第189話 『1,500トン級軍艦を買うか造るか』

 安政二年四月十四日(1855/5/29) 


「寒い! さむいさむいさむい! 無理! むりむりむり!」


 次郎は誰もいないところでそう叫び、人がいるところでは心の中で叫びながらプチャーチン一行を大泊まで送り、それから樺太のロシア人開拓港への移送を終えて肥前大村に帰ってきた。


 フランスを除いた米英蘭露の四ヶ国との和親条約締結が終わって、ひとまずは一段落の次郎であったが、やるべき事は山積みである。


 蝦夷地上知の幕府の意向はまだ完全になくなってはいない。


 上知を行い幕府主導で北方警備を行おうとするだろうが、結局財政難で松前はもとより仙台・盛岡・弘前・久保田・松前の東北の大藩に対して沿岸の警備義務を割り当てて、会津と庄内も追加されるのだ。


「まあ、防衛ってのは金はかかるが産みはしない。平和と主権を守るためだから、任せてください路線でゴリ押しすればなんとかなるか」


 次に幕府が上知を言ってきたら、次郎はそう返そうと考えていた。





 ■大村藩庁


「久保田藩の油田の稼動が現在約3割。年間8万㎘の産出で、正直八橋油田だけで累計500万㎘あるから、そうそう枯渇しないと思うけど、仮にこれが100%になった場合は年産約26万㎘。埋蔵量だけでみると19年。他にも油田があるけど、産油量の多寡はあっても掘削の技術が現代を仮定して計算しているから、技術革新がないとこれより早く枯渇(あるけど掘れない)だね」


「枯渇だねって、随分簡単に言うな~」


 次郎は苦笑いしながらお里の分析を聞いている。確かに石炭もそうだが、石油や鉄鉱石など鉱物資源の産出量は、掘削技術の開発向上にかかっている。


 しかしこれは産油量ベースで考えているので、消費量が伴わなくては増産しても仕方がない。江戸の人口を100万人と見積もって、年間の灯明用の油の使用量が10万5千500樽。


 全国人口が2千600万人で274万3千樽(1樽=3斗9升計算)。19万2千559㎘の灯明の需要がある。現在供給している灯油は約3万㎘(原油計算で10万㎘)だから、まだまだ増産しても問題ない。


 その需要ベースで考えれば、全部を灯油で賄った場合は、年間64万1,863㎘の原油が必要だ。これで枯渇まで8年弱となる。


 もっとも最初に書いたが八橋油田だけではないし、需要も菜種油をベースに考えているが、全部が灯油に置き換わるまで何年もかかるだろう。室内用には適さないと言っても、ガス灯もある。


 15年~20年くらいは大丈夫じゃないだろうか(希望的観測)。もっとも、そうなる前に樺太の油田開発や蘭印からの原油の安定供給などを確立しなければならない。


 電気が商業化できれば灯油は灯火から暖房へ用途が移るだろうが、まだ先の話だ。


 これは、精煉せいれん方に丸投げするしかない。次郎は文系だ。


 



 ……1,500トン級の軍艦なのであるが、本当に必要だろうか?


 そう次郎は自問自答している。現在、間違いなく大村藩は日本最強の海軍を持っている。戊辰ぼしん戦争まであと13年。あせらずにじっくり富国強兵をやっていけばいいのではないか?


 そんな考えは軍艦に限らず常に頭をよぎる。


 しかし、日本から内戦の芽を摘んでソフトランディングで明治維新を迎える(今のところ幕府は残したまま、もしくは徳川家は残したまま)ためには、他の追随を許さない軍事力・経済力・文化力が必要なのだ。


 結局いつもそこに行き着いて、守旧派に納得してもらいながら事を進めていく。


 その、軍艦であるが、オランダに発注するか藩で造船するか迷っていた。おそらく、コストで考えれば国産の方が安く上がるだろう。これまでの経験を考えればできないことはない。


 しかし未だに、安全性の面から考えると一抹の不安が残る。それは、初めてだからだ。それならば、最初の蒸気機関と同じように購入し、それを真似て改良を加えれば良い。


 信之介や他の技術者陣のおかげで、一部では西欧をしのぐ軍事技術を持つ大村藩であるが、たかだか(転生してから)18年の歴史である。





「クルティウス殿、1,500トンから2千トンの軍艦を買いたいが、可能ですか? 条件は現在オランダが持っている最新の装備、技術を用いたもので砲は15門から20門」


 クルティウスは考えているが、


「……可能です。幕府からは600トン(咸臨丸)と300トン(朝陽丸)の船の受注をいただいてます。他ならぬジロウ殿の頼みなら、政府にゴリ押ししてでも通します。ただ……」


 笑顔でそう言うクルティウスの腹の中は次郎にはわからない。商売人であり外交官であるクルティウスは、大村藩と幕府、両方と上手くつながりを持ちながら国益を最優先に考えているのだ。





「ただ?」


「ただ、武器と軍艦は幕府しか輸入してはいけない、という法が定められたのではありませんか?」


 あ!


 あああああ!


 となるところであるが、そうではない。


 幕府は観光丸の寄贈とあわせてオランダに軍艦二隻を発注しているのだ。もちろん、海防のためである。しかし、各藩に海防海防と言っておきながら、軍艦を含む武器の購入を禁止するのは矛盾している。


 そこで和親条約の締結とあわせて、沿岸諸藩に対しては大船建造の禁の廃止と同様、購入を許可する触れを出していたのだ。


「ご心配には及びませぬ。国内の法ゆえ、クルティウス殿には伝わっていなかったのかもしれませぬが、武器輸入は解禁されたのです」


「そうなのですか! それは良かった。……では、値段の話になりますが……11万9千両、というところでしょうか」


「!」


 笑いながらクルティウスは事もなげに言う。


「ジロウ殿、高いとお思いかもしれませぬが、軍艦にしても大砲にしても、国家の最重要軍事機密なのです。幕府から発注されたヤッパン号(咸臨丸)は、外輪船と言われましたが最新のスクリューに仕様を変更しています。それほど船の技術はめまぐるしく変わっているのです」


 次郎は考えた。


 高くはない。最初に買った蒸気缶や工作機械が9万5千両で、しかも設置費用で4万5千両。合計14万両かかった事に比べたら、軍艦一隻でこの値段、妥当だろう。


「ちなみに、兵装は?」


「各種あります。固定ではなく載せ替えが可能ですが、各lbポンドのカノン砲やカロネード砲。それから新型ダルグレン砲やクルップ砲など……」


「! ……わかりました! ではクルップ砲十六門で。それから先行して設計図をいただけませんか?」


「……良いでしょう」


 オランダと日本の往復は一年半。それをもとに作り始めて四年後か四年半後にはできあがる。


「ありがとうございます。それからクルティウス殿、もし、もしではございますが、反射炉ではなく新しい炉を使った製鉄法がヨーロッパで主流となりつつある、もしくは発明されたという話があったならば、その資料もしくは技師の手配をお願いできますか? これは今回に限った事ではないのですが」


 クルティウスは眉をひそめ、慎重に言葉を選びながら答えた。

 

「新しい製鉄法についてですか。確かに……このクルップ砲は鋼鉄製で強度があり、長射程で高精度のものです。鋼鉄を大量に作るとなれば……それに必要な新しい製鉄技術が、プロイセンを始めイギリスを中心に開発されつつあると聞いています。が、詳しいところはわかりません」


「それで構いません。情報が欲しいのです」


 クルップ砲を製造するとなれば、鋼鉄が大量に必要である。


 次郎は精煉方に全幅の信頼を寄せてはいるが、いつかの田中久重と同じく、どうすれば早く正確に、より良い物をつくれるか? という観点からの発想だ。


 



 結局次郎は、オランダから設計図先行で最新の軍艦を11万9千両で買う事になった。


 



「御家老様! 大変でございます!」


如何いかがした、騒々しい」


「飛龍丸を……飛龍丸を献上する……斯様かような話が持ち上がっているのでございます」


「なにい! ?」





 次回 第190話 (仮)『飛龍丸献上』

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