10.

会議室Aを出ると、すぐにフロア全体を見回した。

私の豚さんはどこ。

あなたに確認しないといけないことがあるの。

あれが何かの間違いだったって言って。

あれが本当のあなたじゃないってことを私に証明して。

ベルトで叩かれた瞬間、豚さんが消え、全くの別人が自分の背後に来たかのようだった。ただ単に興奮して変なスイッチが入ってしまっただけなのかもしれない。会議室Aで事務職の女の子に見守られる中、ずっとその考えが脳内を巡っていた。あの瞬間、興奮して変なスイッチが入っただけだったのか、それとも本来の豚さんが出てきただけだったのか。それを確かめない限り私は前に進めない。

私はフロアの端から端まで歩いて豚さんを探した。どこにも見当たらない。もう外に出てしまったのか。エレベーターに向かおうとした瞬間、目の端に見覚えのあるものが写った。立ち止まり、よく見ると、一人の男性社員が島と島の間のスペースを、床を這いながら進んでいた。急いでその社員の前まで行って顔を見ると、豚さんだった。瞼は半開きで鼻も凹んだ、真っ赤に腫れあがった顔で、全身の力を振り絞って少しずつ前に進み続ける豚さん。私は堪らず、

「柏田さん!」

膝を床につけ、豚さんの肩を掴んだ。

弱弱しく私を見上げる豚さん。本当に私が見えてるのかどうかも怪しいくらい瞼が閉じかかっている。

「私です。望月です。京香です!」

あまりの姿に怒りが込み上げてくる。クッソキモカエルめ。今すぐぶっ殺してやりたい。

私だと気づき、すぐに俯く豚さん。息を荒げながらそのまま前に進み続けようとする。

「柏田さん!どうしたんですか!私を見てください!」

「、、、、、ううう、ううう、、、、、」

悲しそうに唸りながら私を押しのけようとする豚さん。

ペシン!

思わず頬っぺたを叩いてしまった。

一瞬にして動きが止まる豚さん。

そのままの勢いで豚さんの顔を私に向け、

「あなたに確かめたいことがあるんです」

力が入り、思わず私も顔を近づけてしまう。と、ここで周りがザワザワしていることに気付く。周りを見回すと、フロア内の社員がこちらを見てあれやこれやと話している。スマホを取り出している人までいる。しまった。バレてしまう。全てがバレてしまう。ここで問い詰めるのは間違いだった。けど他に手が思いつかない。おそらくここから豚さんと会議室に行くにはかなりの時間がかかりそうだ。そこまで私の気持ちが抑えられそうにない。もうここで聞いてしまいたい。

「皆ちょっと聞いてくれるか~」

声の方を向くと、畑中部長が会議室Aの前に立っていた。

「先ほどの騒動についてなのだが、あれは完全に私の誤解だったようだ。望月さんから話を聞いたところ、あれは合意のある行為だったようだ。よって、事件性はない。また、荒田君による暴行についても特に立件する意思はないようだ。このような形で発表すること自体に問題があるのは重々承知だが、スピードを優先させてこのような形で発表させてもらった。既に警察に連絡したという者はいるか。いる場合は私が対応するので速やかに教えて欲しい」

フロア中が静寂に包まれる。

「よし、じゃあこの件はこれにて終了ということで。各自仕事に戻ってくれ」

「ちょっと待って下さい!」

声の方を見ると、ガタイのいい男性社員が立ち上がっていた。

「それじゃあ納得がいきません。あれだけのことが起こったんです。仮に本人たちの間でそのような話になっていたとしても、社内的には何らかの処分が必要なのではないでしょうか。僕達、今朝の騒動とは一切関係のない社員の気持ちも考えて下さい!」

「そうだ」「確かにそうだ」という声がフロアの至る所から聞こえてくる。

畑中部長の方を見ると、少しバツの悪そうな表情で男性社員を見ている。

嫌になるくらいに男性社員の言う通りだ。私にしても、社内で性行為に及んでいる時点で社則的には完全にアウトであり、処分を受けてしかるべきなのだ。先ほどの取り決めなど、社則、そして他の社員の前では何の効力も有しないのだ。

「確かにごもっともな意見だ。先ほどの騒動の当事者3人についてはきっちりと処分を下すことにする。いかなる処分を下すか検討するため、一旦は全員自宅待機にする。それでどうだろう」

フロア内を見渡すと、ほとんどの社員が頷いている。

「よし、じゃあこれでいこうと思う」

畑中部長と目が合った。畑中部長に軽く頷かれ、それ以外の選択肢が浮かばず、私も渋々頷き返した。これで一命をとりとめた。一応即時解雇は免れ、この後の行動によって解雇を免れる可能性は十分ある。とりあえず、今日はこのまま豚さんを連れて帰ろう。まだ肝心のことを聞き出せていない。少し目線を落とすと、豚さんが苦しそうに唸りながら両手で頭を抱えていた。

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