第19話 『大村藩保守派の妬み』

 天保八年 五月十五日(1837/6/17) 玖島くしま城 次郎左衛門武秋


「これは御家老様」


 筆頭家老の大村五郎兵衛昌直は、家禄千四十石九斗二升取りだ。


 その後に同じく、両家とよばれる一門の大村彦次郎友彰(八百四十六石九斗六升)が続き、渋江右膳(三百石)・北条新三郎昌盛(二百石)・稲田又左衛門昌廉(二百石三斗三升)が続く。


 鷲之助わしのすけ様は一番後ろだ。


 家禄でいうと右膳の次のはずだが、職制上最後となっている。先頭の五郎兵衛は見向きもしない。挨拶は礼儀だろうが!


 いや、会釈くらいはしたのだろうか? したかしてないか、わからないならしてないのと同じだ!


 彦次郎様はニコニコと会釈し、右膳は予想通り。新三郎様と又左衛門様は顔は無表情だがきちんと会釈してくれた。


 鷲之助様はすれ違いざまに『気にすんな』と無言で伝えるジェスチャーをした。


 こういう気遣い、嬉しいね。





「では其の方そのほう……」


 謁見の間で一堂に会している。


 改革の成果を発表したり、藩の財政を改善させるための施策、または結果の報告の場だ。


「五郎兵衛様、いかに郷村給人の中士とはいえ、家禄は城代格なのです。ほうという呼び方は適さないのではありませぬか? 親しき間柄でもなく、ここは公の場なのです。太田和殿もしくは次郎左衛門殿、と呼ぶべきかと」


 一門であり筆頭家老の大村五郎兵衛が俺に発した言葉に対し、同じく一門であり次席家老の彦次郎様が遮った。


 さすが! 同じ一門でこうも違うのか!


「……ふん。まあ、良い。では、次郎左衛門、次郎殿、でよいか?」


「は」


 主君である藩主純顕公の前で平伏している俺に対して、殿が言う。


「次郎よ、苦しゅうない。面を上げよ」


「ははっ」


「直答を許す。面を上げよ」


 本当なら以前、すでに直答を許されていたけど、家老達に配慮したんだろうな。殿様も大変だ。


 俺はゆっくりと上体を起こして殿と正対する。


「次郎よ、今のところの収益と今後の見通しを話すが良い」


 家老の何人かはきょとんとしている。


「はは、まずはこの正月からの四ヶ月で、四十両ほどの利となり申した。これはすべての入り用のものを引いておりますゆえ、そのまま藩の収益に加えることができまする」


「おお! 左様か。重畳重畳」


「待て次郎、いや次郎殿。その四十両とはなんだ? 殿、なにかこの者にお命じになっておられたのですか?」


 出た出た出た。言い掛かりか? 五郎兵衛(大村五郎兵衛昌直)が驚いたように発言した。


「うむ、命じていた」


「な、なぜそのようなことを! 家禄が高いとはいえ、一介の郷村給人ですぞ? そのような者にわれら家老に一言もなく、何を命じたのですか?」


 場がざわついたが、一方の一門である彦次郎様や、当たり前だが鷲之助様は動じない。他の藩の閣僚の反応はまちまちだ。


「では聞くが、お主らになにか不都合でもあったのか? あるいは、次郎がそれを為すことで不都合があるのか? それになにより、わしはたかがこれくらいの事を、一人では決められぬのか?」


 殿は少しムッとしたようだ。


 確かに藩の命運を左右する重大事項の決裁じゃあるまいし、石けんをつくって売らせるくらい、どうでもいいことだ。


 あ、石けんの製法や、なんで知っているのか? というのは除いてね。


「いえ、そのような事は決して……」


「では問題なかろう。次郎左衛門は五教館の全ての学問を首席で修め、長崎は無論のこと、大阪や江戸で蘭学と聞けばそれを習い修めてきたのだ。その道のりで知り得た事が、なにゆえに藩に害をなすのだ?」


「申し訳ありません。出過ぎた事を申しました」


 五郎兵衛は恐縮して頭を下げる。


 痛い視線を感じたが、見なくてもわかる。渋江右膳だ。あーうっとうしい。根回しは大事だけど、そもそも毛嫌いしている奴と付き合う方法を知らない。


「さすがであるな、次郎殿。殿、四十両といえば、今の値になおせば……米で十八石にはなり申す。わずか四ヶ月でこれほどの益を出すとは、このまま藩の産物として大いに栄えさせましょう」


「うむ、それはわしも考えておった。次郎、其の方、すでに算段があるのではないか?」


 来た来た来た。


「は、城下給人の皆様に良い評判をいただいておりますので、長崎に向かいては伝手を作りましてございます」


「ほう、伝手とな?」


「は、大浦屋という油問屋にございますが、この問屋と契約を結びましてございます」


「ふむ」


「その大浦屋、長崎にっておりますれば、警護の諸藩は無論の事、幕府の役人ともとつきあいがございます。ゆえに、そうですね……ざっと見積もっても年に三千両ほどは益がでるかと」


「さ、さん、……三千両! ?」


 今度は渋江右膳が素っ頓狂な声を上げた。忙しい奴らだ。


 まあそれも仕方ないだろう。なんせ筆頭家老と、三席家老の合計家禄と同じ量の米が買える額なんだからね。


 これは1個350文でお慶ちゃんに売った計算の利益(250文。原価は100文で見積もり。実際はもっと低い)。


 福岡藩・薩摩藩・対馬藩・長州藩・熊本藩・久留米藩・小倉藩・柳川藩・平戸藩・島原藩・唐津藩の11藩に販売する。


 



 長崎の警護は基本的に佐賀藩と福岡藩が交代で行っていたが、その2藩もふくめた長崎聞役ききやくと呼ばれた役目(11藩)があった。


 聞役の職務は長崎奉行からの指示を国元に伝えることや、情報収集に貿易品の調達と、諸藩との情報交換であった。


 本来はオランダ船や中国船に対応するためだったが、幕末には情報収集から防衛への連動を含め、諸外国の船舶も対象となった。





「よくやった次郎左衛門、褒めてつかわす」


 殿はニコニコしている。


 業績が上がるまで内緒にしていたのは、やっぱり正解だった。いきなり何もない状態で俺が言ったところで、家老達の妨害にあっただろう。


 でも、石けんという現物があり、金が手に入るなら、誰が止める? 馬鹿でもない限り止めない。


 それに今のこの状態では、石けんの存在を誰もが知っているし、その良さも体験している。売れると確信できるのだ。


 報告を終えた俺は、すぐに退座した。その他のメンバーも同じだ。





「次郎、良かったな。されど、これからが大事であるぞ。それから、御家老には気をつけるんだ」


「ありがとうございます。承知しました」


 帰る途中に鷲之助様にそう言われ、少し気になったが、城をあとにした。





 次回 第20話 『偽物と刺客』

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