4.委ねられる鍵
「外に……ですか?」
彼女はキョトンとした顔をして私にそう聞き返してきた。
私は念を押すように頷き返す。
彼女は困った顔をした。そしてどこか焦った様子で言葉を続けた。
「館での暮らしに何かご不満があったのでしょうか。それとも私のお世話に何か不備があったのでしょうか。もしそうであればお詫びします。その旨を仰ってください。直ちに改善致しますので」
私は首を左右に振った。そんなことは無い。何も不満は無いし、充分すぎるほどに満足している。彼女の世話にも何ひとつ不備は無い。毎日とても快適に過ごさせてもらっている。正すべきところなど、ただのひとつもありはしない。
私の言葉を聞き彼女はホッとした様子を見せた。
そして言う、
「ならば、このままこの館に留まり続ければよいではありませんか。生活に必要なものはすべて館の中に揃っています。今後とも何ひとつ不自由が無いよう私がお世話致します。何か足りない物があれば仰ってください、直ちにお取り寄せしますので。それで何も問題は無いはずです。貴方様がこの館に留まり続けていることを疎ましく思っている者は誰一人としていないのですから。貴方様にとっても、それが最も良いことの筈です」
私は返す言葉に詰まった。
すべてがその通りだった。否定する要素は何も無かった。
それでも、心のどこかで何かが引っ掛かる。
私は視線を泳がせ、充分すぎるほどの間を置き、女性に視線を戻すと、やはりそれまでと同じように館を出ていく意思を彼女に告げた。
彼女は困り果てて軽くうーんと唸って考え込んだ。
どれ程の時間が流れただろう。数秒か、数分か、
しばらくして、彼女は深いため息と共に肩を落とし、深くうな垂れてため息を吐いた。
彼女は言う、
「分かりました。そこまで仰るのであれば、これ以上はお引き留めはしません」
どうやら分かってくれたようだ。
彼女は服のポケットに手を入れると何かを取り出し、それを私へと差し出してきた。
それはひとつの鍵だった。やや大振りの金色の鍵。柄のところには細かな彫刻が施され、赤色の宝石らしきものまで埋め込まれている。日常的に使うものとは違い、あたかも美術品であるかのような印象さえ受ける、そんな一目で特別な箇所の鍵であると分かる代物だった。
「これを貴方様に委ねます。これは当館の正面玄関の鍵です。これで玄関の扉を開けることができます」
私は差し出された鍵を受け取ろうと手を伸ばした。しかし私の指先が鍵に触れる直前、
「ただし、よく考えてからお使いください」
彼女のそんな言葉を受けて私は動きを止めた。その一言に、私は今までにない彼女の口調の強さと棘のような鋭さを感じたからだ。そして私は伸ばそうとした手を引っ込めた。
彼女は私の様子などお構い無しに、傍らの広がる黒く塗りぶぶされた窓へと目を向ける。どこか遠い眼差しをして、窓ガラスの向こう側に広がっているであろう外の世界を見詰めた。
透き通った声。それでいて淡々として、冷ややかで、どこか吐き捨てるような、そんな口調で彼女は言う。
「外の世界は危険と苦難に満ち溢れています。そこにあるのは過酷な現実と残酷な事実だけです。そんな世界にいったいどれほどの価値があるといえるのでしょうか。安全で平穏なこの館での暮らしを捨ててまで、わざわざ赴かなければならない場所なのでしょうか。それほどまでの何かが、本当にそこにはあるのでしょうか……」
彼女はゆっくりとした動きで私へと視線を向ける。真正面から、真っ直ぐな眼差しで、私を見詰めてくる。突き刺さるような真剣な眼差しだった。
「一度外に出てしまったなら、もう二度とここへは戻っては来られませんよ」
なぜだろう、私はその言葉に何か重いものを感じた。
彼女は私の手を取ると、私の掌の上に鍵をそっと置いた。そして両手で包み込むようにして私の指を動かすと、私にその鍵を握らせる。
「どうか、よくお考えください」
私の手から彼女の手が離れる。
私は、鍵を受け取った。
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