3.満たされた空間

 これほどまでに広く大きな館を一人で維持管理するとなると、それがどれ程の仕事量になるのか私では想像もつかない。館の中で彼女の姿を見掛けるたびに、彼女はいつも忙しそうに小走りで館の中を動き回っていた。

 そんな忙しい身でありながら、彼女は私も世話もしてくれた。

 三度の食事の用意はもとより、衣類の用意に洗濯、部屋の掃除、果ては健康管理に至るまで、何から何まですべてを。

 多忙な彼女の手を煩わせるのは悪いと思い、私は自分のことは自分ですると申し出た。しかし彼女は微笑んで返してくる。

「どうぞご遠慮なく。貴方様のお世話もまた私の仕事の内ですから」

 さらに、彼女は微笑みを浮かべたまま続ける。

「それとも、主より承った私の大事な仕事を、貴方様は私から奪おうというお積りなのですか?」

 小首を傾げて彼女は私にそう問い掛けてきた。そして一呼吸分の間を置き、彼女は口元を押えてクスクスと笑った。

 どうやらそれは彼女なりの冗談だったようだ。

 しかしそこまで言われてしまっては私としては引き下がる他無く、私はその後も彼女の世話になり続けることにした。

 彼女は言う。

「もし暇を持て余しているのであれば、趣味などに興じてはいかがですか? 幸いにも、当館の中には様々な娯楽用具が取り揃えられております。どうぞお好きなものをご自由にお使いください。きっとお気に召すものがあると思いますよ」


 彼女の言葉通り、館の中には様々な娯楽用具が揃っていた。テーブルの上で扱えるような小物の類はもとより、体を鍛えるための器具が置かれた部屋、無数の本が収納された図書館のような部屋、カジノのような機械や用具が置かれた部屋、映画館のような大きなスクリーンなどの上映設備がある部屋、果てはプールのような大掛かりな設備に至るまで、およそ思いつく限りの趣味がこなせてしまえるほどに、様々なものがこれでもかと。

 それはもう個人で揃えられる範疇を超えていた。これはもうひとつの遊戯施設といっても良いほどの規模とこだわり様だった。狂気さえ感じるほどだった。

 それ以外にも、この館の中には様々な物が揃えられていた。食料品に衣料品、日用品に生活雑貨、大工用具に工作機械、さらには専門的な知識がなければ到底扱えないであろう医療器具や医薬品に至るまで。無い物が無いほどに、ありとあらゆる物がすべて。

 それら品々は多少浪費して数を減らしても翌日にはもとの数量に戻っていた。工具などの道具の類は使って摩耗したり破損したりしても、数日後には新品同様に整備されているか、新品に取り換えられていた。館の中には彼女しかいないことを考えると、すべて彼女の仕業なのだろう。その働きぶりには頭が下がる思いだった。



 私は生活の全てを彼女に世話され、空いた時間は趣味に興じて、何ひとつ不自由無く、何ひとつ不満さえも無く、どこまでも快適に、ひたすら悠々自適に、流れゆく日々を過ごした。


 この館での暮らしは、まさに楽園そのものだった。




 それでも、私は黒く塗り潰された窓を見る度に思ってしまう。私の胸にその思いが込み上げてくる。

 いつまでもここに留まり続けるべきではない――と。

 沼の底に音も無く泥が堆積していくように、心の奥底にそんな思いが積み重なり募っていく。日に日に強くなっていく。大きくなっていく。

 抑えきれなくなっていく。


 だから、私は――、

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