第5話 血染めのファミコン
六甲道駅が駄目なら他の鉄道があるさ。この街を捨てよう。
思い出はまた紡げばいい。そんな気力が残っていた時もありました。
その先に、天地を、屍と燃えさかる瓦礫に満ちた街を、魂を引き裂くような悲劇が。
生きる気力の全てを奪う事件が待っていると誰が予想できましょう。
今年も阪神大震災の命日がやってきます。
これは小さな男の子に捧げるレクイエムです。忘れない。
今、この瞬間に人が死んでいく!
目の前の現実には原因があり、自然は人の思惑などお構いなしに結果を紡いでいく。
「森羅万象の一部である者が、全体に抗う事などおこがましい」というのなら、責任を負うべき者は誰か?
神よ、あなたはどうして神戸の民をこれほどまでにさいなむ?
償うべき罪は何か?
鹿児島堂の若旦那、女子大生、ホステスの母娘、感電死した親子三代。
いったい、命であがなわねばならぬほどの、何をしたと申されるのですか?
答えは無い。
当たり前だ。
だから、自分で考えて行動せねばならぬ。
JR六甲道(ろっこうみち)駅は確かに崩壊した。
しかし、神戸という街は横浜を凌いで、日本一の貿易港の名を欲しいままにしていた。この街はしぶとい!
海と山に挟まれた真珠の小箱の様な神戸市街。日本の物流を支える動脈がいくつも走っている。
いわば、神戸港を心臓に例えるなら、鉄道と高速道路は冠状動脈だ。鉄道だけでも、阪急神戸線、東海道線、阪神電鉄本線と三本も走っている。
「阪急電車がアカンらしい」
「阪急三ノ宮駅が崩れてる」
「ほな、阪神しかないな」
人々は六甲道駅の南にある新在家(しんざいけ)駅を目指した。
駅の南口から国道二号線に至る二車線の道路は、神戸市営バスの幾つもの路線が行き交うことから、「バス道」と呼ばれていた。
バス道の両脇には、今でいう郊外のショッピングモールの機能を担う、多彩な店が並んでいた。
喫茶店、パチンコ屋、洋服店、家具屋、お洒落でおいしいサンドイッチ屋さん、写真館にペットショップ、産婦人科に歯医者、耳鼻科、日本生命の支店すらある。
小さな百貨店もあった。何でも揃う六甲道のメインストリートである。
その一角に、大衆食堂「太陽」があった。今でいうファミレスである。子供の頃、オムライスをよく親と食べに行った。
こんがり焼けた玉子焼きの皮をスプーンでえぐると、チキンライスが現れる。そこに真っ赤なケチャップをかけて食べ。
ケチャップで味付けしたご飯にまたケチャップをかける。その行為が滑稽で珍しくて、俺はオムライスが冷めても、スプーンでちびちびと食べていた。
「いつまで食べてるねん?」
親によく叱られた。
太陽の店内には東京オリンピックの年に導入されたであろう、二十五インチほどのブラウン管式アナログテレビがあった。モノクロである。
年号が平成に変わっても、昭和を引きずっていた。二十一世紀に伝えたい俺の世界遺産だった。
ぺしゃんこに潰れて、燃えていた。
命さえ助かればいい!
生き延びて、思い出はまた作ればいい。俺は追憶を振り切って、南へ走った。
思い出を紡げない人がいた。
未来永劫…思い出を失った人が…
「としゆきーーーーーー!何で死んでしもうたんやーーー!」
天地を、屍と燃えさかる瓦礫に満ちた街を、魂をも引き裂く絶叫が俺の思考を止めた。
三十路の男が正座して泣いていた。
水たまりの上で泣いていた。
何が起きているのか、把握するまでかなりの時間を俺は要した。
あまりに、日常から逸脱した光景だったからだ。
大の男が鼻水垂らして泣いている。
それは、わかった。
水たまりに見えたのは大量の血だった。
男は、両手で何かを掲げていた。
それが、ファミリーコンピューターのコントローラーだという事は、わかった。
大量の血がしたたっていた。
「としゆきーーーーーーーーーーーーー!」
男は、見えない誰かの肩を揺さぶるように、コントローラーを前後に振っていた。
「としゆきーーーーー!俺がファミコンなんか買うてやったばっかりにーーー!」
「俺が悪かったーーー!俺がアホやったーーー!ファミコン欲しいって言われても、アカンゆうて怒ったらよかったんや」
「おとうちゃんが甘やかしたから、こんなんなったんやーーー!」
「何で、早く寝ぇって怒らへんかったんやーー!」
「としゆきーーーー!おとうちゃんを許してくれーーー!」
「おとうちゃんが、ファミコンお正月に買ったばっかりに、死んでしもうたーー!」
コントローラーの右端に、明らかにファミコンの付属品で無い物がついていた。
子供の右手首だった。
小さな手はコントローラーを握りしめ…
手首から先が無かった…
血がしたたっていた。
「おとうちゃんを…おとうちゃんを…許してくれーーーー」
男は何度も詫びていた。
「としゆきーーー」
震災を生き延びた俺には、今、小学生の息子がいる。
お友達とWiiでわいわい遊んでいる。
俺がねだられるままに買ってあげた。
彼はバイオハザード・アンブレラクロニクルが好きで、よく俺に共闘を持ち掛けてくる。
親子で仲良く、ゾンビを血だるまにしている。
その度に、俺は、としゆき君の事を思い出さずにはいられない。
「どうしてこうなってしもうたんや?」
としゆき君のお父さんは、鹿児島堂の若旦那と同じ問いかけを天にした。
俺は理不尽な罪悪感に苛まれている。
俺だけじゃないだろう。阪神大震災の被災者も、スマトラ沖地震も、中越地震も、東日本大震災も、いや世界中の被災者の中にも同じ思いはあるだろう。
自分は生き残ってよかったのか?
天に投げかけても返答はない。
だから、生き延びた理由づけとして、阪神大震災の記録を遺そう。それがせめてもの…
「としゆきーーーー!おとうちゃんが悪かったーーーー!」
俺とは違う形の贖罪が天に投げかけられていた。
思い出を永遠に紡ぐことが出来ない人々。その思いを引きずって俺はこの街を出る。
前途が阻まれていた。
としゆき君のお父さんが住んでいたであろうパンダ六甲ビルが、国道二号線を阻むようにバス道に横たわっていた。
ポッキリと三階部分から折れていた。
このビルは諸事情で建設が一時中断した。五年ほど三階部分の柱が雨ざらしになっていた。バブル崩壊の余波とも近所で噂されている。
震災の前の年にようやく建設を再開した。竣工した矢先の地震である。
継ぎ足した部分から折れていた。
としゆき君親子の運命的な何かを暗示している様に思われた。
そして、俺の逃げ場を阻むビル。このビルは今後二年以上、救助や復興を妨げることになる。
「としゆき君は死んだ。俺はどうなる?…生かしておくのか、殺すのか?どっちなんや?」
俺は、パンダ六甲ビルを倒した「見えざる手」に憎しみのありったけをぶつけた。
世界が、怒り狂っていた!
≪次回、希望への反撃が始まります。生存者としての義務が、命をつなぐために。≫
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