応援コメント

第2話 『玖島城へ向かう途上にて、心強い味方に出会う』(1837/1/7) 」への応援コメント


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    移り変わりの少ない田舎の民の実家。

    平成初期に第八車に乗ったり五右衛門風呂に入り(内風呂が壊れた時使用)
    年末のみ外の竈で餅を蒸して石臼と杵で餅つき(その後五右衛門風呂と竈は撤去)
    近所に肥溜めがあったり。
    小学生時代はゼンマイ式壁掛け時計を回して遊び、近所の納屋外に放置されたドラム式脱穀機?を回して遊んだり。

    現在も唐箕が蔵(竹と土壁と石)の隅に残っていたり、
    地下水を電動で汲み上げたり(井戸自体はコンクリート蓋で封印)
    ボットンも外トイレでは健在。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^
    五右衛門風呂もあるでしょうし、唐箕はおそらく、今でも納屋にあると思います。

    石臼もあります。

    井戸は祖父母は使ってましたね。今は使ってませんが、井戸自体はあるはず……。

  • 子供の頃、実家は井戸水使ってましたね。電動ポンプで、蛇口から一定量水出すと自動で汲み上げてくれる奴でした。島とはいえ流石に水道は通ってましたけど、昔からずっと使っていた井戸だったのでしょうね。

    山中信之介は同級生の御先祖様なのかな?

    作者からの返信

    コメントありがとうございます^^
    かもしれませんね。
    ちなみに私の実家はつるべ?でした。
    家を建て替える話も出たようですが、井戸には神様が宿るとかで、井戸をふさがなくちゃいけないって事で立ち消えになったそうです。

    ご先祖……なのかもしれませんね。先祖帰りならぬ子孫返り?