第6話 ガータンと共に

≪第6話 【ガータンと共に】のまとめ

状況は動き出す。震災という圧倒的な暴力に抗う人々。絶望のどん底で「命とは何か?生きる事とは何か?」を命をなげうって教えてくれた幼い女の子とアヒルの物語。                ≫


≪【平成二十六年一月の状況】

 一本の木が切られようとしている。平成二十六年一月。JR六甲道(ろっこうみち)駅前。

 震災復興後に植えられた一本の大きな木が、整備工事という名目で伐採の憂き目にあっている。

 彼は今、こう思っているだろう。復興のシンボルで無いとすれば俺は何のために植えられたのか?俺の人生は何だったのだ。

 恐らく、広場の別の場所に新しい木が一本、植えられるのだろう。子どもより背の低い新樹がポツンと。

 そういう無意味な伐採と植樹を、俺はこの六甲道で何度も見てきた。

 震災から十九年間育った命が、人間の都合で遊び飽きたオモチャのように捨てられる。

 俺は、いたたまれなくなって、木の写真を撮って来た。

 体験を時系列で語ろうと思ったが、今しばらく、この木の話につきあってほしい。    とても重要な木なのだ!


 これとそっくりな木が、震災当時、俺の家の近所に生えていた。ホラー映画に出てくる城のような洋館があって、その庭に生えていた。

 高さ十五メートルはあろうかという立派な木だった。俺が生まれる前から街の歴史を見守ってきた木だ。

 そのお膝元で、幼い命が失われた。震災後、洋館と木は跡形もなく処分されてしまった。

 俺は根本の盛り土を削られた現在の六甲道駅の木を見て、震災当時の記憶がよみがえったのだ。                    ≫






 命が無残に消え、また、命が理不尽に消えようとしている。


 歴史は繰り返すというが、繰り返してはいけない歴史もある。




 炎に飛びこんだ小さな女の子のお話─────。




 時計の針を震災当日に戻そう。


 俺は一刻も早く神戸から脱出すべく、阪神新在家(しんざいけ)駅を目指していた。


 そこに至るには、まず国道二号線を渡らねばならない。だが、倒壊したビルが前途を阻んでいた。




 どうする?迂回するか?


 だが、迂闊に動いて、電線を踏むのもご免だ。どうしたものかと考えていると、助けを呼ぶ声がした。


 半壊した平屋があった。幸い、家の形を保っていた。壁の一部が崩れて、大勢の一般人が救出を手伝っている。


 俺も倒れた家具の搬出に加わった。あわよくば食料や水を分けてもらおうという下心からだ。


 無事だった老夫婦は何度もお礼を繰り返した。


『歳暮の残り物の缶詰か何か無いのかよ?』と、とことんゲスな俺は腹の底でそう思いながら、上の空で聞いてた。




 その時、固定電話のベルが鳴った。回線が奇跡的に生きている?


 俺は、ある方法が閃いた。


 安否を気遣う電話に老夫婦が応対していた。


 俺は、無理を言って電話を貸してもらった。大阪府泉佐野市に二歳下の弟がいる。結婚して二年目で子どもは、まだいない。


 彼に助けを求めよう!


 無我夢中でダイヤルした。




 しかし、弟は想像を絶する状態に陥っていた。


 電話口に奥さんが出た。あちらの方では震度四の揺れで済んだらしい。特に怪我もないという。


 だが、この時、弟は地震のショックで精神錯乱状態に陥っていた。




「地震の直前に、透明の老婆がフラフラと部屋に入ってきて、『かわいそう、かわいそう』と嘆いた。そして忽然と壁の中に消えた」


 そのような発言を青ざめて震えながら繰り返しているという。




 そこで電話は切れた。「ツー」という待機音も聞こえなくなった。




 最後の頼みの綱が切れた。




 俺のやり取りを聞いていた人々が騒ぎ始めた。




「こんなん無茶苦茶やで」


「なぁ、本当に世界が滅びるんとちゃうやろか?」


「火災が阪神工業地帯に広がっているらしい。ラジオで言うとった。有毒ガスが無茶苦茶でて、八十万人が死ぬって」


「十九日午前七時にマグニチュード八の地震が来るって気象庁が発表したらしい」


「千九百九十九年七月に人類が滅びるって噂、ほんまになるやろうなぁ」




 科学が発達した二十一世紀では信じられないだろうが、当時の人々は、かなり年配の人ですら、このような根拠のない噂を真面目に信じていた。




「俺は見たんや。地震が起きる二、三分前にトイレの窓から六甲山の上空がピカピカ光ってた」


「これは、ただの地震やない!明石海峡大橋の建設着工の影響で地盤が狂ったか、神戸港を埋め立てまくったせいや」


「そうや!六甲山にトンネル掘りまくったり、神戸市が金儲けの為に自然破壊したせいや」




「そういえば、六甲山は花崗岩で出来とるちゅう話ですな。花崗岩に含まれる石英は、電流が流れると歪む、つまり振動を起こすそうですわ。


 レコード針と同じ原理やって。確かピエゾ効果ちゅうて、新聞か何かで読みましたわ」


 俺も話に加わった。




「それや!銭儲けしか頭にない神戸市のこっちゃ!何ぞ六甲の山で、そのピエなんとか使った工事やっとったんちゃうか?」


「この地震は不自然や。人工地震やろな。そりゃ天罰がくだるわ。自然をなめたらあかん」




 人々は好き勝手な憶測を言っていたが、不安を吐き出すことで少しは落ち着いたようだ。




「わしは、家を片付けるよってに」


「わしも、近所のモンの手伝いするわ」


 人々は帰るべき持ち場に戻った。




 俺はどうしたものか。弟の厄介になるわけにはいかない。


 とりあえず、パンダ六甲ビルの瓦礫を乗り越えよう。


 俺は、足場を探した。




「助けてあげて…助けてあげて…」


 か細い声が聞こえてきた。


 折り重なった瓦礫の隙間から女性が頭だけを出して、俺に訴えていた。


「誰を助けたらええんです!?」


 俺は声を張り上げた。


「子どもが…」


 瀕死の女性は、かすれた声で答えた。


「どこやー!おったらおっちゃんに返事してくれ」


 俺は瓦礫の周囲を走り回った。


「痛い~痛い~」


 小さな男の子の声がした。


「息子さんですか?」俺は女性に訊ねた。


「あと…一人…女の…」


 彼女は激しく咳き込んだ。


「大丈夫か~おっちゃんが助けに来たぞ~」


 俺は、あらん限りの声で呼びかけた。


「痛い~痛い~」


 瓦礫の隙間から確かに鳴き声が聞こえるのだが、子どもの居場所が特定できない。


 まるでこの世界そのものがすすり泣いているように、四方八方から子どもの泣き声が聞こえる。


 声音で赤ちゃんか小学生かがわかるのに、どうしてあげることもできない。




「こりゃ、あきませんわ。崩れたコンクリートをどけないと、俺ではどうにもなりません。シャベルもないのに・・・。


 誰か運よく通りかかったら、頼んでください」


 俺は女性に謝った。


「…そんな…ひどい…かわいそう…なんで…なんで…」


 気の毒だと思ったが、出来もしない事をさも可能であるかのように励ます器量など俺は微塵も持ち合わせていなかった。




 夕日が射してきた。昨日の夜から何も食べてないので、胃がキリキリと痛んだ。




「あかん、何か食べる物を探さんと、ばててしまう」


 俺は、余力を振り絞ってパンダ六甲ビルの瓦礫を乗り越えて、国道二号線に出た。




 実家の近くにホカ弁屋があった筈だ。そこは米穀店が経営している店で、俺もよく通っていた。


 焼肉定食にトンカツのおかずを付け合わせた「スタミナ弁当」が俺の定番だった。




 もちろん、地震で店は倒壊しているだろう。しかし、米屋なら米が売るほど有るはずだ。あわよくば瓦礫の中から掘り出せるかもしれない。


 水を川で汲むなりすれば、ご飯が炊けるのではないか?




 俺は弁当屋があったであろう場所をめざした。




「やめなさいーーーーー!」


 大声で叱りつける声がした。


 俺のゲスな魂胆に米屋が気づいたか?それとも天にまします我らが神がお怒りになったか?


 はたまた、とうとう俺の精神が壊れたか?




「だって、だってガータンがーーー」「やめなさい言うてるやんかーー!」




 五歳くらいの幼い女の子が母親の足元にしがみついて、駄々をこねていた。


「ガータン助けて!」


 少女は眼に涙を浮かべて、母親を見つめている。


「せやかて、お父さん、こんなかで燃えてるねんで!」


 母親は大声でいさめるが、少女は聞く耳を持たない。「ガータン!、ガータン!」




「もう!アヒルなんかほっとき!また飼ったらええやろ!!」




 俺は、そのやり取りを聞いて、思い当たる節があった。


 弁当屋と同じ並びに釣具店があった。そこは釣餌も扱うような大きな店で、なぜか店先にブロックで囲んだ池があった。


 そこに、つがいのアヒルが、のんびりと泳いでいた。今でいう「癒しスポット」である。


 フワフワの毛をしたアヒルの夫婦が、いつも寄り添っていた。店の主人が近寄ると「ガッガッ」と夫婦そろって餌をねだる。餌をもらうと必ず旦那が妻に口移しであげていた。


 その光景を見て、俺はいつも癒されていた。「ああ、夫婦っていいなぁ」


 通りかかるたびに嫉妬すら覚えた。




 釣具屋の娘さんか!俺は一声かけようとしたが、母娘の対立は尋常ならざる雰囲気になっていた。殺伐としたオーラすら感じる。




「あかん言うてんねん!危ないやろ!」


 母親は娘をがっしりと捕まえていた。


「いやっ!ガータン連れてくる!!」




 少女は母親を突き飛ばして、燃えさかる釣具屋の中に飛び込んでいった。




「もうーーーー!!なにしてんねん!!!」母親が焦点の合わない目つきで炎を睨んでいた。




 あっという間の出来事だった。




 少女とガータンは、戻ってくることはなかった。


 少女は、災害でペットの命が奪われることにNOと言った。


 大震災という圧倒的暴力───。


 多数の犠牲者を出した。


 だが、どういった災害であれ、親でさえ、


 少女の精神性まで奪うことはできなかった。




 阪神大震災、東日本大震災では、多数の犠牲者を出したが、


 みんながアンテナを高くして、あらゆる角度から真剣に対策に取り組めば、


 犠牲者を食い止めることができるはずだ。


 俺が死んでも俺の息子が引き継ぐ、息子が死んでもそのまた子どもが引き継ぐ。


 そうやって実績を積み上げていけば、必ず犠牲者なしにできる日がくる。


 犠牲者なしにできた時に初めて、本当の意味で鎮魂と言えるのではないだろうか。


 こんど大災害が起こった時、犠牲者ゼロだ。














 焼け落ちる釣具屋の軒を貫くように、洋館の大木が遠くにそびえていた。




 幼い命は、もっと小さな命を救うために、灰になった。


 ちっちゃいけど、高貴な魂が、こもっていた。





≪次回の予告。

暮れなずむ光の中、取り残された命の灯が消えていく。

毛布もミルクも無い。気温はマイナス三度。遂に低体温症で子ども達が死んだ。

死神に引導を渡すために、被災者達の決死の作戦が展開される。

あの救急車を停めろ!轢き殺されても構わない!  ≫

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