第17話 マーヤークさんと妖精女王の過去2

 変化が訪れたのは、マーヤークの魔力が通常時まで戻った頃だった。妖精女王との暮らしが3年にも届いたかという朝、目覚めると体が大人の状態に戻っていた。


 子供状態で行動していた時間が思いのほか長く、マーヤーク自身も自分の変化が信じられなかった。しばらく手を眺めていると、妖精女王が顔を出す。



「あら、起きたのね。よかったわ」


「妖精女王様……私は……」



 クビですか? と喉まで出かかって、グッと言葉を飲み込む。向こうから出ていけと言われるまでは、余計なことを言うまい。手で口を覆って目を逸らすマーヤークに、妖精王女は透明がかった赤い実を差し出す。



「食べる? おいしいのよ」


「ありがとう……ございます」


「森の恵みはね、私たちを助けてくれるわ」


「……はい」


「あなたのこともね」



 マーヤークはどう答えていいか分からずに黙っていた。距離が近い。3年近くこの女性を見てきたが、恋人はいないようだった。体が元に戻った今、自分が名乗りをあげてもいいのだろうか? それとも、子どもの体だから一緒にいることを許されていただけなのだろうか……?


 妖精女王は森を統べる者といわれている。しかし、なぜ妖精城に住まわないのか。お付きの妖精も見当たらず、ただ少年になったマーヤークを近くに置いていた。言ってみれば寂しい生活とも見えるこの森の一軒家での暮らしは、これからどうなるのだろう。


 ふと寂しげな顔をする妖精女王に、マーヤークは手を伸ばす。


 嫌がられるだろうか……不敬だと叱責されるかもしれない。



「まあ……やっぱりあなたは優しいのね」



 想定外の言葉に許諾の意志を読み取って、マーヤークは彼女を引き寄せた。思いのほか抵抗もなく胸に抱き込むことができる。目をぱちくりさせる妖精女王の体が想像以上に小さいことに気づき、大人の姿になった悪魔は色っぽい笑みを浮かべた。



「果たして……私は優しいのでしょうか」



 妖精女王の髪をひと房すくい取り、そっと口付ける。様子を見ながら首を傾げると、優しい瞳に迎え入れられた。どこまで許されるのだろうか……? 妖精女王はお人好しだ。懇願するように上目遣いでせまれば、マーヤークの望みは叶えられるだろう。しかし、そこまでズルい手を使いたくはなかった。


 目を伏せて考えを巡らせる。この3年弱の関係で、多少の信頼は得られたという自負もあった。それはこの行動で崩れ去るものだろうか。向こうから近寄ってくれたからといって、甘えては駄目だろうか。薔薇色の唇が視界に入っている。髪に口付けが許されたなら、唇へも許されるのではないだろうか……


 ほんの一瞬でさまざまなことを思い巡らせて、マーヤークは妖精女王を強く抱きしめる。



「お許しください……あなたを愛してしまいました」


「……何も謝ることはないわ」



 私の望みは叶うのだろうか……? そこまで考えて、3年ほど前の自分がどういう状態だったかを思い出す。私と恋仲になった者たちはみんな消滅した……自分のことが信じられない。これまでは子どもの体だったからか愛欲に精神を惑わされるようなこともなかったが、今は理性と別の部分に操られるような感覚があり、破滅の予感ばかりが膨らんでいる。


 自分から告白をしておいて何だが、この人を好きになってはいけないのだ。


 しかし、今、心から好きだと思える女性が腕の中にいる。身動きもせず、逃げるそぶりも見せない。


 ふと目が合うと、彼女は目を細めて微笑む。その表情に自然と導かれて、マーヤークは小さく柔らかい唇にそっと口付けた。


 形ばかりの軽いキスのつもりだったが、軽く痺れるような感覚に襲われ、驚いて顔を上げる。やはり妖精と悪魔は反発し合うのか? そう思いながら視線を下げると、蕩けるような瞳で唇を開く妖精女王がいた。



「愛とは何かしら」


「え?」


「私は役目を終えるわ。もうあの子に力の大半はあげてしまったの」


「……」


「とても心配。あんなに小さくて大丈夫かしら」


「王子のことが心配ですか?」


「あなたのことも心配。こんなに弱々しくて、今にも崩れそうなんだもの」



 この妖精女王にとっての愛とは……相手を心配することなのだろうか? 私は愛されているのか? いや、それ以前に彼女はなんと言った? 役目を……終える??


 マーヤークは知らず知らずのうちに涙を流していたようだった。頬に触れる妖精女王の指が、悪魔の涙を拭って癒やそうとしている。その優しさが、終末を物語っているようでたまらない。



「泣かないで、マーヤーク」



 可憐な妖精女王の声が、悪魔の耳に甘やかに響く。



「あなたを助けてくれる人はまだここにいないけれど、それまで生き延びられるように力をあげましょう」


「お願いです……おやめください……それ以上は……」


「私を取り込めば2000年は余裕でしょ」


「嫌です……」


「魔国にいくといいわ、あなたの能力なら匿ってもらえるから、2000年分の契約をするのです」


「嫌だ」


「どっちみち私は次の世代に道をあけるところまで来ているの。無駄にしないで……ね?」


「嫌だっ……!」



 この妖精女王ときたら、いつもそうだった。自分を犠牲にして他者を助けようとする。だからこそマーヤークは助けられたのだが、そんなことは棚に上げて考える。誰かに与えるばかりで、楽しみなどあったのだろうか? これまで妖精女王に反抗などしなかったマーヤークだったが、思わず細い腕を押さえてベッドに組み敷いてしまう。


 ここまでしても、抵抗はなかった。あまりにもスムーズで逆に怖い。本当に……いいのか? 愛という名でごまかして、私はこの方を穢したいだけなのでは? 


 先ほど重ねたばかりの唇をもう一度奪う。舌でこじ開けると、彼女の唇が柔らかく開いた。噛みちぎられてもいいと思い、奥へと進む。すると、彼女のほうからも舌を絡めてきた。



「うむっ……ふうっ……女王様もこんなことをするんですね……」


「はぁ……あなたを助けてあげたいの、本当よ……」


「そうですか、それじゃあもう少しお付き合いください」


「……私はもうこの身体をあなたに捧げました……だからあなたの好きになさい」



 取り込めという意味でなら、確かに先ほど許可をもらっている。だが、これからマーヤークがしようとしていることは、果たして許されるのだろうか? 悪魔も妖精も自然に生まれるものなので、理論的には必要ない器官が備わっているのは理不尽でしかない。しかし、人間を模している者たちは快楽を得ることができる。だから、高次の魔物や精霊たちは人間の姿になりたがるのだ。


 まさか妖精女王が快楽を目的に人間を模しているとは思わないが、結果的に可能になっているからこの状況に持ち込めている。マーヤークは、偶然の成り行きにおかしな必然性を感じて薄く笑った。



「本当に……あなたが妖精女王で良かった……」


「あん♡」



 ドレスの上から胸の先端を探ると、妖精女王の身体が跳ねる。服を引き千切りたい欲望に駆られながら、悪魔は紳士的な態度を崩さない。



「妖精女王様……お許しください……」


「あっ……マーヤーク……そこは……んっ♡」



 1本、2本と指を入れていく。ここまで拒否されないのなら、もう想いを遂げるしかない。言葉少なに繋がって、腰を深めていく。案の定、優しく温かい肯定感に包まれて、マーヤークの心は充足感で満たされた。目の前の小さな身体を抱きしめる。様子を見ながら振動を与えると、喜んでくれているように感じた。



「愛しています……あなたを愛しています!」


「ありがとう……マーヤーク……私もよ……」



 恋焦がれる女性に優しく頭を撫でられて、悪魔の感情が大きく揺さぶられる。もっとずっと一緒にいたい、存在し続けてほしいという気持ちと、すべてをメチャクチャにしたいという気持ちが綯い交ぜになってワケがわからない。


 もしかしたら、愛することでこの方に生命力を分けることができるのではないか? まだこの世に繋ぎ止めることができるのではないか? そんな妄想を抱きながら、マーヤークは妖精女王に可能な限りの愛情を注ぎ続けた。


 我を忘れて行為に耽っていると、朝日が差してきたことに気づいて、マーヤークはベッドに倒れ込む。妖精女王に寄り添って髪に触れると、お返しとばかりに緩やかに頬を撫でられた。



「あなたって、意外と頑固者なのね……私こんなに愛されているとは思いもしなかったわ」


「私はあなたと共に在りたいのです……」


「でもね、もう時間がないの。本当よ……」



 妖精女王は微笑みながらマーヤークの手を取る。悪魔がされるがままになっていると、その手を自分の耳に当ててそっと呪文を唱えた。



「えっ……?」


「私の想いを無駄にしないでね……」



 まさか、妖精が悪魔の呪文を知っているとは……砂のように消滅する想い人をただ見つめることしかできず、マーヤークは動きを止めた。こんなにあっけない別れになるとは……頑固者はどっちなのだ? 嫌味のひとつも言いたくなるくらいあっさりと退場されて、気持ちの整理ができないまま、ベッドの上に落ちていた木の葉を拾い上げる。


 彼女の髪の色そのままに、木の葉は何枚か散らばっていた。その葉に口付けながら、マーヤークはぼんやりと悟った。おそらく、もう彼女の体は崩壊がはじまっていたのだろう。だから私に吸収させたのだ。話し合う時間すらなかった……いや、それを奪ったのは私か?


 形見ともいえる木の葉をすべて大切に集め、マーヤークは手のひらに仕舞い込んだ。


 これで完全に彼女は私の中だ……


 


 すると、妖精女王の消滅に呼応するかのように、家の内外で光の粒が出現する。ドアや窓が自然に全開になって、光の渦が流れるように襲いかかって来た。



 フィロフィロフィロフィロフィロフィロ…

 フィロフィロフィロフィロフィロフィロ…

 フィロフィロフィロフィロフィロフィロ…



 室内では分が悪いとばかりに森に出てみると、妖精王子が小さいながらに激怒していた。



「よくも母さまを!」



 完全にマーヤークを悪者だと思い込んでいるが、言い訳をしても意味がない。



 憎ませておいてやろう……


 せめて母の仇を打つためにでも成長できるのならば。





 ……私の想いを無駄にしないでね……





「……決して無駄にするものですかっ!」



 そう呟くと、マーヤークは魔国に向かい一直線に駆け出したのだった。






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