第150話 『ソルベー法の完成と九条幸経』

 嘉永五年四月二十日(1852/6/7) 肥前大村 精煉せいれん方 


 高炉の前で、いよいよ実際の装置設置と試験運転が始まった。


 緊張感が漂う中、ブルークは真剣な表情で助手たちに向かって指示を出す。全員に決意の表情が浮かび、各自の持ち場につく。


「まずは(アンモニア+塩化ナトリウム)水溶液の供給から始めましょう。杉君、貯蔵槽の準備はいいですか。浅田(千代治)君、松田(洋三郎)君、長井(兵庫)君、土屋(善右衛門)君は、反応塔の準備をお願いします」


 ブルークは声に力を込めて言った。


 助手たちはうなずきながら、慎重に作業を開始する。反応塔は上部と下部に管が通っており、下部から二酸化炭素、上部から(アンモニア+塩化ナトリウム)水溶液が注入される構造になっている。


 浅田たちは額に汗を浮かべながら、慎重に反応塔を設置し、準備を整えた。


 ブルークは眉間にしわを寄せながら、設置作業を監督し、細部の調整に余念がない。すべての装置が設置されると、緊張感が高まる中、いよいよ試験運転が始まる。


「(アンモニア+塩化ナトリウム)水溶液の供給を開始してください」


 ブルークは深呼吸をしてから、声を張り上げた。


 杉亨二は緊張した面持ちで慎重にバルブを開き、(アンモニア+塩化ナトリウム)水溶液が反応塔に供給され始める。次に二酸化炭素の反応塔への供給が開始された。


 反応塔内で(アンモニア+塩化ナトリウム)水溶液と二酸化炭素が反応を開始し、塩化アンモニウムと炭酸水素ナトリウムが生成されていく。


 白い結晶として炭酸水素ナトリウムが徐々に形成されていく様子に、全員が息を呑んだ。


「炭酸水素ナトリウムが生成されていますね。次はどうすればいいですか?」


 松田が目を輝かせながら確認し、興奮した様子で言うと、ブルークは落ち着いた口調で説明を続ける。


「生成された炭酸水素ナトリウムは塔の底部に沈殿します。これを定期的に取り出して、乾燥させる必要があります」


「取り出し作業はどう行いますか?」


 土屋の質問にブルークは丁寧に答える。


「沈殿した炭酸水素ナトリウムを取り出すための排出口を設けています。ここから定期的に取り出し、乾燥用のトレイに移します」


「乾燥させた後はどうするのですか?」


 と浅田。


「乾燥させた炭酸水素ナトリウムを高温で熱分解して、炭酸ナトリウムに変換します。この工程には専用の加熱装置が必要です」


「温度管理はどうしますか? 適切な温度でないと反応が不完全になりますよね」


「その通りです。温度計や職人の経験を活用して、正確な温度管理を行います。細心の注意を払いながら進めましょう」


 ブルークと浅田の問答が続く。





 数日間同様の試験運用を行い、安定して反応塔からの炭酸水素ナトリウムの取り出しと乾燥、そして熱分解の工程が整えられ、炭酸ナトリウムの安定供給の目処がたっていった。


「炭酸水素ナトリウムの生成と回収、そして炭酸ナトリウムへの変換が安定しました!」


 ブルークは満面の笑みを浮かべながら宣言した。慎重に進行状況を確認し、次の工程に向けた準備が整えられた。全員の顔に達成感と安堵あんどの表情が浮かんでいる。


 ここまでにかかった費用、約78,800両。ソルベー法による炭酸ナトリウムの生成に成功したのだ。





 ■医学方


「先生、このゴーグルと長靴とやらはすこぶる良いですな」


「然様。これがあれば直に触れる事なく、安全に治療を行うことができます。欲を言えばゴムの手袋ですが、さすがにまだ出来上がってないようです」


 長与俊達は目を輝かせながら一之進に語りかけると、二宮敬作も同意するように頷きながら付け加えた。


うですね。医療機器や器具が揃えば、それだけ治療がやりやすくなるのは確かですね」


 一之進は両者の熱意に微笑みながら応じた。


 突然、次郎の声がして三人の会話が途切れる。


「よう! 一之進。調子はどうだ?」


「え? いや、普通だけど。どしたん?」


 俊達と敬作は慌てて姿勢を正し、かしこまった様子で言った。


「「これは御家老様」」


「ああ、良いです良いです。そのままで」


 次郎はめったに医学方を訪れない。いわゆる病院が嫌いなのと同じだ。俊達と敬作は畏まってしまったが、次郎は一之進に話があったのだ。


「ちょっと一之進、話せるか?」


「お、おう。どうした?」


 次郎は少し声を落として言うと、一之進は首をかしげながら答えた。



 


 次郎は周りを見回してから、小声で言い始める。


「実はな……」


 次郎は岩倉具視からの手紙の内容を教え、九条経幸の病気を治せるかどうかを聞いた。


「わからん。まず診断もしていないのに結論を出すことなんてできんやろ?」


 一之進は眉をひそめながら答えた。


「まあ、確かにそうだな」


「それにぶっちゃけ、ただの鼻血なら問題はないが、もし……」


「もし、なんだ?」


 次郎は一之進の表情の変化を察して、真剣な面持ちで尋ねた。


「もし、白血病なら手に負えない。それから再生不良性貧血もだ。他にもいくつか考えられるが、今の医療では、正直厳しいかもしれない。緒方先生は別の病気の可能性で、俺の言いつけを守って食生活と生活サイクルを守っているようだが……」


「つまり?」


「つまり、現代でも難しい病気という事だ。白血病や再生不良性貧血は、今の医療技術でも治療が難しいことが多い。命を救えるかどうかは……正直なところ、厳しい」


 一之進は口調が重々しい。


「それでも、何かできることはないのか?」


「まずは診てみないと始まらない。それから普段の食生活や生活サイクルを確認して、必要なら見直しもやらなきゃならん。俺は外科だから内科には詳しくないが、最善を尽くすためにも、できる限りの医療資源を集める必要がある」


「わかった。岩倉殿に知らせよう」


 次郎は頷きながら言った。


 岩倉具視に返事を書き、一之進と京都へ上って治療にあたる事となった。





 次回 第151話(仮)『スクリューと九条幸経』

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