


「見栄もプライドも捨てたら人間は何とか生きていける。法律すれすれの汚い仕事でも何でもして生きていこう」


 俺はドラマのセリフを頭の中で唱えながら、その場を去った。親子は、その後どうなったか知らない。


 俺がバケツに役立たずな商品を入れて歩いていると、人だかりに出くわした。


 避難所の前で弁当を配っているではないか!


 あのタヌキ職員が働きかけた成果であろうか、番重に鮭や卵焼きなど、おかずがぎっしり詰まった弁当が並んでいる。


 ある所にはある。


 俺はオアシスを見つけた隊商のように走り出した。


「すみません。弁当一つください」


 俺は頭にタオルを巻いた青年に頼んだ。すると、もの凄い睨まれた。


「避難所の方かたですか?」


「ちゃいますけど。避難所が満杯で断られて……」


 言い終わる前に、俺は怒鳴られた。


「これは入所者の分です!」


 随分勝手な言い分だ。被災者に上も下もあるもんか。差別されるいわれはない。負けず嫌いな俺は言い返した。


「俺も税金納めてるねんで!」


「あんたは寝たきりの年寄りとか障害者とか抱えてるんか? ここには、そういう人が寝てるんや」


 確かに弱者優先であろうが、なぜ納税の義務を果たしている者に皺寄せが来るのか? 


 言いたかったが、こんな市政に関与していないと思われる若造相手に議論してもカロリーの無駄なので、引き下がった。


 食料は自分で確保しろと、市職員が言った。


 略奪の公認である。コーランにも書いあるそうだ。


『砂漠で飢え死にしそうになって、どうしても食料が手に入らない場合にキャラバンを襲っても、神がお許しになる』




瓦礫の中から冷凍のイカを掘り出した。壊れた家の便器には、溜まった水がある。


俺は、材木の一本を焼けている家まで持って行って、材木の端を火に近づけた。


持っていた缶のバケツに水を汲んでお湯を沸かした。


幸い、氷点下の気温が続いていたので傷みも少なかったのだろう。


缶詰も見つけたが、缶切りがなかった。俺は尿の臭いがする茹でイカを食った。


人間、プライドを捨てれば、どんな所でも生きていける。

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