#195「足跡を辿り」



 古代圏ピラミッド、最上層は王の間。

 一振りの斧『森羅斬伐』を巡って継承のための試練が始まり、メランズールが英雄現象『斬撃王』ヨキと戦闘を開始したところから、時は半刻ほど巻き戻り。


 少女は思索に沈んでいた。


 上層。

 松明の明かりが揺れる極彩色の遺跡廊下。

 得意の動物魔法により斥候を送り、一定の安全確保を行なってからフェリシアは歩を進めている。


 視界に入るのは、無数の菌類ばかり。


 踏みしめる床はヌチャヌチャと中途半端な水音を立て、足元はお世辞にも歩きやすいとは言えない。


 だが、辿っていく〝足跡〟には苦労している様子が一切無かった。


 足跡の形は綺麗なもので、くっきりと残された靴の形は爪先が深く踵が浅い。

 それでいてブレが無く、踏み込むような歩法は足跡の主が〝悪路の歩き方〟を識っている事実を端的に示していた。


 まるで行軍に慣れた熟練の騎士や兵士のようです、とフェリシアは思った。


 大罪人、リュディガー・シモン。


 魔術師であり老人。

 事前に得た人物像から、つい先入観で典型的なイメージを抱いてしまうが、思えばあの老魔術師は随分な健脚であった。

 脱兎の如く逃げ去る背中と姿勢フォームは、後ろ姿だけでも充分に印象を残している。

 国家を跨ぐどころか超大陸すら跨いで行動する犯罪者。

 魔術師だから老人だからという理由で、その身体能力を侮ってはいけないのだろう。


 と、改めて灰色の男グレイマンの想定脅威度を上方向に修正しながら、フェリシアはもう一つの事実にも思い至っていた。


 遺跡の中のリュディガーの足跡は、迷いが無いようでいて実は一貫性が無い。

 小部屋に入ったかと思えば入り口で踏みとどまったり、廊下を端から端まで移動したかと思えば即座に引き返していたり。

 足跡自体は綺麗なものでも、その轍には明確な行き先が無かった。


「いえ、というよりも……」


 これはリュディガー自身も、自分が向かうべき行き先を

 フェリシアたちと同じように、遺跡を調査しているとしか思えない右往左往。

 その証に、足跡が進むのをやめた先には、共通して罠や行き止まりがある。

 ピラミッド内のマッピングをしていたのは明白で、ならばリュディガーは何を目的にピラミッドに入ったのか?


(……先輩も言ってましたけど)


 魔術師が術式を構築するために、準備段階としてシンボルの調達を行うのはよく知られている。

 エルダースでは魔法だけでなく魔術についても教室が開かれているため、フェリシアもそこに異論は無い。

 順当に考えていけば、リュディガーは古代圏この場所でシンボル探しを行なっていたはずだ。


「終末の巨龍を封印から解き放つのが、大目的なんですもんね……」


 雌狼の斥候とは別の気配。

 尊敬する先輩の死霊が、一定の距離からフェリシアを凝視しているのを背中で感じ取りつつ。


 ──心配されてるなぁ、とか。

 ──でも、ちょっと安心するかも……とか。


 脳裏に過ぎりかけた複雑な想いにいったん蓋をして、真面目に思考を論理立てる。

 フェリシアは魔術師ではないが、魔術の仕組みは識っている。

 エルダースでの魔術論理課程では、二番手でいい成績も取った。


 だから、ヒントさえあるのであれば、魔術師的な思考は容易にトレース可能だ。


 自分が〝もし◯◯だったら〜〟という仮定のもとに条件や状況を付加していって、想定され得る結論を導き出す。

 常日頃から、フェリシアにはそういう思考ができる。


(師匠には気持ち悪いって言われたけど)


 そんなフェリシアをして敵わなかった首席本物を知っているため、まったくひどい言い草ですよと不満は密かに溜め込んでいた。


 閑話休題。


 リュディガー・シモンの大目的は、淡いの異界に閉じ込められた巨龍の復活。

 魔術で封印を解除しようと考えた場合、最も利用できそうなのは精霊たちも語っていた〝巨龍の影〟が該当する。


 終末の巨龍はその〝重さ〟から、混濁した時空間の奔流とも云われる淡いの異界に囚われていても、座標が移動していない。


 それどころか、物理的な実体は完全に向こう側に追いやられているのに、だけはこちら側に残したそうだ。

 湖の水面に映った巨いなる龍影を思い出す。


「となると、取っ掛かりはやっぱりそこからですよね」


 影があるのなら本体も無ければおかしい。

 魔術的な理屈付けとして、これほど利用しやすいトリガーは無い。


「でも、問題はどうやって淡いの異界に干渉するか……」


 有名なのは『異界渡り』という触媒魔術。

 しかしこれは、魔物や精霊の扱う異界の門扉を真似た不完全な魔術式で、開けられる扉も人間サイズが基本。


 ドラゴン用の扉を作ろうと思ったら、それこそ国家事業ばりの建築予算を必要としてしまうだろう。


 世に発表されている術式も、基本的にドアノブやノッカーを頼りにしたものが大半で、人間用に構築されている。


 世界最強の獣であるドラゴンが、人間のようにドアノブを回したりノッカーを打ち叩く?


 100パーセント有り得ない。

 そうなってくると、次に考えられるのは封印の原因について……


「──巨大彗星の隕鉄から鍛えられた武器」


 世界を斬り裂く斬撃の刃。

 リュディガーが森羅斬伐の存在を知っていれば、間違いなくあの斧をシンボルとして求めるだろう。


(神話や伝承をなぞる儀式の祭具として、本物のレリックを使用できたら術式の精度は飛躍的に上昇します)


 何しろ、実績を持つ道具を再利用するのだ。

 リュディガーに森羅斬伐が振るえれば、わざわざ術式を構築する必要も無いかもしれないほどに道具として利用価値が高い。


「──あっ、じゃあ……」


 答えはだ。これしかない。

 フェリシアは確信に近い自信で、正解に辿り着いたと思った。


 古代圏のピラミッドで、大罪人が何をしていたのか。

 五百人もの配下がいるのに、どうして魔術師は単身で探索や調査を行なっていたのか。


 答えは、リュディガーもまた森羅斬伐を求めて、英雄現象との会敵を懸念していたとすれば、疑問は瞬く間に氷解する。


 そして、


「……先輩が、森羅斬伐を継承できれば!」


 巨龍復活の野望も阻まれ、問題は一石二鳥で解決。

 フェリシアたちは偶然にも、敵が最も嫌がる行動を最初に実行していたと言える。


(一応、他にも考えられる術式がないか、調べてみた方がいいでしょうけど……)


 その行為はきっと、ほとんどがこの仮説の証拠探しに近くなるはずだ。

 フェリシアは「うん」と頷いて、にわかに浮き足だった。

 と、その時だった。


「──え、ゼノギア神父っ!?」

「ッ、その声は……フェリシアさん、ですか……?」


 魔物となり暴走していたはずの旅の仲間が、廊下の曲がり角を曲がった先で倒れていた。

 生成りの魔物化は制限時間がある。

 一晩以上の時間が経過したコトで、ゼノギアは元の人間の姿を取り戻していたのだろう。

 慌てて駆け寄ったフェリシアは、すぐに容体の確認を行なった。


 ゼノギアはひどい状態だった。


 大きな怪我はしていない。

 致命的な欠損や一目で分かる損壊は無い。


 だが、体力をひどく消耗している。


 脈拍は弱く、遅く、頼りなく、呼吸も浅くて眼差しは半虚ろ。

 うつ伏せに倒れた体勢では、床に生えた菌類が口に入りかけそうになっていたため、上体を強制的に壁に凭れさせる。


「グ、ッ……!」

「……いったい、何があったんですか? ゼノギア神父」

「……タハ、ハ……」


 呻くゼノギアの苦笑はほとんど苦鳴混じり。

 流血こそ無いが、神父の肉体はかなりのダメージを負っている様子だった。

 打撲や内出血。

 それに、骨も幾つか折れているかもしれない。

 フェリシアは険しい顔で神父を正視する。

 すると、


「……私のコトは、気にしないでください……」

「はい?」

「今はそれよりも……あの魔術師を追わなければ……グッ、く!」

「あっ、無理に動いちゃだめです! 倒れてたんですよ!?」

「だとしても……!」

「!」


 ゾ、ゾ、ゾ。

 ゼノギアの輪郭がブレ、悍ましい獣の姿が人の姿と重なる。

 生成りは再び、魔物化の途上に立とうとしていた。

 フェリシアは拳を握り締める。


「見習いに戻されたとはいえ、私は刻印騎士です! 私の前で魔物になる意味を、分かっているんですか!?」

「討ちたければ、どうぞ……! 私はそれでもッ、あの男だけは──!」


 血涙を流し、怨嗟を吐く凶相。

 フェリシアは思わず怯みかけた。

 これが本当にあの柔和な神父なのかとショックを隠せない。

 しかし、今この場で旅の仲間の前にいるのはフェリシアだけだ。


「いいから、落ち着いてください! それだけの消耗っ、のはわかります!」

「──ッッ!!」

「ゼノギア神父がどれだけ、リュディガー・シモンを恨んでいるのかは知りません! でも、今の貴方じゃ灰色の魔術師には敵わなかったんですよね!」

「……うぅうああああッ!!」


 叫ぶ男の苦しみは、フェリシアの指摘が事実であるがゆえに生成りの精神を傷つけていた。

 けれど、呪いに曇り憎悪に澱んだ。

 たったそれだけの代償で勝てるのなら、世界にはもっと幸福な話が転がっている。

 勝てないものには勝てない。

 勝てるように差を埋めなければ、現実は無慈悲に敗者を突き落とす。

 ゼノギアにも分かっているはずだった。

 なのに、神父は一度激情に駆られては、もう後戻りできぬと。

 叫ぶ内にクツクツ肩を揺らし、


「フェリシアさん……いいからもう、逃げてください」

「なんで──!」

「私はどうしようもない人間です……救う必要はありません……救われる魂でもありません……私はもう、どうなってもいいんです……」

「でも、人として戻って来たんでしょう!?」


 ならば刻印騎士団には、手を差し伸べる義務があると。

 フェリシアは訴えたが、ゼノギアは首を小さく横に振った。


「それよりも……忠告です。私はたしかに負けましたが……此処で倒れていたのは、命からがら逃げて来たからではありません……」


 


「な」

「私はヤツを追って戻って来ただけです……たとえこの命尽き果てようとも……最後まで追い縋って心臓を止めてみせる……ああ、それと」


 メラン殿下に言伝を頼みます。


「死霊を獣神圏に送るのは悪手でした……あそこには、彼にとって運命の始まりにも等しいモノが潜んで……」

「ゼノギア神父……まさか、行ったんですね!?」

「……義理はこれで、果たしましたよ……」


 生成りが魔物化する。

 神父が獣となって泣き叫ぶ。

 フェリシアの見ている真ん前で、男は慟哭の風となって再び暴走を開始した。

 少女を置き去りにする背中は、明らかに最初の変貌よりも小さかった。

 弱り、手負いであるのを隠せていない。


「ッッッ〜〜〜もうっ!」


 気になる情報だけを一方的に告げられて、しかもそれを義理だとか宣言されて。

 せっかく説得しようとしたのに、ちっとも聞く耳を持ってくれなくて。

 挙げ句の果てには心配しかかけさせない暴走の再開。

 フェリシアは「何なんですか!」と頭を掻き毟った。


「こんなの、追ってくださいって言ってるようなものです!」


 フェリシアの推理が正しければ、リュディガーが古代圏に戻って来たのは森羅斬伐を求めて。

 そして、ゼノギアが向かう先には間違いなくリュディガーがいる。

 なら、これはもう追うしか無い。


「気にするなとか放っておいてくれとか言われても、無理な相談ですよ!」


 フェリシアは駆けた。

 と同時に、各フロアに放たれていた死霊の群れが、一気に吹き抜けを突っ切り最上層へ飛んでいく。

 異変はすでに始まっていた。




────────────

tips:巨龍の影


 淡いの異界に封印された終末の巨龍の影。

 嵐影湖光とは本来、山と湖の美観を表す言葉だが、巨龍圏ではその意味を少し変える。

 山風紊りて影すら踏ませず、漣立つ湖面に光は千々に。

 ██の嵐、█ゥ████──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る