教師近藤とプロ野球

 近藤はある日、自宅でテレビを観ていました。

 そこで、とあるプロ野球選手が、病気で入院している子どもの「ホームランを打って」という願いに応えて、試合で本当にホームランを放ったというエピソードを紹介していました。

 普段の近藤ならば、特に気に留めることはなかったでしょう。よくある話なのに加え、その選手はホームランを打つと約束したわけではなく、「打てるように頑張るよ」と言ったに過ぎなかったので。

 しかし、近藤は当時、夢中になっていることがありませんでした。近藤の知り合いの間では「暇なときの近藤ほど怖いものはない」という言葉があるくらいで、彼は刺激を受けたような表情になると、すぐに腰を上げました。

 近藤は野球のトレーニングを始めました。実は、彼は非凡なバッティングセンスの持ち主でした。彼の幼い頃、周りには地域の野球チームに所属する子どもが大勢いました。そんななかで彼は野球とは無縁でしたし、外見も上手そうには見えません。そのため、男子生徒の希望が多く、学校の球技大会で野球をやることになった際、他のコたちは皆、簡単に三振するものと思っていたところ、その予想を裏切り、巧みなバッティングで次々とボールを打ち返したのです。それも左打席から三塁線に放たれる流し打ちは芸術的でした。けれども、過去に日本を代表するキャッチャーが「メガネの捕手は大成しない」というジンクスにより、一度ドラフトで指名されなかったという出来事があったのを耳にしていた近藤は、「メガネに偏見を持った業界に興味はないぜ」と野球界に飛び込むことはなかったのでした。

 そのように素質があるとはいえ、年齢が年齢ですし、まさか今からプロを目指すというのは現実的ではないでしょう。いくら近藤が常識からかけ離れた存在といっても、球団からドラフトで指名されない限りはプレーできず、その年のドラフトまでの日にちはかなりあったうえ、声がかからなければ次は一年後と、門は非常に狭いのです。ただ、夢叶わずとも、努力する姿勢が教え子たちに良い影響を与えるかもしれません。教育者としては、無駄どころか、素晴らしい展開に至る可能性のほうが大きいくらいでした。

 けれども、あの近藤がそんな美しい枠に収まって終わりとなるはずはありませんでした。そこは、プロ野球チーム「新潟マジシャンズ」のホームスタジアム。その中のロッカールームそばの通路で、コーチの一人の角野隆平が、目の前にいた男に声をかけました。

「ちょっと、おじさん。勝手に入ってきたら駄目だよ」

 すると男は言いました。

「ハア? 勝手にじゃないデスヨ。私ハこのチームの新外国人選手デース」

 そうです、それは近藤でした。助っ人の外国人選手ならば、ドラフトを経ずに入団でき、すぐのプレーも可能です。目のつけどころは良いと言えるかもしれません。

「んん? 何をほざいとるんだ?」

 角野はそう口にしました。新しい外国人選手の話なんて聞いていません。それ以前に、近藤は鍛えて、特に上半身が冗談みたいにムキムキになり、さらにガムを嚙むなど、本場アメリカからの助っ人感をビンビンにしてはいましたが、見た目は東洋人丸出しです。彼が欧米の人に見られるには特殊メイクを施さなければ無理でしょう。

 と、そこへ球団のスタッフの男性が走ってやってきました。

「角野さん。今、連絡がありまして、その人は本当にうちの新しい外国人選手だそうです」

「ええ?」

「なんでも、入院している子どもに試合でホームランを打ってほしいと頼まれたそうで、オーナー直々に『大差で負けているときの、最後の一人の場面の代打でいいから、試合で使ってやってほしい』とのことです」

「あちゃー。あのオーナー……」

 そのオーナー、食品会社社長の菱形嘉治は、情に厚いことで有名で、本業がそこまで儲かっているわけでもないのに、子どもや地元の人たちなどに夢を届けたいとの思いからプロ野球経営に乗りだしたうえ、選手や監督、コーチの給料や、チーム強化のためのさまざまなものに、十二分にお金を出しているので、関係者は全員、彼に否定的なことは一切言えない状態なのでした。

「こいつ、会って話をするのさえ難しいだろうに、どうやったのかは知らんが、オーナーを取り込むのに周到に準備しやがったんだな……」

 角野はつぶやきました。

「ハア? 何カ言いましたカ?」

「あ、いや。そ、そうかい。そういうことなら仕方がないな」

「ヤットわかりましたカ。マア、見てなサイ。これデこのチームハ百人力。毎年、他のところニ圧倒的ニ差をつけテ優勝するコトニなるでしょうヨ。カーッカッカッカッカッ!」


「八番、石本に代わりまして、コンドー。代打、コンドー」

 球場にアナウンスが流れました。

 二対十四のビハインドで、九回の裏、ツーアウトです。マジシャンズの監督の海藤は、当然ではありますが、頼まれた通りの局面でしか近藤を起用するつもりはなかったのでした。

 近藤的には望むところな心境でした。「低い評価など、自らの打棒で吹き飛ばしてくれるわい」と考えていたのです。

 相変わらずガムを噛みながら、器用なバッターから強打者へと変貌した近藤は、かつての左ではなく右打席へ、かっこをつけてゆっくりと向かいました。

 ところが——。

「おい、ちょっと。何だね? それは」

 審判から横槍が入りました。

「ワット?」

「そのバットだよ」

 なんと、近藤のバットの先に衣のようなものがくっついていて、太くなっているのでした。

「見ての通り、これはアメリカンドッグだ。何か問題があるかね?」

 近藤は、面倒くさくなったのか、ここにきて普通にしゃべるようになっています。

「問題ありありだよ。ちゃんとしたバットを使いなさい」

「駄目だ。アメリカンドッグは俺さまのイメージフードだからな」

「イメージフード?」

「ああ。イメージカラーなどと言うだろう? あれと一緒だ。アメリカンドッグは名前も見た目も最高にイケている。まさにコンドーのイメージとぴったりなのさ」

「知るか、そんなこと。とにかく、いいから早く、ルールに則ったバットと交換しなさい」

「駄目だと言っているだろう。これは俺さまの魂だからな」

「じゃあ、退場ー」

「オー! 馬鹿ナー」

 近藤は思いだしたように外国人口調に戻りながらの派手なリアクションで、仕方なくベンチへ帰っていったのでした。

 そして直後に彼はチームから解雇されました。あまりのふざけた行動に、菱形も目を覚まして了承したのです。

 こうして、野球界は近藤という汚点を残さずに済んだのでした。

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