#197「VERSUS」



 つくづく儘ならない。

 戦闘が始まって即座にリュディガーの胸に去来したのは、もう何度目かも分からない不条理への鬱屈だった。


「“柘榴石ガーネット”、"極光蝶翅石ラブラドライト"、"緑橄欖石ペリドット"、"雷管石フルグライト"」

「無駄だ」

「チッ」


 光弾が弾かれる。

 輝ける宝石たちが、その神秘をことごとくくしけずられていく。


 赤い柘榴石ガーネットは着弾と同時に爆裂を。

 青い極光蝶翅石ラブラドライトには流星の速度を。

 淡い緑橄欖石ペリドットには火山噴火の起点を。

 白い雷管石フルグライトには落雷の通路を。


 それぞれ四千年を超える神秘を、文字通り惜しみなく散財し費やしていくが、白嶺の魔女の伝説はまったく堪えた様子が無い。

 さすがに全てを無効化されるほどの雲散霧消は起きていないが、接近と同時に光弾は大きく神秘を減じ、期待している威力はまったく出せていなかった。


(六千年物は残り三つしかない。五千年物はすでに獣神圏で使い切った。残りは対英雄現象用に温存する必要がある。が──)


 まさか、東方大陸フォルマルハウト壮麗大地テラ・メエリタまで来て、白嶺の魔女なぞに出会すとは。

 リュディガーの周りには、どんどん死霊が集まって来ていて寒さが増していく。

 常春の大地に冬の怖気?

 捕まれば強制凍死だと?


(まったく、これだから大魔というのは嫌なのだ……)


 世界は残酷であり、現実は非情であり、人生は不都合の連続。

 リュディガーは鬱々として溜め息を吐きそうになるのをグッと堪え、魔術を行使する。

 詠唱によるワンアクションだけでは、もはや捌き切れない。

 手掌によるボディアクションを交え、久方ぶりに〝らしい〟魔術を起動する。


「魔術式『綺羅星雲きらぼしぐも』──」

「! 宝石の数が、増した?」

「数の勝負が得意なのは貴様だけではない」


 服の裾や袖口から、大量の宝石を零す。

 溢れ出た宝石は河の流れのようにリュディガーの周りを氾濫し、二秒とかからず宝石の雲霞となる。

 魔術式『綺羅星雲きらぼしぐも』は、宝石の煌めきを乱反射させ光の数だけ石を増やす弾丸増量の魔術。

 実質的に、無限に光弾を量産する大魔術だ。

 リュディガーの主力魔術であり、押し寄せる死霊の波をこれで押し留める。

 だが、


「"魔女の鉄槌マレウス・マレフィカルム"」

「チィッ……」


 魔法。

 魔女の魔法。

 千を超える死霊だけが敵の脅威ではない。

 ダークエルフが何ゆえ魔女化などという変異を来たしているのか、その理由はリュディガーの洞察力を以ってしても分からないが、魔女本体に通用しない光弾をいくら増量したところで、時間稼ぎにしかならないのは当然だった。


 不可視の壁が衝撃となって老体を襲い、護身用の身代わり術式が懐の藁人形を五体破裂させる。


 千年物の神秘が一度に五つ。


「まったく──つくづく儘ならんな」

「……攻撃の妨害? 自動で発動する防御魔術か?」

「覚えておくがいい若造。実戦派の魔術師は、身を守る術を用意していなければ戦場になど立たん」

「ずいぶん戦い慣れてるんだな」

「知らんのか? およそ戦争ほど、金稼ぎのいい仕事はない」


 答えると、魔女の霊威ころもを纏った正体不明は明らかに不快な雰囲気を醸し出した。

 なんて若くて青い。

 長寿種族の年齢を推し量るのは難しいが、この様子では恐らくまだまだ世界を知らないのだろう。

 生きていくのに人を殺して金を稼ぐなど、〈渾天儀世界〉ではどこにでもある当然の職業選択。

 さてはよほど、正しく愛され育ったのか。


「ああ、そうか。貴様の正体にアタリがついたぞ」

「なに?」

「魔女の遺児。白嶺の魔女はすでに消滅したか?」

「ッ!」

「フン。どうやら当たりのようだな。この世に同じ名の大魔は二つといない。であれば、貴様の存在は世界から一つの禁忌が消え去った事実を指し示す。どうやったのかは皆目見当もつかないが、ニンゲン代表として敢えて言ってやろう。

「────」


 パキリ、バキッ。

 殺意が氷を張り、ピラミッド最上層が完全な寒獄となった。

 挑発は成功したが、ドラゴンの逆鱗に触れるとはまさにこういうコトである。

 精神攻撃は基本とはいえ、さて、ここからどうやって勝ちの目を拾っていくか──


(対魔法使い戦の極意はひとつ……)


 呪文を使わせない。

 魔法使いは呪文を少し唱えただけで、簡単に超常現象を起こす。

 魔術師が時に半生を懸けて準備する大儀式レベルの奇跡を、魔法使いは己が心象、己が死生観を以ってただ一言で匹敵し、あまつさえ上回る。


 魔術師になった時点で、魔法使いへの嫉妬と劣等感は約束された物。


 対魔物戦闘になれば、そこにさらに発生年数を考慮した神秘を用意しなくてはならず。

 魔術師は魔法使いと違って、奇跡を起こすのに様々なハードルを越えなければならない。

 ゆえにリュディガーは、速度に優る魔術を特に研鑽して来た。


(舌打ち一つ。まばたき一つ。呼吸一つ。指鳴らし一つ)


 だがそれらワンアクションでは、目の前の敵に届かない。

 魔女はとりわけ、高次元の魔法を編むモノ。

 奥の手はもちろん秘めているが、ここでその切り札を切るのは意味が薄い。

 長い時間をかけて集めた潤沢な資源が、安い酒場のエールを飲み干すほどの時間で溶けていくのは辛いものだ。


(何とか出し抜き、斧だけを掠め取る機は無いものか……)


 リュディガーが綺羅星雲を、さらに広間に押し流した瞬間だった。


「──は?」


 森羅斬伐の刃が、目と鼻の先に迫った。

 宝石の雲霞に斬撃が割って入り、その隙間を黒衣が縫ったのだ。

 直観的な死に、思わず身を硬直させた直後。

 斧の刃は寸前で止まり。

 代わりに左から、鋭い回し蹴りが叩き込まれる。

 身代わりが三体破裂した。

 衝撃波により壁まで吹き飛ばされる。


「……ッッッ、今のは殺すつもりだったな?」

「まさか。オマエの捕縛が目的だぞ」

「森羅斬伐を振るっておいて、よく言う……」


 追っ手の目的が、こちらの身柄の確保であるという前提をもとに油断が生じていた。

 白嶺の魔女という予想外の禁忌に、つい思考が対魔法使い戦闘に傾いていた。

 敵は魔物ではなく、今を生きている人間なのだと認識を改める。

 だが、魔女の力に英雄の武器?


「断言してやるが、貴様は人界で必ず禁忌に指定されるぞ」

「なんだその脅しは。人の神経逆撫でておいて、今度は心配してくれるのか?」

「たわけ。これはただの客観的事実だ」


 応答しながら、リュディガーは悟った。

 これは拘泥していると、本当に殺される可能性がある。


「若造、名は何という?」

「メランズール・ラズワルド・アダマス」

「ハッ! まさか本当に征伐者の末裔か!」

「いいかげん諦めたか?」

「悪いな。歳を取ると、ニンゲンは頑固になるのだ」

「じゃあ、やっぱり半殺しくらいは覚悟しろよ」


 逆鱗に触れたコトで、若者は怒髪天を突いている。

 つけ入る隙はここしかあるまい。

 リュディガーは精神攻撃を仕掛けるため、再び口を開き──


「██████████████ッッッ!!!!」

「っ、ゼノギア神父!?」

「──また貴様か」


 その必要が無くなったため、生成りを狙って一気に光弾を斉射した。

 使える人質、囮があるのなら、今はそちらを利用して危機を脱する。

 森羅斬伐を奪うのは無理だと判断した。


「くッ! 弾幕……!」


 案の定、若者は仲間を守るために光弾の対処に当たり、生成りは魔女の死霊に囲まれ身動きを封じられる。

 リュディガーは先ほど開いた広間の壁に走り、一度目の時と同様、ピラミッドを緊急脱出した。

 外壁を走り、身を滑らすように跳躍する。

 何事も肉体が資本。

 老いてはいても、リュディガーの肉体は現役の騎士にも劣らない。


(とはいえ、そう何度も繰り返したいアクロバットではないが)


 主目的であったオリジナルの森羅斬伐は入手不可だったものの、第二目的の達成は念話によってつい先ほど確認済みである。

 後は合図を出すだけ。


「──望みの物は手に入れた! さあ、さっさと私を助けろ!」


 鴉の鳴叫が、壮麗大地テラ・メエリタに響く。





────────────

tips:魔術式『綺羅星雲』


 きらぼしぐも。

 リュディガー・シモンの主力魔術。

 年代物の宝石を弾丸とし、それぞれの曰くにちなんだ神秘を発現させる光の雨あられ。

 宝石の雲霞とも。灰色の異称を背負っている割に、得意なのは非常にカラフルでビビッドな魔術式。

 宝石の煌めきを乱反射させ、万華鏡のように石を複製している。

 最低限の元手さえあれば、ほぼ無尽蔵に光弾を量産する。

 非常に金食い虫であり、リュディガーが金策に耽る理由の大部分を占める。

 その分、威力と速度は折り紙付きであり、宝石の年数と蓄えた神秘によっては大魔にも通用する。

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