第29話 氷地獄④

「ジャアアアアアアアアアアアアアア」


 ヨルムンガンドは悶えている。


「ケイ、何をしたアルカ?」


 アネマラがまだ戦闘態勢を保ったまま、僕の近くに寄って来る。


鎮魂丸ちんこんがんを作って与えた。おそらく、アコネさんは多魂症たこんしょうだ」


「多魂症アルカ?」


 アネマラは首を傾げている。


「本来、一つの肉体には、一つのこんが宿る。しかし、多魂症は一つの肉体に複数の魂が宿ることで、複数の人格を有するようになる」


「そんなことがあるアルカ?」


「原因はさまざまだけど、多いのは過剰なストレスによる物らしい。ストレスへの防御反応で、魂を分割し、意思を二つ以上持つことがあると父から聞いたことがある」


「わけわからないアル」


 ちょっと難しく言いすぎたみたいだ。アネマラは困惑した表情で答える。


「僕の肉体に、僕の意思とンデラさんの意思が一緒にいるみたいな物だよ」


「ケ、ケイが変態になるのは困るアルヨ」


「そして、今のアコネさんはおそらく、アコネさんの肉体と意思に、別の意思が付与された。あるいは、その逆だと思う」


「な、なるほどアル。わ、わかったアルヨ」


 アネマラは目を泳がせて言っている。


「そして、過剰になった魂が暴走している状態だ。まるで、僕が初めてミズチになった時のように」


「ジャアアアアアアアアアアアアアア」


 ヨルムンガンドは白い蒸気をあげて、徐々に小さくなって行っている。


「どうやら、成功したみたいだ」


「成功したアルカ!?」


 アネマラは訝しげな顔で質問をする。


「鎮魂丸は過剰な魂を抑制する薬。そうすることでアコネさんは元に戻る可能性がある」


「成功しなかったらどうするアル?」


「その時は僕が責任を持って、ヨルムンガンドをやっつける」


「私も一緒アルヨ」


 アネマラは微笑みながら言う。


「ありがとう。でも、できればそうならないで欲しい」


 シュアアアア


 ヨルムンガンドはすっかりと小さくなっている。煙に覆われているが、大人ぐらいの大きさをしている影が見える。


「僕が確かめて来る」


「気を付けるアルヨ」


 僕は恐る恐るアコネさんらしき陰に近づく。煙も薄くなって来て、そこにあった人影をようやく認識できるようになる。


「そ、そんな……」


 ヨルムンガンドが小さくなったところにある人影。それはすでに骸となっていた。


「ぼ、僕が殺してしまった……」


 僕は自分のニワカ知識での治療を恥じた。後悔した。目から涙が溢れる。


 僕はアコネさんが、多魂症であると疑った。本来ありえない水と火の複数属性を持つことと、ところどころに現れる不気味な声を発することとが理由だ。ただ、確信したわけではない。可能性を見出しただけだ。


 僕は多魂症と思わしき症状に、多魂症の治療薬を投じた。これは正解だったのか? 更には、人間とは異なる生物に人間と同じ治療をした。生物機能が似ていても、全く同じではない。治療効果が得られない可能性をもっと考慮すべきだった。


 薬師として失格だ。助けるべき命をただの仮定を根拠に治療を施し、殺してしまった。不甲斐ない。そして、アコネさんごめんなさい。僕は取り返しの付かない過ちを犯してしまった。


 いつの間に近寄って来ていたアネマラは、状況を見て全てを察したのだろう。何も言わずに後ろから僕を抱きしめる。


「アネマラごめん。僕は助けるどころか、アコネさんを殺してしまった」


「ケイは悪くないアル」


 僕は咎めて欲しかった。ただ、アネマラはそんな駄目な僕にも慰めの言葉をかける。罪悪感で押しつぶされそうな体に、優しい抱擁が沁み入り、涙が止まらない。


「スピー。スピー」


 え!? 僕たちの目の前にいたアコネさんの亡骸は突然寝息を立てるようになった。


「お、お化けアルううううう」


 アネマラは僕の後ろでガクガク震えている。


「あ、アネマラ! く、苦じい」


 アネマラの抱擁は別の意味に変わり、渾身の締め技へと変貌を遂げた。


『少年よ。すまない手間をかけた』


 突如、また先程の喋る光の玉こと、ブラックミンタートルが現れる。


「お、お化け怖いアルうううううう」


「アネマラ。し、死ぬぅ」


 アネマラの締め付けが、さらに強くなり僕の意識は今世との別れを告げようとしている。


「け、ケイ大丈夫アルカ!? しっかりするアル! 死んじゃ駄目アルヨ!」


 僕は寸前のところで、意識を繋ぎ留めたようだ。


『……少年よ。本当にすまない』


 せっかく光る玉が再登場したのに、気を遣わせてしまった。僕の方まで申し訳ない気持ちになる。


「ご、ごめんなさい。起きるに起きれなくなってしまって。寝たふりをしてしまいました」


 目の前の骸からアコネさんの声がする。ど、どういうことだ!? 分かる事は、僕はアコネさんらしき骸骨にまで気を遣わせてしまったようだ。


「おのれ、お化け共! よくもケイに酷い目に合わせたアルネ!」


 アネマラ錯乱状態だ。骸骨と光る玉を相手に臨戦態勢をとる。


「あ、アネマラ落ち着いて。とにかく話を聞こう!」


 今度は僕がアネマラを後ろから羽交い締めにして、制止する。何故なら、例えそれがお化けでも、僕は彼らに酷い目に合わされてなどいない。


『……少年よ。度々すまない』


「アネマラさん驚かして、ごめんなさい」


 光る玉と骸骨は僕たちに謝罪する。なんというか、こちらの方こそ、ごめんなさい。


『アコネは尸解仙しかいせんとなった大蛇の霊獣じゃ』


「尸解仙?」


 始めて聞く言葉だ。


『尸解仙とは生きる屍。朽ちた肉体に魂を留める禁術。生前、アコネと夫婦になるも、死後も取り残される儂を不憫に思い、生ける死者となった』


「では、アコネさんは尸解仙だから、その姿ということですか?」


「はい。儀式で肉体は火葬して、骨だけになっています」


 そう言えば、アコネさんは火傷でお面をしていたと言っていた。火傷とはそう言う事じゃないとツッコミたくなるが、場にそぐわない。言葉は喉元に留めることにした。


『尸解仙となってからも数千年、仲睦まじく過ごしてた。しかし、最近になってアコネの肉体に、この場で朽ちて行った冒険者共の魂が入り混ざってしまった。複数の魂が混ざり、巨大になって暴走した結果がこれじゃ』


「なるほど。アコネさんはゴールドランクの冒険者と言ったり、仲間を庇って戦おうとしたのも、その冒険者たちの魂が混ざった結果ということですかね?」


「はい。記憶が混乱しているので、おそらくですが、私自身はもちろん冒険者だったことはありません」


 なるほど、それであのチグハグな言動や強さだったわけだ。


「ところで、ウォルフさんは、どうしてその姿なんですか?」


『儂の肉体はこの氷の地面の底に眠っておる。長い年月生きることで魂を遊離できるようになった。もはや、儂も尸解仙に近い存在。それも、妻の魂の暴走で、儂の魂まで引き剥がされるところじゃった。お主には感謝しておる。こうして、また正気の妻と喋れるとは思わなかった』


「私からも、ありがとうございます。そして、皆様には大変ご迷惑をおかけしました」


 アコネさんは僕に深々と頭を下げた。


「アコネさんが助けてと言いました。その言葉がなければ、僕とアネマラはアコネさんを殺していたと思います」


「いえ。殺されても仕方ありません。暴走した私は過去に何人殺めたかすら分かりません」


『よく妻を助けてくれた。なんとお詫びしたらいい物じゃ』


「それでは、ウォルフさんの抜け殻って貰えますか? それで病の妹を助けたいんです」


『昔。同じようなことを言った龍がおった。いいじゃろう。抜け殻というのは儂の本体の甲羅のことじゃろう。今君がいるところの下を掘り進めれば得られる。儂もこの体じゃ、もう長くはない好きに剥いだらええ』


「そんな。やっとアコネさんと再会できたのに……」


 ウォルフさんの死期が近いことを聞き、切ない気持ちになる。


『あぁ。あと、たった数百年しか生きられないじゃろう。寿命が付きるまでもう時間がない。最期まで妻と一緒に添い遂げたいと思っておる』


「……あ、はい」


 さすが一万年生きた霊獣。僕と時間感覚が違い過ぎた。


『お主たちは仙人じゃろう? 不老不死の存在じゃ。永遠の時を、そこの気絶しておる仙女と仲睦まじく過ごすがよい』


 気絶している?


「アネマラ! 大丈夫か!!」


「……ケイ。お、お化けアルうううううう!!!!」

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