あなたと同じ香り
「これは一体……?」
朝食を終え、王太子と二人で王太子妃宮に戻ると、部屋にはたくさんの荷物が運び込まれていた。
しかも、私の持参したドレスしか入っていなかったクローゼットに、びっしりと見たことのないドレスが詰まっている。
「これは全て貴女のものだよ。貴女の国のドレスもとても素敵だけど、こういうのはどうかと思って……」
「とても……、とても、綺麗です」
「そうか、よかった!」
王太子は嬉しそうに目許を染めてほほ笑んだ。
派手過ぎない落ち着いた色から柔らかで優しい色合いのものまで、様々なデザインのドレスがある。きっと私が好きなものを選べるように用意してくれたのだろう。初めて見るドレスにワクワクしてしまう。おくびにも出さないけれど。多分出してないと思うけれど。
「でも、多すぎます」
「そんなことはないよ。公務を行う中で必要になって来るしね。これは全て私が選んだものだけど、これからは貴女が好きなものを作ればいい」
こんなにあっては一生かけて着なければならない。新しく作る必要はないと思う。
「それに、公務じゃない時も着て欲しい。……私といる時に、ね」
そっと耳元で囁くように言われ、ぶわっと顔が熱くなった。ドレスを見るふりをして慌てて王太子から身体を離す。
これは多分、顔が赤い!
「さて、ドレスは次の機会にして、今日はこっちを見てもらいたいんだ」
王太子はそんな私を気にする様子もなく、侍女たちに荷物を開封するよう指示を出した。侍女たちは待ってましたと言わんばかりに、皆嬉しそうに箱を開け始める。
綺麗な箱に包装され、薄い布にくるまれた繊細な瓶や小物入れが次々と出てきて、ふわりと室内にいい香りが漂う。
「なんですか?」
「昨日話しただろう? せっけんや香油だよ。香りにも好みがあるからね。貴女の好きなものはどれか選んでみよう」
そして部屋の奥から、たくさん服がかけられた大きなハンガーラックが運び込まれた。ドレスも選ぶのかと驚いてよく見ると、それはドレスではない。
「……寝衣?」
「貴女が寒そうにしているから、良さそうなものを用意させたんだ。色んなデザインがあって迷ったから、決めてもらおうかと思って」
「あるもので十分です」
「じゃあ、全部にしようか」
「え、選びます!」
声を上げて笑う王太子に優しく肩を抱かれ、ハンガーラックに近付く。美しく柔らかなガウンや寝衣をまるでドレスのように勧められ、手で触れて、その柔らかさや肌触りに心が浮き立った。こんなに素敵なものを身に着けて眠れるなんて、とても贅沢だ。
それにしても、木綿の寝衣を重ねて寒さを凌いでいたのがばれていたのだろうか。確かに、夜は着ぶくれしている自覚はあるけれど。
「……これは暖かそうだわ」
「この色も素敵だね。貴女に似合うと思うんだけど」
「そう、ですか」
それは私の好きな色だ。知っていて勧めるのだろうか。
「ストールやショールもあるといいだろうね。これはどうかな」
「……織り柄が素敵だわ」
「うん」
そう言って肩にふわりと掛けられる。暖かく、肌触りがとてもいい。
「とても似合うよ」
眩しい美丈夫の笑顔……! 周囲の侍女たちもなんだかピカピカ笑顔で眩しいわ! とてもとても調子が狂う!
「あ、ありがとうございます」
「この調子でドレスも……」
「そ、それはまた今度!」
「うん、今度ね」
「!」
もしかして約束を取り付けてしまった?
嬉しそうに笑う王太子の顔を見て、なんだか悔しい気持ちになり思わずむっと口を尖らせると、王太子はまた嬉しそうに破顔した。
*
新緑の梢に遮られた光が、キラキラと木漏れ日になって降り注ぐ。日差しを受けて明るく輝く花、キラキラと輝く水面、ひらひらと花を渡り歩く蝶、小鳥の囀り。
この庭の四阿は、この国に来て初めて好きだと言える、お気に入りの場所になった。
「はい、これ」
香油やせっけんだけではなく浴室で使用するものをあれこれ選んでいると、あっという間にお昼になった。お腹がすいたからと昼食を取ることにして、私たちは四阿に移動してきた。外で食事ができるなんて嬉しい。のんびりと昼食を取り食後のお茶を飲んでいると、王太子は封筒の束を私に手渡してきた。すでに昼食の片づけを終えた侍女たちの姿はなく、四阿には私たちしかいない。
「これは?」
「私からの返事だよ」
「返事?」
「言っていただろう? 私の手紙の筆跡がいつも違うと」
よく見ると、封筒はすでに開封されている。
「私が貴女に宛てた手紙を届けずに、勝手な返信をしていた者がいた。貴女の話を聞いてすぐに探し出したよ」
封筒は私が出したよりも何通も多い。
「貴女からの手紙も全て届いているわけではなかった。私たちはお互い、一方的に手紙を出していただけだったんだ」
「……読んでも?」
「うん、もちろん。貴女に宛てたのだから。でもそうだな、目の前で読まれるのは恥ずかしいね」
そう言うと、王太子は席を立ち四阿の手摺に腰を下ろした。いや、ちょっとしか離れてないんですけど。
手渡された封筒をしげしげと眺め、中身を取り出す。美しく整った文字は、王太子の人柄を表しているようだ。
「……これは、私への質問ですね」
何通か手紙を読み、少し離れた場所で私の手紙を読む王太子に声をかけた。王太子は四阿の柵の上に上がり、柱に寄りかかって口許を片手で押さえている。サラサラと銀色の髪が風に揺れる。
笑いを堪えてるのかしら。何か変なこと書いてた?
「うん、貴女の好きなものを揃えておきたかったから」
「返事を書いていないのに、十分私の好きなものが揃っています」
「でもほら、成長と共に好みは変わるからね」
「では幼い私と会ったことがあるのですね」
「ははっ、そうだね、ご名答」
声を上げて笑う王太子の横顔を見て、何だか悔しくなった。
「ヒントはくれないのでは?」
「ヒントじゃない、私のミスだ」
「王太子なのに」
「本当だね」
何を言っても全て受け入れる。この人は本当に人の上に立つ人物なのだろうか。こんなに優しくて穏やかで、政など出来るのだろうか。時には人に厳しくしなければならないこともあるのに。犠牲を払わなければならないこともあるのに。
「……優しすぎては、殿下が後で傷つくだけです」
「私を心配してくれてる?」
「……何でもありません」
「エラ」
「散策して来ます。……一人で」
もう一度名前を呼ばれたけれど、その声には答えずに私は一人で四阿を出た。
*
四阿のそばにある小さな池は自然の姿のままだ。ほとりの草花は思うにまかせて生い茂り、けれどそれが美しい。
木陰の下に設置されたベンチに腰掛け、ぼんやりと水面を見た。対岸の花や木々が水面に映り、時折風が水面を揺らしていく。
なんとなく、祖国にある私の秘密の場所を思い出す。池があり、大きな木があり、適度に茂った草花が私の姿を隠してくれた、私の大切な場所。
――貴女はもう少し自分自身を大事にしてほしい
そう言った王太子の事をぼんやりと考える。あの優しい人は、私が可哀想でこんなにもあれこれ構ってくるのだろうか。
私は別に、不遇の子供時代を送ったわけではない。
私生児ではあるけれど、一国の王女として然るべき教育を受け、多くいる兄弟たちともそれなりに仲良く過ごしていたと思う。
ただ、戦場へ赴き亡くなった父や、戦争の犠牲になった兄弟、生贄のように他国へ嫁いでいった姉たちを見て育ち、こういうものなのだと割り切っただけだ。いずれ自分も国のために他国へ嫁ぎ、ただじっと過ごすのだと。そのことに不満も不安もない。
この国に一人で来て周囲の人たちに国を貶められたことも、私の黒い髪を見て蛮族だと罵る侍女たちも、私のドレスを見すぼらしいと笑う使用人たちも、初めからそんな風に言われると分かっていた。だから何も感じないのに。
なのにどうして、私は優しくされているのだろう。
たった三日一緒にいるだけの王太子に、どうしてこんなに心が搔き乱されるのだろう。
あの人もどうせ、いつか戦争に出てしまうのだろう。
私を置いていなくなる。
私を、一人にする。
あの頃の、私の大切だった人たちのように。
だから、心を砕いては駄目。私は一人で、立ち続けなければならない。
ふと視線を感じ顔を上げると、池の向こうの茂みの影に大きな人影が見えた。
あれは昨日見た王太子の護衛騎士だ。きっと、王太子が心配して私に着けたのだろう。
「もう戻らなくちゃね」
ベンチから立ち上がると、あの騎士はすっと姿を消した。大人しく四阿へ戻ると、まだ手紙を読んでいた王太子が顔を上げこちらを見た。
遠くからでも笑顔が分かる。王太子がすっと手を挙げて振るのを、ぎこちなく手を振り応えると破顔した。私に選択肢を与え、選ばせ、考える時はこうして一人になる時間も与えてくれる。
あの人は私を、自由にしてくれる。
そのことが酷くもどかしい。
「エラ、明日少し遠出しようか」
「遠出?」
四阿に戻ると王太子がまたにこにこと話しかけてきた。先ほどのことなど気にしていないようだ。掘り返されても何も言うことはないので助かる。
「貴女の手紙に湖が見たいと書いてあった。海は無理だけど湖なら馬車で行ける。そうだな、湖の傍にある屋敷で一泊してもいい」
「いえ、私は別に……」
「宮の中だけで過ごすのはもったいない。せっかくの休暇だ。うん、そうしよう」
別にどこに行ってもすることは変わらないからいいのに。
湖に行きたいというのも、手紙に特に書くことがなくなった時、この国の地図を見ながら適当に書いたものだ。本当に行きたいわけではない。
「楽しみだね」
「……」
美しく笑う王太子に、私は何も返事が出来なかった。
*
晩餐を終え寝室に戻ると、浴室にはまた湯が張られていた。今朝も入ったのにまた湯を張られているなんて贅沢すぎる。けれど、そうは言ってもすでに湯が張られているのだから、入らないわけにはいかない。決して折れたわけではない。せっかく湯を運んでくれたのだ、これで入らないほうが皆に申し訳ない。そうだ。そうなのだ。
たっぷりと湯を堪能して浴室から出ると、すでに自室で湯浴みを終えた王太子がソファに腰掛け書類を見ていた。
顔を上げた王太子は私を見て「わあ、見るからにホカホカだね」と楽しそうに笑った。確かに、自分から湯気が出ている気はする。否定はしない。
「侍女たちの提案なんだよ。折角だから気に入ったものを早く試してほしいって。私が思いついたのではなくて悔しいな」
一体何を張り合っているのか。
向かいのソファに腰掛けると、王太子は立ち上がり書類を片付けて私の隣に腰を下ろした。
「新しい香油やせっけんはどうだった?」
「とてもいい香りで良かったです。それに、せっけんもとても使い心地がよかったわ」
「それは良かった。貴女からいい匂いがする」
顔を近付けて私の髪の香りを嗅ぐその仕草に、ぎゅっと胸が縮んだ気がした。湯上りのせいか、顔が熱い。
「何か飲む? 貴女は晩餐でもお酒は口にしないようだけど」
「お酒は飲めますが、すぐに眠くなるんです」
「そうか、今はどうする?」
「お水で十分です」
王太子はテーブルに置かれたピッチャーを取り、グラスに注いでくれた。口に運んだ水はひんやりと冷え、ほんのりレモンの香りがする。すごい、ただのお水ではないうえに、冷えてる。
感動して飲み干す私をなぜかにこにこと見守る王太子から、自分と似た香りが漂ってきた。
「殿下も同じせっけんをお使いになったんですか?」
「ん? うん、貴女と同じ香りになった?」
そう言って自分の腕の香りを嗅ぐ仕草をしてから、ばつが悪そうに少しだけ顔を顰めた。
「貴女と同じ香りになりたかったなんて、なんだか気持ち悪いかな」
「そ、んな風には思いません、けど……」
「そう? よかった」
王太子は私の言葉に本当に安心したように美しく笑う。
そんな風に思ってくれて少しだけ嬉しい、そんな言葉を素直に告げることは、私には出来なかった。
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