#203「神の憑代 融合者」



 とりあえず、精霊圏へ戻った。

 意識を失ったフェリシアを抱え、俺は異界の門扉を開けて転移。

 すると、真っ先に待っていたのは薔薇男爵だった。


「! ご帰還! そして合格! おめでとうございます! おめでとうございます!」

「男爵。賛辞を述べるのはそのくらいにしなさい……事態は急を要しています」

「はは! たしかにそうですな!」


 女王の庭城。

 咄嗟に選んだ戻り場は、相も変わらず大精霊の声が響く。

 獣神圏からの侵攻。

 巨龍圏からの攻撃。

 精霊らも現在進行形で対処に動いているはずだが、この二体は未だ本拠地から行動を起こしてはいないようだ。

 チラリと辺りを見回して、慌ただしく飛び回る妖精たちや小精霊を確認する。

 羊頭人シーピリアンがいない。


「カプリは?」

「唄うたいの方でしたら、今は白詰草の君と共に」

「そうか。まぁ、無事ならいい──今はそれよりもだ」


 森羅斬伐を傍らに置き、翼の生えたフェリシアを地面に横たえる。

 ユリシスが斧を見つめ僅かに視線を逸らしたが、状況はすでに把握しているんだろう。

 俺が何のために精霊圏に戻って来たのか察している顔で、すぐにこちらへ向き直った。

 なら話は早い。


「フェリシアがどうなってるのか、オマエたちなら分かってるんだろ」

「ええ」

「じゃあ、さっさと教えてくれ」

「もちろん構いませんが……」

「恐らく、吾輩らが説明する必要はないでしょうな!」

「──その通りじゃ」

「フェリシア?」


 意識を失っていたはずのフェリシアが、むくりと上体を起こして言った。

 左目の目蓋を閉じ、黄金に輝いている右目だけを開けている。

 表情は見知った少女のそれではない。

 冷たく、人間味に欠けた、ヒトよりも高次にいるモノ。

 フェリシアのカラダを使っているが、中身がフェリシアじゃない。

 直観して分かった。


「……オマエ、誰だ」

「名は告げられぬ。しかし正体なら明かそう。妾は神じゃ」

「神?」

「もっとも、今はもう零落した。とっくに意味も失い名も忘れられ、神としての席も放棄した」

「分かるように言ってくれ」

「すまぬな。つまるところ、妾は神霊じゃ。仮名かりなじゃが、ミナとでも呼ぶがいい」


 フェリシアの中の第二人格や、演技という感じは無かった。

 神霊──というコトは、半神ではないのか。


「フェリシアに取り憑いてるのか……?」

「端的に言えばそうなる」


 じゃが、と。

 フェリシア=ミナは自身の手足や翼を確認しながら、眉間にシワを寄せた。


「この娘と妾は融合しておる」

「は?」

よしあって、フェリシアは妾の憑代よりしろとしてでなければ生きられぬカラダなのじゃ。つまりフェリシアは『神人』じゃ」

「……ツッコミどころしかないぞ」


 時間が無いって言うのに、次から次に疑問ばっかりが増えていく。

 俺の混乱と焦りを察したのだろう。

 フェリシア=ミナは「すまぬな」と再度謝った。


「火急の時であるのは妾も承知している。妾はずっとフェリシアと共におった。本来ならこうして目覚めるつもりも無かったのじゃが……よもやこのような東の地で、抜群の神気にアテられるとはの」


 おかげで妾の神性も活性化し、叩き起こされてしまったわ──おのれ、と。

 半人半鳥の女神は、憂慮も露わに吐き捨てた。


「誤解せんで欲しいのじゃが、妾はフェリシアを害するモノではない」

「……というと?」

「むしろその逆。妾はフェリシアには、ヒトとして生きてもらいたいと思うておる。妾はフェリシアを生かしたい。妾はフェリシアを守りたい。……じゃが」


 ──神性の覚醒は、フェリシアの中の人間の部分を次第に食い潰していく。


「なんだと?」

「そこでお願いじゃ。フェリシアは妾の存在を知らぬ。……妾が記憶に封をしておったからじゃが、今それが些かマズイ状態を招いておっての」

「っ、なんだ? 俺は何をすればいい?」

「簡単じゃ。今のフェリシアは妾の存在に気がつき、驚きのあまりにひどく拒絶してしまっておる。それを、そなたが大丈夫じゃからと宥めすかして安心させてやって欲しいのじゃ」


 然すれば、フェリシアと妾の融合状態は落ち着きを取り戻すじゃろう。


「空いてしまった栓を元に戻すコトはできぬが、まずはフェリシアと妾のバランスを調和させ、〝今ある己〟を受け入れてもらわねばならん」

「出来なかったら、どうなる?」

「言ったはずじゃ。フェリシアは妾の憑代よりしろとしてでなければ生きられぬ」

「っ」


 事情は分からないコトだらけ。

 だが、どうやらフェリシアを助けるには、この神霊の言葉に従うしかない。

 頼まれている内容は、要はフェリシアの心を落ち着かせてパニック状態から引き戻せばいいのだと認識した。


「分かった。いいだろう。俺に任せろ」


 まさか、カプリの懸念が本当に的中するなんてな。


(フェリシアがただのニンゲンじゃないってのを、刻印騎士団は知ってるのか……?)

 

 フェリシアの師匠あたりが、真実を知っていそうな気はする。

 ともあれ、、俺は海の上で済ませておいた。

 恩を返そう。

 隻眼の黄金が、「よし」と頷いた。


「では今より、妾はフェリシアにカラダを返す。起きたフェリシアはまた苦しみ出すじゃろうが、生半可な言葉では届かぬと思え」

「ああ」

「よいか、くれぐれも頼むぞ。失敗すれば、〝白き風と黒き智慧の夜女神〟が、末代まで祟ってやるからの」


 フェリシア=ミナは最後に不吉な脅し文句を残して、右目を閉じた。

 数瞬後、その目蓋は左目と同時に開かれ、


「ぅ──あ、あれ、先輩……?」

「フェリシア」

「ここは……精霊圏? いつの間に……あ、あれ? わ、私、これ、なんで? なにが──え?」

「大丈夫だ、フェリシア。落ち着いて、ゆっくり俺を見ろ」

「で、でも! 私、やっぱりッ、ひ、ひとじゃ──こんなの私じゃ……!?」

「ムッ!?」


 急激に下がる気温。

 氷震を起こす地面。

 精霊女王の庭城にあって、なおも始まるフェリシアを中心とした黒白化。

 薔薇男爵が吹雪からユリシスを庇い、環状列石クロムレック岩の防人スプリガンの意思で周囲に壁を作り始めた。

 そんな反応に、フェリシアは余計に自分を信じられない顔で見つめ、俺は正面から少女を抱きしめた。

 冷たすぎる熱が、カラダを燃やしていく。

 しかし、


「……ぇ、せん、ぱい?」

「大丈夫だ、フェリシア。ゆっくり息を吸って、しっかり俺の声を聞け」


 心臓の鼓動を、フェリシアに伝える。

 少女の細いカラダを、がっしり腕の中に閉じ込める。

 フェリシアは一瞬虚を突かれて硬直した。

 が、すぐに暴れ出した。


「──イ、イヤ! イヤです! は、離してッ、私、こんな──ヘンになっちゃったのに! 今すぐ逃げてください! だめ、だめなんです! 抑えきれないから……!」


 暴れる手足は少女の膂力じゃなかった。

 翼のはためきは、突風を起こして宙に浮かびかけた。

 それでも、男の意地でフェリシアを離さない。


「突然のコトで、驚いたよな。俺も驚いた」

「先輩……!」

「ワケが分からなくて混乱する気持ちは分かる。だけど、大丈夫だフェリシア」

「何が……! 何が大丈夫なんですか!」


 震える声は怯えの証。

 だが、恐怖の向き先は自分自身へのモノじゃない。

 フェリシアは聡く、優しく、心根が善良だ。

 少女はいま、ヒトではなくなってしまった自分が誰かを傷つけてしまう可能性を危惧して、心の底から怯えている。


(だから、大丈夫なんだ)


 俺は知ってる。


「いいか、フェリシア。今の自分がどうなっているのか、完全に受け入れるのにはたくさん時間が必要だと思う。得体の知れない変化が、自分の知らないところで勝手に自分を作り変えてるなんて、不安になるのも無理はない話だからな」

「離して! 離してください!」

「だけどな、フェリシア。オマエはオマエだ。俺が俺であるように、フェリシアはフェリシアだ。どんな風に変わり果てても、その事実だけは変わらない」

「どうして!? どうしてそんなコトが言い切れるんですかッ!?」


 鉤爪がついに胸板に突き立てられる。

 肉が抉られ、血が飛び散った。

 それでも、痛いのは俺じゃなくてフェリシアの方だ。

 青ざめる顔が何よりの証。


「ぁ──ほ、ほら! 私、もう……!」

「──? 

「ッ!?」


 俺は知っている。

 人ならざるモノが為す悪行も悲劇も。

 人ならざるモノが為す善行も慈愛も。


(識っている)


 この生命いのちは、今もそのおかげで成り立っている。

 だから、人ではないというそれだけの理由で、何もかもが否定されるワケじゃない。

 何より、


「俺が白嶺の魔女の力を継いでいるって知っても、先輩は先輩、って言ってくれたのはフェリシアだぜ?」

「っ……でも!」

「でも? ったく、こうすれば信じてくれるか?」

「──!?」


 唇を重ねた。

 やや強引かもしれなかったが、物理的にも精神的にもこうするのが一番手っ取り早いと思った。

 一秒、二秒、三秒、四秒、五秒、六秒、七秒、八秒、九秒、十秒。

 誤解の余地を与えないように、たっぷり時間をかけてから顔を離す。


「………………ぇ?」


 フェリシアは真っ赤になって呆然だった。

 若干涙目になっているのは、嫌だったからではないと信じたい。


「……ま、要はそういうコトだ」

「………………ぇ?」

「分からないか? フェリシアがどんな事情を抱えていようと、フェリシアがどんなバケモノやカイブツでも、俺はオマエが好きだってコトだよ」

「………………………………ぇぇ?」


 吹雪がおさまる。

 黒白化が消失する。

 フェリシアは完全に、パニック状態から引き戻されたのだろう。

 代わりに今度は別種の困惑や混乱が始まっているかもしれなかったが、少なくとも自身の変化に関しては無事に落ち着きを取り戻せたようだ。

 姿は依然として半人半鳥のままだが、苦しんでいる様子はない。


「フェリシア」

「………………は、はい」

「痛いところとかはないか? 結構キツく抱きしめちゃったから、腕とか折れてたりしないかな」

「………………だ、大丈夫です……」

「そうか」


 なら、安心しても良い状態だろう。

 俺がそうホッと胸を撫で下ろすと、


「──そなた」

「っ、なんだ。交代したのか?」

「一言だけじゃ──よくやった」


 フェリシア=ミナはわずかにそっぽを向きながら小さな声で呟き、すぐに気配がいなくなった。

 よく分からないが、


「あ、あれ? いま私……」

「──とりあえず、何とかなったんだな」


 どさりと座り、石壁を手の甲でコツコツ叩く。


「ハァ……開けてくれ」


 岩の防人スプリガンはゆっくり動き出した。

 外の様子を見ると、薔薇男爵は大量の薔薇とヤドリギを咲かせている。

 精霊女王は花も羞じらう笑顔だった。


「とても佳かったです……」

「うるさい」

「ハハ! 吾輩ではなく女王がうるさいと言われるとは!」

「オマエは黙っててもうざい」

「なんとぉ!?」

「ていうか、戦争中だろ……」


 小休止を挟んだら、すぐに獣神圏に行くからな。

 俺は懐からバナナを取り出し、貪った。


「そら、追加でもう一本寄越せ」

「照れ隠しをしてらっしゃる!」

「俺、精霊が嫌いになりそうだわ」


 マジでうざい。うざくない?

 水も飲みながら、努めて平静を取り繕いつつ思った。




────────────

tips:白き風と黒き智慧の夜女神


 名を失った零落の神性。

 今は神霊としてフェリシアを憑代にしている。

 その姿は半人半鳥、左右で異なる色の梟翼を持ち、手足も人のそれではない。

 しかし、高次存在であるにもかかわらず、人の心の機微には敏いようだ。

 フェリシアを守り、その生命を長らえさせるコトに執心していて、少女ともども謎に包まれた過去を持っている。

 一人称は妾で「のじゃ」口調。

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