第36話 甘美な誘惑①
「ケイ。お、お願いがあるアル」
僕たちは王国へ向かう森の中、王国は目前だ。道中、僕とアネマラはお互いに顔を真っ赤にさせて、とても話せた物じゃなかった。ただ手だけを繋いでここまで歩いて来た。
僕は我ながらすごい事を言ってしまった。こんな僕なんかと不釣り合いな美しい女性と、ずっと一緒に居たいだなんて。後先考えずに気持ちを伝えたが、よく断られなかったものだ。
そんな折、アネマラが唐突に口を開いた。お願いとは一体何だろうか?
「何でも言ってよ」
「き、傷を舐めたいアル」
アネマラは恥じらいながら言う。突然のお願いに僕は困惑した。僕は恋人が居たことがないからよくわからないが、こう言う事をするものだろうか? 身近なンデラさんとダフネはイチャイチャしすぎて参考にならない。
とりあえず、胸がバクバクし過ぎだ。冷静になって考えろ。まず、傷を舐める行為はよくわからないが、血自体は毒だと見なした方が良い。特に僕みたいに薬や毒漬けの人間の血液は危険だ。まぁ、出血を伴わない傷跡程度なら構わないか。恋人同士だし。
「と、とりあえず手の傷跡程度なら構わないよ。出血している所があれば止めておいた方がいい」
「あ、ありがとうアル」
そう言って、アネマラの舌が僕の手の甲の傷跡を撫でる。とても柔らかく、温かい。何だかわからないが、幸せを感じられる。アネマラも、とても幸せそうな顔だ。
「と、突然どうしたの?」
「水色の髪の娘が言ったアル」
ミリアーナが? なんで? きっと僕と別行動で戦って貰っていた時だ。おそらく、激しい戦闘をしていたはずだが、どんな流れでそんな会話になったのだろうか?
それにミリアーナが言ったのなら、間違いない。彼女は恋愛経験が豊富なのに加えて、とても厳しい。例え交際相手だろうがダサい行為を決して許さない人だ。だから、恋人はこのような事をするに違いない。
「ありがとうアル。今度はケイの番アルヨ」
そう言って、アネマラは膝の古い傷跡を僕に見せる。とても綺麗な足だ。鍛え抜かれた足のはずだが、とても細く、美しい白さ。それでいて、女性特有の丸みを帯び艶っぽい。
「ぼ、僕が舐めるの?」
「い、嫌アルカ?」
よくわからないが、きっと恋人同士はこう言う事をするのだろう。それに女性から、こんな事を言わせて、恥を欠かせるなんて。僕はなんて駄目な男なんだ。
「いや、全く嫌じゃないよ。僕こういうのが初めてだから」
我ながら、なんて情けないセリフだ。とりあえず、僕はアネマラの膝の傷跡を舐める。なんて細やかな肌なんだ。別にこれは、やましいことじゃない。恋人同士なら普通の行為だ。
「ありがとうアル」
アネマラは恍惚の表情で感謝を述べる。
「いや、僕の方こそ、ありがとう」
何に感謝しているのかわからないが、こう言うのが作法なのだろう。今まで恋愛して来なかったツケだ。と言っても、魔力がない僕と付き合ってくれる物好きはいなかったのだが。
「も、もう一度傷を舐めていいアルカ?」
アネマラはとても恥ずかしそうに言う。
「いいよ。気が済むまで」
こ、これは決して、やましくない。恋人同士の日常なはずだ。魔力がなく、薬しか取り柄がない僕が、こんな素敵な女性と一緒にいられるなんて。なんて夢心地な気分なんだ。
……夢心地
いや。これはさっきから何かがおかしい。僕は恋愛初心者だ。だが、アネマラも失礼だけど、恋愛に慣れているとは思えない。そんなアネマラが急にこんな事を言い出すだろうか?
「んへへへアル」
アネマラは何やら恍惚な表情を浮かべている。これはもしや催淫作用のあるものか? そうだとしたら、僕の鼻をかい潜る程の無臭なもの。おそらく意図的に作られた人工的な毒物だ。
人の気配を感じろ。自然の中の気の乱れを感じ取るんだ。
風上に位置するあるあの大きな木の影に誰かいる。おそらく一人だけ。
「そこに誰かいるんだろ? 出ておいでよ」
僕はその木の後ろにいる人に声をかける。
「ばれてしまっては仕方がない。どこまで気付いているんだい?」
そう言って木の影からガイアン並みに大きい男性が現れた。ヘクサエレメンタ教の黒装束を着た無精髭の中年だ。
「あなた教会の人ですか? 僕たちにこんな毒を仕掛けてどう言うつもりだ?」
「君はすごいね。臭わないように作ったはずだが、よく気付いたね」
教会の男性は僕に拍手しながら、余裕のある話し方だ。
「質問に答えて下さい」
「僕の名前はレオパルド・パブリカス。見てわかると思うが、ヘクサエレメンタ教の神父をしている。そして僕も君と同じで薬を扱う」
やはり、ヘクサエレメンタ教の人か。魔力そのものを神とする宗教。僕のような魔力を持たない人間を『異教の民』として排除しようとする人たちだ。
「そっちじゃない。貴方は僕たちに何をした?」
「ああ、これのことね。君には効かないんだね。とても不思議だ。これは初期症状で催淫作用を惹き起こす。普通の男女ならここで性行為を始めていたところだよ。ただ、君たちのような反応は初めてだ。まるでお子様。実に興味深い」
やっぱりアネマラの異常行動はこの人のせいか。それにお子様とは失礼な人だ。知らないのか? これはミリアーナからお墨付き、恋人同士の普通の行為だ。
「あなたは酷い趣味をしている。どうしてそんな毒を?」
「毒? 違うね。これは薬だ。これは快楽を与える神の薬だよ。これを使えば幸福な気持ちに成れる。あらゆる不安を払拭できる。この世に居ながら天国に最も近い所に辿り着ける物だよ」
なるほど。おそらく彼が使ったのは依存性のある薬物ということか。
「薬師の風上にも置けないね」
「そうかな? 僕と意見が違うね。薬とは生活を豊かにするもの。あらゆる快楽を得ることができるこれこそ、究極の薬という物だよ。それ故、それを扱う僕は究極の薬師と言って差し支えないと思うがね」
この人の言っていることは一見正論に見える。しかし、ただのまやかしだ。屁理屈に過ぎない。
「あなたの使っているそれは、人に不必要な欲を生じさせた上、欲を膨張させる毒だ。過度な欲は人間の理性を狂わせる。理性を奪われた人間の生活が豊かどうかなんて論じるまでも無いね」
「なるほど。僕と君とでは薬師としての価値観が異なる。では、勝負で勝った方が正しい。それでいいだろう?」
この人、一体どういうつもりだ? しかし、これは好条件だ。単純な勝負なら負けはしない。今の僕は
「いいだろう。僕が勝てば、あなたは立ち去り、その薬とやらを今後一切使わないと約束してくれるかい?」
「良かろう。君が勝てばだけどね。僕が勝てば、君たちの腎臓を譲り受けるとするよ」
「何が目的だ?」
「君たち『
天仙? 仙人の種類なのか? この人は僕より仙人への知識が深い。危険だ。そして、こんな身勝手な理由を言って受け入れられるわけがない。何か秘策があるのか?
「そんな理由で受け入れると思ったのか? それに、今の状態のアネマラから同意は得られないよ」
「君は真面目だね。わかったよ。強引に貰うとするよ」
やっぱり、この人、紳士ぶっているが結局は強引な手段か。
「そうはさせないよ! 僕はあなたに負けはしない」
「そうだろうね。君はきっと僕より強い」
この人は何を言っているんだ?
「代わりに、僕のアネマラが、君の相手をさせて貰うよ」
チリン
「んへへへアル」
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