第7話

 まあね。


 私だって昔は塾でバイトしたこともありますよ。保母さんレベルは無理でも、小学生程度なら話も通じるし、面倒見るくらいはできなかぁーない。でもね、フワフワちゃんは言葉が通じないんだよ。私はフワフワ語を習得できていないんだ。おかしいなーおかしいなー。そんなふうに思っていると……部屋のドアが開いたんです。


 ギイィ……イィ……ッ


 真っ暗な部屋の中だ。うわっ……と思って、思わず息を潜めたんです。うわあぁ……誰か入ってくる。怖いなー怖いなーって思って、うぅっと目をつぶる。うぅーっ! ……いるんだ、そこに。ぐうぅーっ! 気配がある。ぐうううぅぅーっ! もう、すぐそこに感じるんだ。消えてくれ消えてくれって思いながら、どぉーも気になる。うっすらと目を開けると……いたんですよ。白いフワフワが。









「もービックリさせないでよ!!」



 保護者肝入りで魔国王子殿下の教育係と相なった私は、引き時を逃してすっかりお城に定着してしまった。割といい感じに陽のあたる角部屋をもらって、ちょっとだけお姫様気分。今は、月夜の晩にホラーチックな起こされ方をして、軽くプンスカしながらベッドに寝そべっている。傍にいるのは、白いモフモフクッション……ではなく王子殿下である。何だかわからんが、要は怖い夢を見て私に会いたくなったっぽい? 状況説明が曖昧なのは、供述内容がムームーオンリーで意味不明だから。とにかく枕を引きずってやってきたフワフワちゃんを、ベッドに寝かせる。おま……猫のくせに枕使うんかい……いや、猫だからこそ、枕を使うんだよね。よし、猫決定。


 でもさ、フワフワちゃんは曲がりなりにも魔国の王子様なんだから、人間とはいえ女性の部屋に入っちゃいけないんじゃないの? 魔国ではそういうの気にしない感じなのかな? こっちは別に、抱っこして一緒に寝る猫がメスでもオスでも変わらんけど。念のため部屋の明かりをつけて、潔白アピール。どうせもうすぐ執事さんが回収にやってくるだろう。それまではムームー言ってるフワフワちゃんの話を聞いているふりだ。


 

「失礼いたします」



 だいぶ経ってからドアがノックされる。遠慮なく部屋に入ってきた執事さんは、素早くフワフワちゃんを見つけると、なぜか私に居直った。



「教育係殿、いけませんねぇ。こんな真夜中に王子殿下を寝床に引き込むとは」



 ……あれ? 怒られてるのは……私か!? なぜだ……解せぬ。顔は笑っているけど、目が怖いよ執事さん。私は早くもクビかな? 王子殿下が勝手に来たのにー? 締め出せば良かったのー?? そんな酷いことできるー??? 私は何とか情に訴えようとしたが、残念ながら執事さんには逆効果だったようだ。みるみるうちに口角が引きつって、髪の色が白から黒に変わっていく。おお……リアルモーフィング……え? あれ? 泣いてる?? ちょっとちょっと、どうしちゃったのかな? 情緒不安定ってこと??


 話を聞いてみると、私が来る前は、フワフワちゃんが頼るのは執事さんだけだったらしい。今日みたいにフワフワちゃんが枕を持ってやってくると、執事さんはホットココア的なものを作ってあげたりして、甲斐甲斐しくお世話をしていたようだ。たびたび見せるキツめの視線。うーん……孫を取られたおじいちゃん的な感じなのか……? 孫離れしてくれ……っていっても無理か。


 とりあえず、執事さんの愚痴を聞いているうちに、ベッドで器用に枕を使い熟睡していたフワフワちゃん。何となく泣き疲れたっぽい執事さんを隣に寝かせてあげて、私は部屋を出た。仲良しのお二人が水入らずで過ごせるように、という気遣いのつもりだったけど、伝わっているかどうか。執事さんには嫌われているようだから、何か陰謀だとでも思われたらどうしよう。ま、いいか。


 私が借りてる角部屋は、メゾネット式というか何というか……半分二階建てみたいになっていて、部屋の外にある階段から上の階に出られる。お城によくある、ちょこんと突き出たトンガリ屋根の部分みたいなところに、私は住んでいるのだった。自由に行けるとはいっても、上の階は柱だけで窓や壁がない吹きっ晒しの場所だから、部屋という感じじゃない。庭? 今まであまり考えたことなかったけど、自由に使っていいんなら、ここに植木鉢とか置いてみようかな?


 月の綺麗な夜だ。フワフワちゃんと執事さん。何だかいろいろあるんだねぇ。



「先程は失礼いたしました、ミドヴェルト様」



 急に声をかけられて超ビビる。振り向くと、執事さんが熟睡したフワフワちゃんを抱っこしていた。自分の部屋に帰るのか。そうだよね、朝までいたらさすがに問題になるわ。



「あ、気にしないでください……」



 気持ちの整理、できたのかな? 穏やかな執事さんの顔を見ながら、そう感じた。執事さんはフワフワちゃんを大切に思っていたんだろう。それが、急にやってきた怪しい外国人に取られた格好だ。大事な魔国の跡継ぎを、不審人物に渡したくない気持ちがあったのかもしれない。それでも、粛々と仕事をしてくれていることには感謝すべきなんだよね。遠ざかる二人の姿を見送って、私はベッドに戻った。










「マーヤークに聞いたぞ、ミドヴェルト殿。これはさっそく試練に向かってもらわねばなるまい!」


「はいぃ??」



 朝イチで王様に呼び出された私は、意味もわからず北の火山までのお使いを言い渡された。マーヤーク?? 誰?


 答えはすぐわかった。執事さんの名前だそうな。また物騒な……というか、何を聞いたの? どうしてそうなったの? やっぱり怒ってたの? 謝るから許してくださいぃ……何で火山まで行かなくちゃいけないの……? 指輪でも捨てるっていうの?! うわぁぁん!!


 いやマジで。何の試練なの? 王子殿下を未成年略取したとか思われちゃったの?? 私は無実ですうぅぅー!!!


 などと考えていたら、私がどうこうという話ではなかったらしい。詳しいことは安心感からか、見事なまでに右から左に抜けていったが、何だかフワフワちゃんが成長して大人になるために必要なイベントとか何とか。魔国の伝統? 通過儀礼? 肝試し的なことなのかな?? それに付き合ってほしいとのこと。何だろ? 溶岩に手でも突っ込んで、セーフ〜! 火傷してません〜! みたいなことするのかな??



 ……んなわきゃあない。











 魔国の北にある火山は、かなりいわくつきの山で、毎年100人近い犠牲者が出ているのだという。そんなところに王子様なんて送り込んで大丈夫なの?! イメージ的に18歳くらいの王子様ならまあ……まあじゃないが。でもさ、フワフワちゃんだよ?! だいたい何歳なの、あの子。しかも「ムー」しか言わないんだよ!? やめようよ!!!


 そんな私の慎重な提言など、誰も聞いちゃいなかった。そう、フワフワちゃんすらも。



「ムー! ム、ムー!!」


「ははは! そうですなあ、以前王子殿下と遠出したのも、確かにこのようないい陽気でした!」



 お久しぶりのバイソン系騎士モルドーレさん……何だかフワフワちゃんと話が盛り上がっているようだが、文官さんといい、何でフワフワ語が解読できるんだ……? 一応コツみたいなものを聞いてみたんだけど、ヤギ系文官さんは顔を赤らめて恐縮するばかりでまったく要領を得なかった。……どゆこと? モルドーレさんにも質問してみたいけど、また変な感じになったら嫌だなあ……強そうだし、うっかり怒らせてぶん殴られる流れになったら大変だ。あの強そうな執事のマーヤークさんを遠くまでぶっ飛ばすフワフワちゃんと互角か、それ以上のパワーがありそうなモルドーレさんは、騎士だから何かの殺人技術に特化してそう。余裕で死ねる。いや、死にたくない。


 7日ぐらい歩いて、やっと登山口っぽいところに辿り着いた。今回は竜車ナシ。試練だからか? 大自然で野宿を覚悟していたけど、街道沿いだけでなく火山の麓には村があって、登山者が滞在したり、装備を整えたりする余裕があったみたい。登ったフリして、ここから引き返して帰ることもできるように、火山の石っぽいのがお土産屋さんで売っていた。いいのかそれで、魔国。


 フワフワちゃんは大喜びで露店を見て回っている。思ったより登山客や観光客が多くて、ついていくモルドーレさんも大変そう。今回は、べへモト騎士団から他に5名ほど派遣されてる。いわゆる登山パーティを組んで挑戦するらしい。火山ってことは……有毒ガスに注意?? あーでもみんな魔物だしなぁ……私だけが危険なのかも。ははは、せいぜい気をつけようではないか。仲間の注意喚起には期待しないようにしよう。なんか若干1名ほど、黒いモヤモヤに包まれてる騎士さんもいるし、下手すると有毒ガスがご飯の可能性あるかも。危険地帯のガス、全部吸い取ってくれるなんてことあるかな? ないか。



「ミドヴェルト殿、荷物をお持ちいたしましょう」



 べへモト騎士団というのは、ヒヅメ系の騎士さんばっかり所属してるんだろうか。ヘラジカみたいな、どデカい角がある騎士さんが私に話しかけてきた。その後ろに歩いている騎士の皆さんも牛っぽい人とかイノシシっぽい人とか、ラクダっぽい人だ。あと、ドス黒いモヤモヤに包まれてる人。超気になる……しかし、今はスルーするしかない。とりあえずヘラジカ騎士さんに登山リュックをお願いして、お財布だけ持ってフワフワちゃんに駆け寄る。私もお土産見たい!



「ム、ムー! ムー!」

「いや殿下、しかしですなあ……」

「ムー!」

「そうですな……では、そうしましょう!」



 何だなんだ? 登山の前に変なイベント起こさないでほしいんですけど……そんなふうに思いながら、モルドーレさんとフワフワちゃんのやりとりに耳を澄ます。『山の遭難チャンネル』では、前日に飲み会で盛り上がって遭難とか、前日に食料を全部食べちゃって遭難とか、前日に何かやらかすと遭難フラグ立っちゃうんだからね? 本当に頼みますよ。私はか弱い人間なんですよ。


 だかしかし、視界に入ってきたモルドーレさんは、とんでもない量のお土産を抱えていたのだった。……うーん、何だか今夜はパーティーの予感。確か、今日はこの麓の村で一泊して、明日の早朝から日帰りで登るって聞いたんですけど……つまり夕暮れには寝るってことだぞ? わかってるんだろうな、特にそこの白いフワフワ!! 私は思わず、山頂にうっすらと雪の積もる火山を見上げた。



 うん……死にたくないものです。





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