第4話  母娘三代感電死

≪第4話 【母娘三代感電死】のまとめ

思い出深い街だから、離れられない。チョコとピーナツとバニラクリームに包まれたウエハースの幼い思い出を余震が容赦なく打ちのめす。この街を捨てよう。諦観に負けた俺は過去を振り切った。六甲道駅から大阪に歩いて逃げよう!だが…   ≫





「ほんまにむごい話やで。この子らは、これからやったんや!うちの店は毎年、正月過ぎてからが勝負なんや!この子らも毎年な!バレンタインも、ひな祭りも…」




若旦那はそこまで言うと、赤ん坊のような声で泣き出した。身長百八十センチの熊でも素手で倒せそうな男がむせび泣いた。


俺が子供のころから知っている世界が、とことん打ちのめされていた。




記憶が蘇ってきた。




鹿児島堂は市場の入口の一角を占める大きな店で、幼少時の俺にとってはディズニーランドだった。




長さ一メートルはあろうかという焼きたての食パンをドーンと陳列棚に何本も並べて、回転電気のこぎり式スライス機で切り売りしてくれるのだ。


菓子パン、和菓子 、ケーキ、市販のお菓子…それぞれ十メートルぐらいの陳列棚がならぶ。


あとは弁当と日用品の棚を追加すれば、そのままコンビニエンスストアとしてやっていけそうな規模の大きなパン屋だった。






俺の両親は同じ市場の中で惣菜屋を営んでいた。毎朝、ご近所の奥さんが弁当のおかずを買いにくる。


忙しい両親は三歳の頃、俺にトースターと電気ポットを買い与え、自分で朝食の準備ができるように躾けた。


食パンとマーガリンが切れたら、鹿児島堂にお使いに行くのが俺の役割である。




「おっちゃん、厚切りにして」


「安いパンが売り切れやから、薄切りでええわ。パンの耳はつけといてな!」


「ネオソフトないのん?しゃあないな。雪印のバターでええわ」




そんな俺に、たま にご褒美をくれたのが、パートの女子店員達である。




「お使い偉いな。飴ちゃんあげるわ。おっちゃんには内緒やで」




俺はヨーグルトキャンデーをポケットに隠しながら、パンを切ってもらう間、陳列ケースを渡り歩いていた。


ハムカツサンド、玉子ロール、ジャムパン…宝石箱の様にきらめいていた。




「お母ちゃんの機嫌のええ日に、また買ってもらいな」




おばちゃん達は物欲しげな俺にそう言った。すると次の日には不思議なことに菓子パン買い出し令が下るのである。


後で知ったことだが、おばちゃん達が母親に口添えしてくれていたのだ。


そんな鹿児島堂のおばちゃんが大好きだった。




彼女らの一部が地元に残り、娘が成長すれば鹿児島堂でアルバイトし、そしてまた…




この店はそうやって地元を支え、地元に支えられてきた。


俺にとって、おばちゃん達はディスニーランドのスタッフ……














ぶち壊しやがって!地震のアホ!!!!!


俺は心の底で叫んだ。




「この子らも女の子が生まれたらなぁ…」


若旦那は柱の前にしゃがみ込んで泣いていた。




「何でこうなってしもうたんや!もう何もかもおしまいや」


俺は若旦那を励ました。


「ウエハース、また作ってください」




鹿児島堂のウエハースは俺の大好物だった。


厚さ三センチもあるカステラの生地にチョコレート、アーモンドペースト、バニラクリームを重ねて、ウエハースで挟むのである。




「ウエハース、めっちゃうまいんですよって。食べ方もいろいろ楽しい。齧ったり、ウエハーだけはがして、クリーム舐め倒したり」


「そういう気分ちゃうんや…なんかもう…おわってしまいそうや…何か頭 がムズムズする…おしまいなんや…ちょっと寝るわ」




若旦那はそういうと、ふらふらと横になった。




「大丈夫ですか!!」




いくら呼びかけても、若旦那は顔を引きつらせて、ガーガーと吐くばかりだった。




救急車を呼ぼうにも電話も何もない。




「すんませんー!誰かー」


俺は通行人にすがった。




「じゃかあしいわい!おんどれの家族は、おんどれが面倒見んかい!みんな忙しいんじゃボケ」


罵倒された。




「ちょっと待っててください。誰か呼んできます。なんぼなんでも警官ぐらい出動してるでしょ」


俺が振り返ると、若旦那の呼吸が止まっていた。




もうどうしようもない。




ブロック塀がアイスモナカをひねる様に崩れた。


この街を捨てよう!俺は初め て故郷を離れる決断をした。


若旦那は店にこだわるあまり、亡くなってしまった。余震の危険もある。ここを出よう。俺の思い出も崩れた。


ウエハースの歴史がひっそりと幕を閉じた。










人間は現金なものである。日が昇ると動き出したのは、ワンルームマンションに住む独身女性達だった。


ワゴン車や四輪駆動車が続々と馳せ参じて、女の子たちを運び出していった。




俺はその車列を憎々しく思った。


六甲道駅の南側は割と大きな屋敷がならぶ、静かな住宅街だった。緑も多い


奥まった場所なら、夜中はときおり通る自動車のエンジン音しか聞こえない。


朝は野鳥のさえずりで目が覚めるほどである。




バブルが弾けて、相続税が払えず売りに出された屋敷の後に、腫瘍のごとく高層マンションが、ぼこぼこ建った。


無遠慮な若者達がマンションの前で大声で深夜まで騒いで、俺は辟易していた。




中には手抜き工事の影響か、亀裂の入ったマンションもあっ たが、大半は地震でびくともしていなかった。


そういう建物の住民達は四駆で瓦礫を乗り越えて、「ちょっとしたお洒落な」ホテルにでも一時避難するのだろう。




「地震で潰れるような家に住むのが悪い」とでも言いたげに高層マンションが全壊した住宅を見下ろしていた。


考えても仕方がない。今は逃げるのが先だ。住まいの事は生き延びてから考えればいい。


俺はワゴン車を追って、国道二号線を目指していた。瓦礫を乗り越えてここまで来れたのなら、逃げ道を知っているだろう。




だが、その考えは甘かった。出合い頭に衝突したらしい車が二台、燃えていた。


信号機の止まった国道を走るのが、そもそもの間違いだ。


線路沿いに歩いて大阪に行こう。


俺は六甲道駅を目指した。




途中で、雑居ビルの一階が潰れて、出火していた。ガスコンロの上のポットの様にビルがあぶられている


確か、一階が美容室で二階がキャバクラ。三階以上が女子寮だった筈だ。




四階のベランダで灯がくるくると回っていた。


男の子を抱きかかえた三十歳ぐらいの女性が懐中電灯を振っていた。


シュウシュウと白煙が壁をなめている。


「だーれーかー」


男の子が叫んでいる。


「ハシゴをもってきてくださいーーーーーーーーー」


懐中電灯をブン回す女。


ジェットエンジンを噴かすようにビルの側面から炎がV字型に出ている。


「この子だけでもキャッチしてくださいー。誰かー」


無理である。


ビルの周辺の道路には鉄筋をむき出した瓦礫が散らばっている。




この親子が どうなったかは知らない。悲痛な叫びに立ち止まる人はいなかった。




それ以前に、六甲道駅を目指す人々には自分の将来しか眼中になかった。


中には背広姿の人々もいる。ご苦労なこった。駅が無事ならばよいが。




六甲道駅まで行けば何とかなる。


俺は確信していた。JR神戸線は四本の線路を持つ日本の大動脈、東海道線である。


橋脚もがっしりしている。世界最高峰の建築水準を誇る日本の屋台骨だ。


壊れるはずがない。




万一、JRが止まっていても、線路伝いに逃げればいいんだ。


俺には希望が見えてきた。


その昔、死海を真っ二つに割って、海底を歩いて人々を導いたというモーゼの気分になった。


六甲道駅を目指す人々は正にモーゼの一族だった。




「おばあちゃ ん、どないしたん!」


俺の前を歩いていた老婆がいきなり、ビクっと体を震わせた。


五歳ぐらいの女の子を連れた主婦が駆け寄った。




その親子もビクッと痙攣した。幼女がピョーンと飛んでいった。




「何やってんねん。あ、死んどる」


幼女を通行人が抱き起した。


「そこ、足元気ぃつけえや!兄ちゃん」




俺は状況が把握できなかった。


「電柱が折れて埋まっとる。電線がまだ生きてるよってに。…気の毒にな」




瓦礫を慎重にまたぐ人々。六甲道駅を目指すサラリーマンの一人が倒れた老婆と主婦を見て言った。




「親子三代感電死やな…親子丼やあるまいし、シャレならんな。あははは!あーっはっは!」


彼は狂ったように笑っていた。






さっさと避難しろというが 、逃げれば逃げたでこのザマか。いったいどうしろというのだ!


どうあがいても、命が奪われる!




だが、嘆いている間にも余震は来る。坐して死ぬよりはマシだ。


俺は雑居ビルの親子を思い出した。




神戸を捨てよう。大阪に逃げよう。




「六甲道駅が…日本の大動脈が…」


俺の眼前には…死海がV字型に開けるどころか、空手チョップを食らったように、みごとVの字に折れたJR神戸線の高架があった。




「行動の結果には責任が伴い、生きる権利には義務が先立つ。自己責任だ」


そういう風に被災者を叩く声がある。




なぜ逃げなかった?


日頃の備えを怠った報いだ。


被災は甘え。耐震構造の高層マンションに住めば地震も津波も関係ない。


住むだけの収入がないのは 、単なる怠惰。うんぬん。




こんな声もある。




働きたくないから、生活保護や義援金で生活するために、わざと危険地帯に住んでいただろう?




確かに一理あるかもしれない。




しかし、世界は人間の思惑とかけ離れた現実を容赦なく叩きつけ、続きを求めてくる。


耐震マンションに住んで枕を高くするのもいいだろう。




だが、忘れないでほしい。


俺たちはプレートの上に住んでいる。




これが被災者に自己責任論を振りかざす人達に対する返答です。

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