#198「環境神軍始動」



 リュディガーに逃げられた。


「クソッ、年寄りのクセに何だあの足の速さは……!」

「██████──ッ!!」

「ったく! こっちも少しは落ち着けって……!」


 暴れるゼノギアを死霊たちで抑えつけつつ、目まぐるしく変わる状況につい悪態が堪えきれない。

 光弾の爆発によって舞い上がった大量の胞子。

 視界を狭めるのは土煙も一緒だが、清風の加護のおかげで三秒もすると周りの状態が分かるようになる。


 王の間は完全にボロボロだった。


 天井に空いていた小さな穴は、その周囲を完全に崩落させて天窓を作り上げ、壁に開いた大穴からは外の景色が見える。

 リュディガーは逃げた。

 こちらが試練に挑んでいる最中に、無遠慮に乱入して場を掻き乱すだけ掻き乱して。


「いったい何なんだ、あの逃げ足……!」


 勝てないモノからは逃げる。

 それは合理的で無駄のない判断。

 だが、いくら何でも引き際が良すぎる。


 森羅斬伐を寄越せと言っていた以上、リュディガーの古代圏での目的は英雄の遺風残香レリックだった。


 斬撃王ヨキがいるのを承知で、わざわざ危険を犯してまで再度ピラミッドにやって来たところからも、魔術師は必要があるから斧を欲していたのだろう。

 なのに、あの逃げ足と後ろ姿からは、〝何が何でも〟という未練や執着心が一切感じられなかった。


 逃げる時は無心で逃げる。


 リュディガーにはそういう潔さがあるからか?

 憤怒の英雄からも逃げおおせた男。

 カルメンタリス教の勢力圏で、数々のテロを起こしておいて捕まらなかった男。

 しかし、何かが引っ掛かる……


「チッ……ダメだ。頭がぐちゃぐちゃしてる」


 あともう少しで掴めそうだった〈古態元型像アーキタイプ〉。

 全身に加算された『斧』の歴史と真髄。

 この身が原初の斬撃を体得するまで、残り一秒もなかった刹那の寸前で。


 消えた英雄現象。

 冷や水を浴びせるだけ浴びせて逃げ去ったリュディガー。


 やらなければならないコトと、やりたかったコト。

 感情と理性が一致しないせいで、思考がうまくまとまらない。

 戦闘が終わってしまえば、切り替えたはずの意識もごちゃ混ぜになる。

 耳障りな煽りのせいもあった。


「リュディガー・シモン……」


 なんて洞察力に長けた男なのか。

 相対した人間の一番柔らかなところを、ほぼ初対面に近かったにもかかわらず的確に見抜いて、爪を立てていった。

 アレは確実に性格が悪い。

 おかげで、燻るようなイラつきを自覚した。

 そこに、


「やっと追いつきました! って、うわ!?」


 フェリシアがやって来た。

 少女は入り口で、死霊の山に伸し掛かられているゼノギアを見て目を丸くする。


「フェリシア。とりあえず、ゼノギア神父は捕獲できた」

「あ──はい。ぺ、ぺちゃんこですねゼノギア神父……」

「ああ。けど」

「██████……ッ!!」

「見ての通り、まだ魔物化してる。落ち着きを取り戻すまでは、一旦こうしておくしかない」

「ゼノギア神父、怪我をしてるんです。なるべく優しくしてあげてください」

「分かった」


 リュディガーがピラミッドに来たというコトは、ゼノギアもリュディガーを追って戻って来たのだろう。

 見れば、たしかに最初に目にした人獣の姿よりサイズ感が小さい。

 消耗し、手負いの状態で魔物化を繰り返しているのかもしれない。

 何にせよ、これは一度頭を冷やさせて強制的に手当をする必要がある。


「先輩、大罪人が来ませんでしたか?」

「さっきまでいたよ」

「! じゃあ、森羅斬伐は!」

「フェリシアも気づいたのか。リュディガーの目的は、俺たちと同じだったみたいだな。だけど」


 肩に担ぐ黎色の斧を見せる。

 フェリシアは喜色を浮かべた。


「継承ができたんですね!」

「……悪い。残念だけど、それはまだなんだ」

「え?」

「途中で邪魔が入ってさ。リュディガーのせいで、試練は中止になったんだよ」

「でも、森羅斬伐は先輩が……?」

「……たぶん、仮合格みたいなものだな。預け先としてある程度認められたんだとは思うけど、英雄奥義は継承できてない」


 真の意味での継承には、再戦が必要になる。

 嘆息すると、フェリシアも状況を理解してくれたのだろう。


「分かりました。大罪人に奪われるのを防げただけでも、ここは喜ぶべきですね」

「そう言ってくれると助かるよ」

「でも、英雄現象はどうしていなくなっちゃったんですか?」

「……それが俺にも分からない。リュディガーが何かをしたらしいんだけど──」


 そのとき、空が暗くなった。

 陽の光が無くなり、世界が一瞬で夜に染まった。


 CAWカー


  CAWカー


   CAWカー


 三度の鳴叫。

 不吉な鳥の羽ばたきが、遠くから聞こえた。

 不思議と聞き入ってしまう号令だった。

 直後、ドゴゴォォォォォンッ! とピラミッドを揺るがす衝撃。


「キャ……!」

「っ、なんだ!?」


 たたらを踏んだフェリシアを支え、体勢を維持。

 揺れはすぐにおさまっていくが、今度は外から同じ地響きが連続し出す。

 フェリシアが空を指差した。


「ッ、先輩! あそこ……!」

「!」


 天井に空いた穴の先。

 目を見張るほどの夜空。

 そこに舞うのは、信じられないほど大きな鴉だった。

 月を背景にするのではなく、月すら背負えると錯視させるほどの翼を広げた大鴉。

 地上から見上げ、それでもなお天体に見紛う偉容など、飛行機では比較対象にもならない。

 そして、壁の穴の向こうでは──


「オイ、嘘だろ……」


 山が、古代圏に向かって雪崩れ込んで来ていた。

 北部の山々。

 獣神圏の山陵。

 どことなく熊の輪郭を思うのは、それが獣神の権能によるものだからか。

 山が津波となって古代圏に押し寄せている。


 天変地異。


「太古の盟約を、ついに破ったってコト……!?」

「だけど、初手でそれかよ!」


 俺とフェリシアは戦慄する。

 しかし、雪崩れ込んでくる山の偉容そのものに、立ち向かう闇が一つあった。


 言うまでもなくそれは、英雄現象──斬撃王ヨキ。


 古代圏の王が、斧を構えて歩いていく。

 押し寄せる怒涛の山崩れに、刃を突き立てんとし〈領域レルム〉の覇権を問う。


 地震に等しい衝撃は、英雄が放つ高密度の重力プレッシャーが原因だった。


 一歩、二歩、三歩。

 歩を進め、英雄が移動していくだけで台地が沈む。

 地響きが空に跳ねる。

 信じられない。

 俺は先ほどまで、あんなモノと戦っていたのか……?



 事█地█線イ█ン█・█ライ█ン──



 そして、聞こえるはずの無い英雄の解号が、何故か耳朶に届いた。

 変化は一瞬であり、次元の違う奇跡が顕現した。


「な──」

「斬撃が、山を斬り払った……!?」


 横薙ぎに一閃。

 振り抜かれた森羅斬伐。

 刃の軌跡は物理的な距離とスケールの差を強引に捩じ伏せ、津波も同然だった山ほどの大質量を、まるで地平線を拓くかのように両断していたのだ。

 両断された隙間には、微かにだが黄金と翠の輝きが垣間見えた。

 が、境界はすぐに閉ざされる。


 激痛に咽び泣く熊の叫び。


 山々の怒涛は、一振りの斧によって打ち止められ、獣神の侵攻は失敗した。

 間違いない。

 今の一撃こそは──


「英雄奥義……!」


 古代圏の王、斬撃王ヨキが森羅斬伐を以って行う世界破壊の一斬。

 リュディガーの作戦が獣神圏に古代圏を侵略させ、英雄現象をああして誘い出すコトであったのであれば、その目論見は成功している。


 しかし、結果は無惨極まっていた。


 脅威を排除したからだろう。

 斬撃王が消える。

 恐らく、すぐに王の間に戻ってくる。

 だが、


(森羅斬伐を奪えなかったのに、それでも英雄現象を誘ったのは何でだ……!?)


 太陽を隠し、空を夜に染め上げた大鴉の飛翔は何を意味している?

 獣神圏が太古の盟約を破ったのは間違いない。

 にもかかわらず、それだけの代償を払ってなんてコトが、向こうにとって有り得るのか?


 俺たちは何かを見落としている。


 その何かに、必死に気がつこうと考えを巡らせるが、


「ッ、先輩! 精霊圏が!」

「っ、本格的に始めやがった……!」


 西の方角。

 ピラミッドの屋上に立って壮麗大地テラ・メエリタを俯瞰する。

 獣神圏からの侵攻は、古代圏だけでなく精霊圏にも向かっていた。

 影の森。黒の森。

 樹冠を被る潜影の豹虎クァール

 こうして見下ろしていると、環境の境界がハッキリしているせいで〈領域レルム〉の違いが明確に分かる。


 獣神圏はやる気だった。


 山崩れの荒熊も、影の森の豹虎も、侵攻の先鋒に過ぎない。

 北部の方角に目を向ければ、山より大きい鹿が王冠のような角をもたげて動き出していた。

 次鋒は巨角王冠篦鹿ギガンティスエルクの獣神。

 他にも、獣神王の配下と思しい種々の環境神群──いいや、環境神軍が唸りをあげて合戦に猛っている。


 壮麗大地テラ・メエリタの情勢は、大きく動き始めていた。




────────────

tips:環境神軍


 獣神圏が擁する王の軍勢。

 山門異界を司る獣神たちは、王の号令を以ってのみ進軍を開始する。

 〝山稜の地滑り〟

 〝黒の森の樹冠〟

 〝照月の真名鹿〟

 とりわけ格の高い獣神王エンディアの重臣は、荒熊、彪虎、篦鹿の三柱であるそうだ。

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